「紀要」の問題と課題

「紀要」にまつわる諸問題を選択・編集しました。たぶんに恣意的ですので、問題ある場合は柔軟かつできるかぎり迅速に対応します。※2019年5月7日最終更新
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緒語:「紀要」への評価

am2n @am2nkm_A
RT 紀要論文、たんにウェブ公開で参照されやすいというだけでなく、内容的にもすごいというか、最先端になっているものはけっこうある。 これは歴史学とか、そのなかでも日本史とかに限った話なのか、どうなのか。
am2n @am2nkm_A
以下、久しぶりに連投します。日本史という学問のなかで、著者が自由に書くことを許す「紀要的なるもの」(必ずしも狭義の紀要のみに限らない)が重要だという点について。 twitter.com/am2nkm_A/statu…
am2n @am2nkm_A
研究者の業績としては、査読雑誌(のなかでもとくにメジャー誌)が評価されるから、そういうものに載せたいのが人情だが、どうしても査読雑誌だと、分野のごく近い研究者だけではなく、(少なくともその雑誌の編集委員会を構成するような)幅広い範囲の研究者にも「研究の意義」が伝わるように→
am2n @am2nkm_A
→書かなければ、なかなか掲載してもらえない。たとえばとある時代の、何かの個別研究をやっているとして、その研究がなぜ必要なのかという点について、他時代の研究者や、場合によっては他国史の研究者の方にもわかるように論理立てをしなければならない。
am2n @am2nkm_A
ただ、そういう縛りの中で書くと、往々にして主張が先鋭化しやすく、極端になりやすい面もある。「〇〇はAである」との通説があり、そうではない例をある程度発見した場合、事実に即せば「〇〇は必ずしもAとは限らない」「〇〇はAでない側面も持っていた」とか書くのが常道のはずだが、→
am2n @am2nkm_A
そこをあえて「必ずしも」を取り去り、「〇〇はAではなかった」「〇〇はB(Aの対義語)であった」のように書いてしまう、というような感じで。こういう論法は一般書でも多いが、実際のところ、査読雑誌でも(査読側から求められたりして)そうせざるをえないようなことがままある。
am2n @am2nkm_A
このへんは、査読雑誌投稿時に、いつも悩ましく思うところ。(〇〇やA・Bにはお好みの言葉をお入れください……)
am2n @am2nkm_A
とはいえその一方で、歴史学というのは、学説史上意義深いかそうでないかにかかわらず、事実(により近いと思われるもの)を蓄積することを重視する学問でもある。だから、最終的には「〇〇は、まぁ全体的にいえばAなんだけど、そうじゃない側面もあるよね」という全くおもしろくない結論や、→
am2n @am2nkm_A
→「〇〇はAだとかBだとかいわれているけど、どちらの説もそれほど根拠があるわけではないよね」とかいう元も子もない指摘が、「研究の到達点」になったりする。正直言ってこういうのは、よほど学界の注視を集めた議論でない限り、査読雑誌には載りにくいのではないか。
am2n @am2nkm_A
あと、ただ史料を集めるだけ集めて多角的に検討して、それで最終的な結論を出すことには多くの留保を付しておくような論考とかも、それが初めての試みならある意味「研究の到達点」といってよいと思われるが、こういうのもよほど注目を集める内容でなければ査読雑誌には載りにくい。
am2n @am2nkm_A
だから、とくに日本史という学問にとって、著者がある程度自由に書くことを許す「紀要的なるもの」(必ずしも狭義の紀要のみではない)で、そういった意味での「研究の到達点」が示されることは、非常に重要なことだと思っている。
am2n @am2nkm_A
あと、枚数の問題も。査読雑誌を含む多くの媒体では、字数・枚数に制限があるのが普通。ところが紀要類は、枚数にゆとりのあるものも多く、なかには制限がない(と思われる)ものも。長大な表を載せたり、註が300とかついているものをみるとただただ圧倒されるが、そういうのが発表できる場も大事。
am2n @am2nkm_A
研究者の評価としては査読雑誌が優先されるのは、他分野との関係上仕方のないところだけど、それでもこういう媒体がなくなれば、少なくとも日本史の研究はとても薄っぺらくなると思う。そういうわけで、「紀要的なるもの」、とても大事だと思っているという話でした。
am2n @am2nkm_A
一応申し上げておきますと、査読誌批判ではないです。 さまざまな役割をもつ媒体が、共存していることが大事だと思っています。 紀要などの非査読の業績を軽視する分野も多いようにみえたので、ちょっとぐだぐだと書いてみました。
Naoki Iso @isnki
人文・社会科学系の場合、依頼原稿(本の分担執筆か学術誌の論文や書評)、大学の紀要、学術誌の査読付き論文、単行本(単著、共著、編著)など、使用言語を含めて研究業績の出し方はいろいろある。目的に応じて、どの媒体でどういう文章を発表すべきかは異なる。どれが良いかは価値観にも左右される。
おきさやか(Sayaka OKI) @okisayaka
最近機会があって18世紀の科学アカデミーの紀要と査読の問題について文献を読んだのだけど、18世紀の時点で出版の可否に厳しい査読を確立したのはパリ王立科学アカデミーで、それは特異なことだったとわかった。大半のアカデミーが「活動報告」として紀要を出していた

