ドゥルーズ=ガタリ再読──フーコー、ラトゥール、ANT、ソーカル・ブリクモン、そして生権力の倫理学について(Kn_D0さん、ponQさん、Abraxas_Aeonさんによる議論)
出来事の一部になることがもたらす快楽‐苦痛(情動)と身体を構成する微粒子の群集的アレンジメント。これがうまく語れれば、音楽についてはひとつ何か言えたことになるきがする。お、おもったよりも進展したやん。
2011-05-01 03:08:04ガタリの『三つのエコロジー』読んでるのだが、なんか随所にラトゥールの主張(および語の使い方)とかぶってるようにも見えるところが見られるんだけど、この両者のつながりについてなんか発言したひとっていないの?>@ponQ
2011-05-01 14:56:00@Kn_D0 いや、リゾームだよ。有名な話だ。アクターネットワークセオリーはアクタントリゾームオントロジーとも呼べる、とか。俺がみたことあんのはactor network and after収のラトゥール論文だったと思うが、他にもあるっぽい。
2011-05-01 15:14:06@ponQ ありがとう。人かの図書館にあるね。やっぱリゾームなんだ。でも見てる限りは全然リゾームとは関係ないように思えるけどね。ガタリとかぶってるのは用語としてはacteurつまりアクターのほうなんだよ。
2011-05-01 15:26:48気づいたの一か所だけ引用しておく「あらゆる規模のアクター〔作用因子〕によってつくりだされる資本主義的主観性は、世論の機能を狂わせ混乱させうる一切の出来事の侵入から既存の生活を保護するような仕方で加工生産される」p.42
2011-05-01 15:28:33ラトゥールの『科学がつくられているとき』ってところどころ面白いんだけど、やっぱ全体として、マーケティングの本でしかないと思う時間のほうが長いな。企業入って新商品企画のプレゼンする前に読むのをお勧めしたくなる。
2011-05-08 16:54:08RT @saku_123op わたし分裂症だが、「資本主義と分裂症」ってどう関係があるんだ? アルトーっていう人が陽性症状なのはすぐ分かったけれど。>ドゥルーズ=ガタリ http://bit.ly/5DdZSk
2011-05-12 00:51:27うーんとねww さっき言及した阪大でやる研究会のメンツでやってる。読書会は要約を作ってそれを読みながら議論する。最初はアンチオイディプスやる予定だったわ RT @saku_123op @ponQ 読書会、何者の集い?ヽ(*・ω・)人(・ω・*)ノ そもそも読書会って何するんだ?
2011-05-12 01:12:07最近ドゥルーズ=ガタリを読み返してて思うのは(俺の読みの浅さは当然あるにせよ)この人達の言ったことが「謎めいてはいるが革命的」みたいに見える時代はもう終わりつつあるんじゃないか、ということ。
2011-05-12 05:13:42今後D&Gは結構まともな話として読むことができるようになり、ラトゥールのように噛み砕いたらマーケティングにも使えてしまうような秩序維持のツールになったりもするんじゃないだろうか。「21世紀はドゥルーズのものになる」というフーコーの言葉は実は相当な皮肉だったのかもしれない。
2011-05-12 05:21:16現代の社会運動を考えるには、「批判の対象もある程度は民主的な基盤を持っている」という点を押さえないと、話がよくわからなくなるな。敵はもはや選挙によって選ばれた代表者である。これは単なる民主主義の戦いではなく、異なる民主主義同士の戦いなんではないか。
2011-05-12 12:52:35思想ってのはそういうもんだよ。フッサールの話が前提になって創造的に生きてくるようになったのは50年代。彼が死んだのが30年代。ドゥルーズが死んだのが90年代。だから勝負は今何をするかなんだよ。RT@ponQ 今後D&Gは結構まともな話として読むことができるようになり、
2011-05-12 14:25:26ま、だからといってD&Gはもはや体制的だ!とかANTはマーケティングツールでしかない!とか断定するのもおかしくて、体制的/革命的の配置自体が随分かわってきてるわけで、そこで何がいえんのかっ?、てことなんだけどね。 @goh_zoh @Abraxas_Aeon
2011-05-12 15:04:18そういえば@Abraxas_Aeon に訊きたいことがあったんだ。生権力論の倫理的ないし政治的な捉え方として、主に三つくらいの方向があんのかな、って最近考えていて、
2011-05-12 15:06:56⑴生権力を、悪しき権力の現代的な類型として捉えてそれを記述したり批判する、従来のフーコー受容で一般的だったやり方(権力概念自体は既存のものとあまり変わらない) @Abraxas_Aeon
2011-05-12 15:10:37⑵生権力をそれ自体は良くも悪くもない、環境管理型の統治ツール(アーキテクチャ)として捉えてその具体的な形態を分析し、できるならより良いかたちに設計しなおそうという、isedとかで東さんや濱野さんがとってる立場(抵抗、という契機はなくなる) @Abraxas_Aeon
2011-05-12 15:16:19⑶生権力はそれ自体良いものでも悪いものではないが特定の状況において特定の規範性を設定するものとして捉え、それが変化.更新される潜在的な契機を見いだし活性化することに批判という営為をおき直そうとする、檜垣さんや@Kn_D0や俺が今とってる立場。 @Abraxas_Aeon
2011-05-12 15:27:03いまんとこ、この三つくらいの方向が目に付くかなと思うんだけどこの分類妥当かな?あるいはもっと違う方向性もあるんかな? @Abraxas_Aeonさんはどう思いますか?
2011-05-12 15:29:23あ、そうだ、この分類からいうと「後期フーコー」の廣瀬さんはどういう位置づけになるかな?@Abraxas_Aeon 俺自身は三つ目の立場が一番!と思ってるわけでもなくて、他の2つとうまく接続できるポイントを作るのが大事かなと思ってます
2011-05-12 16:01:30