私論 まどかはエヴァを超えたのか その② エヴァの遺産、ハルヒの台頭、そしてまどかへ (01年~10年ごろ)

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karedo @susumu_karedo

前回「まどかはエヴァを超えた」と(冗談でも)言っている人が居たので、本当にそうなのかな、という感覚で、とりあえずオタクの自分が高校の頃から見てきたアニメをざっと思い返してみようかなと思って、つらつらと書き連ねてみました。

2011-05-11 23:05:07
karedo @susumu_karedo

いくつかの総括を含めて、エヴァを一つの区切りとし、セカイ系、萌え、日常の3つの要素を抽出してみたつもりです。

2011-05-11 23:06:36
karedo @susumu_karedo

エヴァから3~4年くらいは「エヴァ的かエヴァ的でないか」というか、望む望まぬに関わらず、そのロジックで見られていた時期がありました。

2011-05-11 23:10:28
karedo @susumu_karedo

そこから脱却を図る、あるいは評価の次元を変えるためにいくつかの方向が模索され、そこで構築されたのが「萌え」しかり「セカイ系」しかり「日常系」だったのではないかと思います。

2011-05-11 23:10:31
karedo @susumu_karedo

それはひとえに、90年代の後半という「傷ついた時代」にとっての共通の痛みを「エヴァ」というものに仮託され、そこからの癒やしを求め続けた事の結果にほかならないと考えます。

2011-05-11 23:14:10
karedo @susumu_karedo

ただし、癒やしはあくまで新しいものでなければならない。それはある意味、既存のアニメを超えたエヴァの痛みを癒やすためのものだから。

2011-05-11 23:20:43
karedo @susumu_karedo

だから、たとえば「日常系」は、「あずまんが大王」や「よつばと!」のように、サザエさん時空、永遠に続く日常、といった作りではなく、日常の終わりを描く、あるいは断片を切り取っただけ、という、その後の日常系漫画に大きな影響を与えたものがあります。

2011-05-11 23:24:43
karedo @susumu_karedo

また、もう一つのトレンドのセカイ系、「最終兵器彼女」や「ブギーポップ」は、エヴァの痛みを酷くならない程度に思い出しながら、何らかの手段で救済されるorされないことで、埋まらない「世界とボクとの関係性」をもう一度とらえ直すためのもの、と言ってもいいのではないでしょうか。

2011-05-11 23:29:50
karedo @susumu_karedo

さて、これらに「萌え」が絡むわけですが、僕はゼロ年代を語るときに最も大事なのは「萌え」ではないかと思えてきています。

2011-05-11 23:30:46
karedo @susumu_karedo

「萌え」とはなんぞや、というと、自分にとっての性癖を「~萌え」という言葉で表す事から転じて、「性癖の対象となるだろうカテゴリ」を総称して「萌え」と言えるのではないかと思います。

2011-05-11 23:33:55
karedo @susumu_karedo

たとえば僕は「少女メイド萌え!」という性癖を持っています。これは、細かい好き嫌いはあるけれど、とりあえず「少女メイド」というタグがついたものであれば見てしまう、見ざるを得ない、といった「カテゴリ」の話です。

2011-05-11 23:37:12
karedo @susumu_karedo

2000年初頭から「萌え」は、このロジックで、爆発的にカテゴリを増やしたと思います。「金髪ツインテール」「機械少女」「黒髪ロングストレー党」「年増園」、しまいには作品の物語は二の次でキャラクターの属性だけを追う「キャラ萌え」なんて言葉も出ました。

2011-05-11 23:40:05
karedo @susumu_karedo

もちろん何度も言いますが、これらの潮流は古参オタクの間では何十年も前からありました。ただ、ちょっとしたカジュアルなオタクが「萌え」という言葉で自分の性癖のカテゴリを公開し、それに合致するものを探す、というのは、この時代が最盛だと思います。

2011-05-11 23:42:32
karedo @susumu_karedo

自分の性癖の「○○」というカテゴリ(属性)を決め、そこに萌える。とりあえず作品の内容よりもキャラクターの属性で判断する。さきに触れた「キャラ萌え」という見方をし始めたのもこの頃だと思います。

2011-05-11 23:48:58
karedo @susumu_karedo

この「萌え」というものを、作り手が意識し始めたのがこの時代、といってもいいのかもしれない。

2011-05-11 23:55:07
karedo @susumu_karedo

そして、これは、ストーリーを大事にするオタクにとっては歓迎されないものだったと思います。(僕がそうでした)

2011-05-11 23:56:52
karedo @susumu_karedo

僕が萌えを今ひとつ歓迎できなかったのは、作り手も受け取る側も「萌え」に慣らされてしまって、既存でも定型化されているアニメのお約束が、さらにお約束化していくのでは、という気持ちでした。

2011-05-12 00:04:22
karedo @susumu_karedo

もちろん、その後もほとんどのジャンルでは、お約束に縛られない素晴らしい作品が出続けたわけですが

2011-05-12 00:06:37
karedo @susumu_karedo

ただ、無視できない程度には、2次元のキャラクターは「定型化」されたと僕は思う。投げっぱなしで自己矛盾した性格を抱えて悩むような子たちは減り、「わたしは、こう!」という自己決定をしたキャラが「属性」という名を借りて作品内を闊歩する。「ツンデレ」なんかはまさにそんな感じだと思います。

2011-05-12 00:10:46
karedo @susumu_karedo

そこに力強さを感じる事も出来るでしょうし、あるいは粗雑さというか、「アニメにしたってそこまで出来るやつぁいねぇだろ」と言いたくなる事もあるかもしれません。

2011-05-12 00:19:46
karedo @susumu_karedo

まとめると、「萌え」のカテゴリ、「属性」とは、エヴァの頃には決められなかった、決めることすら思い浮かばなかった、視聴者とキャラの「自己決定」ではないか。外見の「萌え」は視聴者側の自己規定、内面の「萌え」はキャラクターたちの自己規定の要素も含まれる、という風に。

2011-05-12 00:20:57
karedo @susumu_karedo

さて、「萌え」、「セカイ系」、「日常」の3要素がゼロ年代初頭でほどよくこなれたとき、僕たちはこれらの要素が気持ちよく融合した新しい作品に出会うことができました。それが「涼宮ハルヒの憂鬱」ではなかったかと思います。

2011-05-12 00:24:27
karedo @susumu_karedo

そして「ハルヒ」は、作品の出来もさることながら、当時流行しはじめた動画サイト、Youtubeやニコニコ動画なんかで「EDを踊ってみた」という、ある種、アニメと僕たちの関わり方を大きく変えた作品でもありました。

2011-05-12 00:27:45
karedo @susumu_karedo

僕はハルヒがエヴァを超えた何かがあるか、とすれば、まさにこの点、インターネットで作品の内容を語るのではなく、「踊る」という行為そのものだと思います。

2011-05-12 00:30:37
karedo @susumu_karedo

「踊ったものを撮影し、動画サイトへ投稿する」事が技術的に可能になり、それが楽しいと思える。作品の内容や萌えがどうとかを語るのもいいが、踊る事でも何かの不思議な共有/自己表現の意識を持つことが出来る。それを、このアニメは提供してくれたと思います。

2011-05-12 00:35:26