佐藤正美Tweet_20190416_30

0
佐藤正美 @satou_masami

「地味で、着実で、ほんたうに自分の考へたことを、出来るだけ正確に書くことを心がける。どんなに平凡でも、その点は着実にかいて、決して人を脅かすやうな文句や過度の飾りや、よけいな形容詞を使ふまいと心がける」(亀井勝一郎)。

2019-04-21 02:30:46
佐藤正美 @satou_masami

亀井勝一郎氏のような文学者にしてこの言あり、文を綴るというのは難儀な業(わざ)なのでしょうね。私は作家ではないのですが、文を綴る事には興味を抱いていますし、著作も九冊認(したた)めて来ました。そして、十年のあいだには文体も変わって来ました。

2019-04-21 02:31:10
佐藤正美 @satou_masami

私は、当初、読み手を意識して挑戦的な文体を意図的に綴って見得を切っていましたが、最近は、自分自身のために書いている様に思う。その意味では俗ウケする様な文体ではないでしょうね。

2019-04-21 02:31:33
佐藤正美 @satou_masami

俗ウケするためには、読み手が 「ちょうど私の考えていたとおりだ」と思う様に綴ればいいのですが──読み手が期待しているのは、自分たち自身の言説なのですが──、読み手は直ぐに平静に還って、自分が考えられる様な言説を いったんは共感しても再読しないでしょうね。

2019-04-21 02:31:50
佐藤正美 @satou_masami

そういうミーハー本は、読んでいても、これはもう済んだ話を読まされている感じがします。

2019-04-21 02:32:07
佐藤正美 @satou_masami

(実用文 [ 記録文・報告文・論文・報道文など ] はべつとして、) 随筆・感想文は、主題はわかっていても、書いてみなければ、どうなるかわからない──書きながら考えを調(ととの)えるでしょう。

2019-04-21 02:32:27
佐藤正美 @satou_masami

わからないから書くのであって、文を綴るという行為は考える事と同じなのではないかしら。ペンが書いていくにつれて考える。したがって、感想文はいつまでも告白(あるいは、証言)の形式の名残りをとどめるのであって、文は自分自身を晒す事になります。

2019-04-21 02:32:45
佐藤正美 @satou_masami

しかし、シロートが綴った文であっても、自身と真摯に向きあって物した文は、つねに いま書かれた様に新しい印象を与えるのではないかしら [ そう願いたいですね ]。

2019-04-21 02:33:03
佐藤正美 @satou_masami

「自分の精神生活の一断面を素直にかくこと、或は自分の尊敬する作家の作品論か、作家論をかくことをすゝめる。尊敬のあるところ必ず愛情があり、愛情のあるところ必ず人をうつものがある」(亀井勝一郎)。

2019-04-29 21:43:27
佐藤正美 @satou_masami

私の様なシステム・エンジニアは作品論・作家論を書く事はできないので、本Twitterの様な感想文を綴るのが精一杯ですが、いつも考えてペンをとっていなければ、思考力も表現力も養われないのは当然の事でしょう。

2019-04-29 21:43:54
佐藤正美 @satou_masami

作文技術の書物を数冊読んだからといって、作文が上手になる訳ではないし、もし上手になったとしても、規則通りに文を組み立てた、味も素っ気もない文を書いて、悧巧になったと思い込んでいるにちがいない。文を綴るという事も長い年月を費やして習得する仕事なのだから。

2019-04-29 21:44:15
佐藤正美 @satou_masami

作文の技術を養うために、自分が尊敬している作家の文を真似る(筆写する)人たちは多いでしょう。或る作家の文を真似るという事は、作文法を倣うだけではなくて、物の見かた・考えかたも倣うという事でしょう。したがって、その作家を信じていなければできない。

2019-04-29 21:44:32
佐藤正美 @satou_masami

我々は子どもの頃に外界の出来事を直接に観察して考える事を学ぶのではなくて、言語を習得して社会の中で過去から継承されてきた知識を学んで大人になる。

2019-04-29 21:44:50
佐藤正美 @satou_masami

「考える」という事を意識的におこなう様になった時、自分の尊敬する人物の思想を先ず学んで、そしてその人物の見かたに影響されながらも いっぽうで独自の表現法を探る様になって、やっと自分の眼で外界の出来事を観察できるのでしょう。

2019-04-29 21:45:08
佐藤正美 @satou_masami

しかしながら、書物を多く読んだまま、「私たちには、自分の考えを他人の表現に従って理解する事が無暗に多すぎる」(ヴァレリー)。

2019-04-29 21:45:27
佐藤正美 @satou_masami

私が文を綴る手本としている人物は、亀井勝一郎氏と小林秀雄氏です。日本語の文を綴るには日本人の著作を手本とするのがいいのですが、「考える」という事を学ぶには、西洋の思想家を手本にしたほうがいいのでないかしら。

2019-04-29 21:45:44
佐藤正美 @satou_masami

私が思考の手本にしている人物は、ヴァレリー氏とアラン氏です(亀井勝一郎氏も小林秀雄氏も、ヴァレリー氏とアラン氏を丁寧に読み込んでいます)。

2019-04-29 21:46:08
佐藤正美 @satou_masami

ちなみに、アラン氏は新聞に短文(プロポ)を書き続け──或る時期には、まいにち書いていますが──、ヴァレリー氏は思索ノートを20才頃から一生綴っていました。ウィトゲンシュタイン氏(私が尊敬する哲学者)も膨大な量の思索ノートを遺しています。

2019-04-29 21:46:30
佐藤正美 @satou_masami

文章上達の秘訣として「三多」という語(中国の欧陽修の語)がありますが、「三多」とは 看多(多く読む)・做多(多く書く)・商量多(多く工夫し推敲する)の事。これは秘訣というほどの事ではなくて、当たり前と云えば当たり前の事でしょう。

2019-04-29 21:46:47
佐藤正美 @satou_masami

しかし、この当たり前の事を実践するのが難しい。平凡な事は平凡であるがゆえに学ぶべき技術がないと思い違いして、気の利いた「効率的な学習法」を探し廻って学習法の書物を多数読み漁っていた事が私の若い頃にはあったけれど、今思うと徒労だった。

2019-04-29 21:47:04
佐藤正美 @satou_masami

そういう書物を一冊か二冊読んで文の構成法を学習したら、さっさと文を綴る事です。多く書く事です。先ず制作せよ、推敲はそれからの事だ──これこそ作文の第一条件でしょう。それは、現実の対象をもたぬ、そして対象に形式を与えぬあらゆる思考は必然的に不毛だという事です。

2019-04-29 21:47:21
佐藤正美 @satou_masami

したがって、方法論ばかりに興味を抱いて、何一つ具体的な物を産まない──つまり、思考していない(!)──という奇怪な学習態度は、作文の本務は二の次になってしまい、自分の手に入れたと思う「方法」が自分の肉そのものになるには如何に年月のかかる事であるかを忘れがちにしていまします。

2019-04-29 21:47:37
佐藤正美 @satou_masami

理論の価値は、その論理と実作とによって証明される事を我々は重々知っているはずでしょう──「能書きを垂れる」というような ことば は、机上から決して生まれはしなかったのであって、実践から生まれたのでしょうね。

2019-04-29 21:48:01
佐藤正美 @satou_masami

体調の悪い時には思考(つまり、文を綴る事)に集中できないのですが、それでもいったん考える事を止めれば次第に怠け癖に陥ってしまうので──怠けるための口実は幾らでも作る事ができるので──、そういう時でも出来る限り文に接する様にするために、私は好きな作家の文を筆写することにしています。

2019-04-29 21:48:21