原子力工学という学問の実態と、原発事故

推進派の御用学者と、反対派の反骨学者、みたいな戯画的構図の後ろには 全国の大学から原子力工学科という名前の学科がほとんど消えていた事実と、 それが意味する寒々しい実態があった。 卒業生、元講師、現役の技術者らが事故を追いかけつつ語る。 続きを読む
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玉置 昌義 @Dr_Head_TMI

ニコニコ_92 原発を設計、製造、建設してきた技術の当人たちも、「聡明さ・想定外」を受け入れてしまった。長い原発運転・点検・補修経験の中で、[廃炉]にすべきだと肌で感じた人も多くいるはずです。厳しいようですが、地位に甘んじ「勇気ある技術者」にならなかったことが決定的とも言えます。

2011-06-12 19:35:01
玉置 昌義 @Dr_Head_TMI

ニコニコ_112 技術史以上主義で何を研究し、講義してきたか。私の研究・教育の歴史を振り返りながら、初歩のエネルギー理工学の講義に代えます。先に触れた「50年記念」の表表紙の裏に書き込み。鉛筆書きで、1993年7月10日の日付。The Second 50 Years にむけて!

2011-06-14 12:22:08
玉置 昌義 @Dr_Head_TMI

ニコニコ_117 もっとも素なるもの(素粒子)から単純元素を経て、…。 「エネルギー理工学の講義を構築するために」1993.7.10 玉置昌義/M.T.(signature)。核子当りの結合エネルギーの図、核分裂・核破砕・核融合の混成協働組みあわせ(synergetism)の図。

2011-06-14 13:04:55
玉置 昌義 @Dr_Head_TMI

ニコニコ_118 それから20年、固有安全PIUS炉の基礎実験を手伝いながら、照射済み核燃料の非破壊検査用透視システムの要素技術の研究開発・実用化検証、さらに核破砕中性子利用への興味を広げ、スイス ポールシェラー研究所 NEUTRA / ICON での共同研究が主になっていった。

2011-06-14 13:15:54
玉置 昌義 @Dr_Head_TMI

ニコニコ_119 原子炉工学講座に身を置きながら、燃料健全性に関わる研究をし、米国TMI事故、ソ連チェルノビリ事故を経験し、安全性に関心がわき、力ずくで抑える安全性文化に疑問が重なってきた。学生がアメリカ留学から固有安全炉PIUSの考えを持ち帰り、熱流動解析を計算機で取り組んだ。

2011-06-14 13:48:12
玉置 昌義 @Dr_Head_TMI

ニコニコ_120 教授の定年退職後、従来炉に限界を感じ、固有安全性に関わり始めたころ、くしくもPIUSに関心の高い新教授が着任。原子力学会も固有安全性・受動的安全系の研究・開発一色感があった。5年間ほど隆盛を見た固有安全炉研究は、大学の大学院化と・人化の煽りもあってか、終わった。

2011-06-14 13:56:06
玉置 昌義 @Dr_Head_TMI

ニコニコ_121 研究室にとっては、教授の急逝が決定的でした。原発は経済性のみで語られ、ABWR・APWRの超大型化と、建設コストの極端な削減が続き、さらに旧型原発の経年化対策指向の寿命伸ばし研究に学会も移りました。私も原子炉工学講座を離れ、核破砕中性子利用の研究へ転身しました。

2011-06-14 14:07:42
玉置 昌義 @Dr_Head_TMI

ニコニコ_122 定年を挟んだこの十年、いろいろなことはありましたが、研究は楽しくやりました。生涯現役を掛け声に、日本・スイス・ドイツで実験研究場の最前線に。しかし、3・11原発事故は、地震災害にもましてフリーズ状態に。原発事故の解析に現場最前線に立った意識でツイートしています。

2011-06-14 14:31:11
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