- haruna_nowaki
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@die3035 赤レンガの国産化は大正に入ってからで、例えば明治後期に建造された旧海軍省はイギリスから輸入したレンガを用いて建てられています。幻想郷でレンガを作るなら、時代が下った後で製造技術(もしくは技術者・文献)が流入したことによる内製化となるでしょう。
2011-05-13 18:44:38@die3035 あ、作ることは作れるけど、高級家屋向けのきちんとした品質のものは、という意味ですね。どうやら製造会社そのものは明治の早い段階からあったみたいです。
2011-05-13 18:46:37@haruna_nowaki 明治期までは工事現場近くに登り窯を設置して、完全受注製造されており、その後明治38年頃には、並型、東京型、作業局型、山陽型、山陽新型の5種類の規格による規格の収斂がおきて大量生産時代が始まり、関東大震災を基に全国統一規格になったようですね
2011-05-13 18:53:50@die3035 赤レンガ建築はモダンな雰囲気が魅力ではありますが、西洋の建築法に則って内部まで煉瓦積みにすると耐震性が皆無になりますからね。日本の環境では結局構造を担う部分は鉄筋コンクリートにして、外壁を煉瓦張りにするしかない。
2011-05-13 18:59:22面白いな。幕末〜明治初期にかけては工事現場の敷地内に独自に窯を設置し、建築物事に指定される寸法の煉瓦を外国人技術者が自分で製造していた。このような伝統的登り窯による完全受注生産の流れは、明治22年の琵琶湖疏水の工事までやってたらしい
2011-05-13 19:01:09一方、銀座煉瓦街という明治政府の一大事業に雇用されたイギリス人のトーマス・ウォートルスは、建築と管理だけでなく煉瓦製造の指導を行い、登り窯による煉瓦製造を行うだけでなく、円形ホフマン窯(東京、小管に建造)による最新式の煉瓦製造技術をもたらした
2011-05-13 19:11:33同時期に雇われたジョサイア・コンドルによって、煉瓦建築の設計に関する教育も工部大学校にて本格的に行われ、明治18年にドイツ人であるワグネルの手によって先の円形ホフマン窯が改良され、従来の薪から石炭を燃料とする窯が完成したのを期にこれが全国に広まる
2011-05-13 19:16:08このホフマン窯の普及と、ほぼ同時期に入ってきた煉瓦製造機の導入によって煉瓦の大量生産時代が始まり、同時に伝統的手法による受注生産の時代は終る。その後明治38年頃には、製造業者によって並型、東京型、作業局型、山陽型、山陽新型のおおよそ5種類の寸法に収斂する
2011-05-13 19:19:59この流れに合わせて明治30年代からは煉瓦建築が本格展開し、大正頃にピークを迎える。大正8年には煉瓦製造業もピークを迎え、この年には約5億4000万個の煉瓦が製造された。なお、この頃に帝国ホテル設計のためにアメリカ人建築家のフランク・ロイド・ライトが来日し、建築界に多大な影響を残す
2011-05-13 19:25:12しかし、大正12年に発生した関東大震災によって本格的な煉瓦建造物の新築は(北海道を除いて)行われなくなり、これによって煉瓦製造業界が結託、日本標準規格第八号によって煉瓦の寸法が制定される。これは現在の韓国における煉瓦の寸法にも踏襲されている
2011-05-13 19:29:13日本においては激減した煉瓦使用であったが、アジア各地では気候風土の関係上大量に使用される時代が続く。その後は満州国建国と満鉄によるアジアでの鉄道事業の拡大によって中国で煉瓦市場が巨大化する
2011-05-13 19:33:31その後は二次大戦の突入によって耐火物の製造が可能な煉瓦工場は軍需工場に組み込まれ、終戦の後に軍需生産全面停止によって全操業が停止。昭和25年には統制が解除されるも、高度経済成長下では鉄筋・セメント時代の到来によって建築資材としての価値はさらに薄れる
2011-05-13 19:37:27昭和50年代には、景観の面やオイルショックによるメンテナンスフリー素材として見直される。その後平成の世になると、遺産・資産として今までとは全く違った道を歩み始め、残った建築物は登録有形文化財などに指定されたりもしている
2011-05-13 19:41:10だそうです。参考文献は、水野信太郎「日本近現代における煉瓦製造史の時代区分試論」日本建築学会北海道支部研究報告集 (78), 303-306, (2005)になります
2011-05-13 19:43:23一部で煉瓦の話になっているようだが、あれはメソポタミア以来西の文化という印象が強いな。ベルヌの『神秘の島』で日干し煉瓦を作るシーンがあったと記憶しているが、我々との文化の差を感じたものだ。
2011-05-13 19:44:35日干し煉瓦だと、世界遺産のアルゲバムが地震で崩壊したのが印象的だ。あれほど見事に崩れ去るものか、と。エリコの壁もかくやと思わんばかり。
2011-05-13 19:50:25幕末期に外国人技術者によって製鉄所用に製造された煉瓦は、長さと幅が大きく、厚みが薄いらしい。幻想郷ではこんな寸法統一の遥か以前の煉瓦がある、とかかもねー
2011-05-13 19:57:09