- このまとめの通常視覚向けデコレーション版はこちらです。▶https://togetter.com/li/1341765
14世紀から正統な医学の外にいた治療者で「アンピリックempirique」と呼ばれた人たちがいたそうなのですが、これは「体験に頼る人」という意味だったそう。「体験に基づく治療」とは、エビデンスベーストの思想と対立するものですから、まさに大昔からこの対立が繰り返されてきたわけですな。
2019-04-20 20:33:55@ktowhata empirischっていう形容詞、フロイトもユングも自分のスタイルを説明するときによく使うんですが、こういうルーツがあったんですねえ!
2019-04-20 20:39:21@ktowhata いちおう「経験主義的」と訳すようにしているんですが、いまこの言葉はむしろ「実証主義」の意味で使われる方が主流ですよね(empirical research)。歴史的な変遷が面白いなと思ってたんですが、さらに前にルーツがあると知って興奮しております!笑
2019-04-20 20:44:14@woodcutter0825 @ktowhata 横からすみません。empirical が経験主義的と実証主義的の二つの意味があるのは、ともに「理論に基づく」に対抗する姿勢で、「実際に(経験的に)実証されたものを信頼し、理論だけには頼らない」という意味だと思うのです。ですから、evidence-basedの思想はempriicalに対立するのではなく・・続
2019-04-20 20:53:41@woodcutter0825 @ktowhata むしろevidenceそのものはempiricalなものです。ここが残念ながら日本では決定的に誤解されているので、evidenceを実践に「利用する」ことが難しくなってしまうという結果を招いているのだと思います。
2019-04-20 20:59:22@SaitoSeiji @woodcutter0825 なるほど、ありがとうございます。理論と経験の対立があって、経験の中にも主観的体験と客観的経験とあるということになるのでしょうか
2019-04-20 21:01:09@ktowhata @woodcutter0825 うーん。そこは難しいところで、14世紀の経験主義者についてはご教示いただければと思います。想像するに、その頃のヨーロッパの話であれば、ガレノスの理論や教科書が主流として支配していた時代なので、反ガレノス的実証主義者だったのかなと・・。(続く)
2019-04-20 21:15:42@ktowhata @woodcutter0825 現代のエビデンスの文脈でいうと、エビデンスはもともとアンチ・セオリーから出発しているのですが、エビデンス自体は一般性を目指すものなので、それを実践に落とし込むための方法論が必要となり、それがEBMあるいはEBPだという理解です。よってエビデンスは客観的でもそのEBMは主観を含みます。
2019-04-20 21:19:49これはとても大切な話で、 evidence-based の思想は empiricism に含まれると言ってもいい、はず。そして補完代替療法の方がむしろ理論が先行していたりするんだよな。重金属病因論とか希釈至上論とか恐怖麻痺反射とか感覚統合理論とか、いろいろ……。 twitter.com/SaitoSeiji/sta…
2019-04-20 21:09:03その中で実証の可能性があるもの、実証が追いついてきているものもあれば、そうではないものもあり。まあ、いろいろ別れていくわけで。 逆に薬物療法なんかは、結局のところ何で効いているか充分わかっていないものが、わりと残っていたりもするんだよな。
2019-04-20 21:12:20この関連で面白そうな本が紹介されていた。 "何でも治ることを売りにした最悪の治療法の歴史──『世にも危険な医療の世界史』" honz.jp/articles/-/451… "本書で紹介されている治療法にはどれも(結果は伴わないにしても)それっぽい理屈は通っていることが多いのである" そういうことだよなあ。
2019-04-26 07:06:25honz.jp/articles/-/451… “本書で紹介されている治療法には/それっぽい理屈は通っていることが多い/だからこそ人々はそれを信じ/我々は今でも似たような理屈や治療法を信じる可能性がある/「今でも身の回りにこうした最悪の治療法は根付く可能性がある」と危機感と猜疑心の眼を育たせてくれる本”
2019-04-26 13:36:51