「紀要」の査読有無の是非

TOCHINAI Shin @5goukan
紀要論文のあり方 - 死んで花咲くデッドボール http://ow.ly/3wMY6 「査読に耐えられそうにない悪い内容の論文を、・アリバイ作りのために利用」「学会の多数派には認められないだろうけど・光っている・(書式やページ上限)にとらわれない自由な意見」紀要の意義を再検討する
FUKE Takahiro @tfuke
論文が査読か依頼か紀要かなどは形式的なことで、本当に重要なのは、論文から伝わる研究の信頼性や誠実さだろう。発表媒体の種類や言語、量などで評価が決まるほど、表層的で甘い世界ではない。
neko_punch @neko_punch
実は紀要の中にも査読つき、さらには一般のジャーナルを超える厳しい査読を備えたものがあり、そうした紀要の場合であれば当然掲載される論文のクオリティも高くなるが、それでも「紀要は紀要」の扱いを受けてしまうため評価としては低くなる、という悩みごとを紀要の中の人から聞いたことがある。
neko_punch @neko_punch
ただしそれが紀要である必要があるのか、紀要の役割ってなんだろうか、みたいな疑問を提示される方もおられ、特に紀要に査読は必要ないのでは(そういう論文でも載せておくことに意義があるのでは)という主張も見るにつけ、なにかうまい具合のオルタナティブはないものかと金のことも含め考える。
PsycheRadio @marxindo
査読誌にはちゃんとしてるけど面白くないものが載ってる、紀要は面白いものが載ってるけどトンデモも多い。

紀要掲載論文公開にともなう査読誌掲載論文の参照数低下と学会の課題

saebou @Cristoforou
学生にざっさくプラスやCiNiiを教えると、まずオンラインpdfがある紀要論文しか読んでこないよ。査読つき学会誌も全部無料公開にしないとダメなんじゃないかと思う。
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コメント

Mongyang @taisyo_2015 2019年5月5日
歴史系のレアワードで検索してると、この手の紀要がよく引っかかるようになった。そうやって眼にする機会が増えるので、研究者の方はどんどん書いたらいいと思う。ある研究分野での先行研究をまとめたレビュー論文とか良さそう。
かふぇ氷 @cafeseaside22 2019年5月5日
紀要をウェブで公開してくれるのは凄く有り難いのだが、PDFだとスマホで読み難いので、htmlにして頂けると大変助かります。
sakai @SkiMario 2019年5月6日
卒論に何を求めるかにもよると思うけど、「紀要」ばかりを参考文献にしていて、有料の重要な論文に目を通さずに論を展開しているとした、それはダメだと指導するのが教員の仕事で、重要な論文を無料で読めるようにするのが大学の仕事ではないかな。
sakai @SkiMario 2019年5月6日
歴史学(日本史?)でも査読論文が重視されるというのは一つ面白い。 また歴史学ではオープンアクセス論文誌が問題になってなさそうなのも面白い。 (当然だけど)分野によって似ている点と全然違う点が有るんだな。
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