2011年5月14日

東方考察談義:レンガ

赤レンガの建築物というのはレトロさを感じさせるものであり、洋風では有るものの、やはり幻想郷にも在ってほしいと思う人が多いようだ。
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Die @die3035

ふと思ったが幻想郷に煉瓦ってあるのかね。なんか「幻想郷の煉瓦製造業」って題名で一つ書ける気がしてきた

2011-05-13 18:36:11
野分 はるな @haruna_nowaki

@die3035 赤レンガの国産化は大正に入ってからで、例えば明治後期に建造された旧海軍省はイギリスから輸入したレンガを用いて建てられています。幻想郷でレンガを作るなら、時代が下った後で製造技術(もしくは技術者・文献)が流入したことによる内製化となるでしょう。

2011-05-13 18:44:38
Die @die3035

ふむ、関東大震災を境に日本での煉瓦使用は激減し、本格的な煉瓦建造物の新築は無くなる。これを受けて、煉瓦の規格統一が誕生、か

2011-05-13 18:46:16
野分 はるな @haruna_nowaki

@die3035 あ、作ることは作れるけど、高級家屋向けのきちんとした品質のものは、という意味ですね。どうやら製造会社そのものは明治の早い段階からあったみたいです。

2011-05-13 18:46:37
Die @die3035

@haruna_nowaki 明治期までは工事現場近くに登り窯を設置して、完全受注製造されており、その後明治38年頃には、並型、東京型、作業局型、山陽型、山陽新型の5種類の規格による規格の収斂がおきて大量生産時代が始まり、関東大震災を基に全国統一規格になったようですね

2011-05-13 18:53:50
野分 はるな @haruna_nowaki

@die3035 赤レンガ建築はモダンな雰囲気が魅力ではありますが、西洋の建築法に則って内部まで煉瓦積みにすると耐震性が皆無になりますからね。日本の環境では結局構造を担う部分は鉄筋コンクリートにして、外壁を煉瓦張りにするしかない。

2011-05-13 18:59:22
Die @die3035

面白いな。幕末〜明治初期にかけては工事現場の敷地内に独自に窯を設置し、建築物事に指定される寸法の煉瓦を外国人技術者が自分で製造していた。このような伝統的登り窯による完全受注生産の流れは、明治22年の琵琶湖疏水の工事までやってたらしい

2011-05-13 19:01:09
Die @die3035

@haruna_nowaki 土地の関係上、仕方の無い事ではありますがねぇ。明治の後期には鋼材による補強も本格化したようですし

2011-05-13 19:04:39
Die @die3035

一方、銀座煉瓦街という明治政府の一大事業に雇用されたイギリス人のトーマス・ウォートルスは、建築と管理だけでなく煉瓦製造の指導を行い、登り窯による煉瓦製造を行うだけでなく、円形ホフマン窯(東京、小管に建造)による最新式の煉瓦製造技術をもたらした

2011-05-13 19:11:33
Die @die3035

同時期に雇われたジョサイア・コンドルによって、煉瓦建築の設計に関する教育も工部大学校にて本格的に行われ、明治18年にドイツ人であるワグネルの手によって先の円形ホフマン窯が改良され、従来の薪から石炭を燃料とする窯が完成したのを期にこれが全国に広まる

2011-05-13 19:16:08
Die @die3035

このホフマン窯の普及と、ほぼ同時期に入ってきた煉瓦製造機の導入によって煉瓦の大量生産時代が始まり、同時に伝統的手法による受注生産の時代は終る。その後明治38年頃には、製造業者によって並型、東京型、作業局型、山陽型、山陽新型のおおよそ5種類の寸法に収斂する

2011-05-13 19:19:59
Die @die3035

この流れに合わせて明治30年代からは煉瓦建築が本格展開し、大正頃にピークを迎える。大正8年には煉瓦製造業もピークを迎え、この年には約5億4000万個の煉瓦が製造された。なお、この頃に帝国ホテル設計のためにアメリカ人建築家のフランク・ロイド・ライトが来日し、建築界に多大な影響を残す

2011-05-13 19:25:12
Die @die3035

しかし、大正12年に発生した関東大震災によって本格的な煉瓦建造物の新築は(北海道を除いて)行われなくなり、これによって煉瓦製造業界が結託、日本標準規格第八号によって煉瓦の寸法が制定される。これは現在の韓国における煉瓦の寸法にも踏襲されている

2011-05-13 19:29:13
Die @die3035

日本においては激減した煉瓦使用であったが、アジア各地では気候風土の関係上大量に使用される時代が続く。その後は満州国建国と満鉄によるアジアでの鉄道事業の拡大によって中国で煉瓦市場が巨大化する

2011-05-13 19:33:31
Die @die3035

その後は二次大戦の突入によって耐火物の製造が可能な煉瓦工場は軍需工場に組み込まれ、終戦の後に軍需生産全面停止によって全操業が停止。昭和25年には統制が解除されるも、高度経済成長下では鉄筋・セメント時代の到来によって建築資材としての価値はさらに薄れる

2011-05-13 19:37:27
Die @die3035

昭和50年代には、景観の面やオイルショックによるメンテナンスフリー素材として見直される。その後平成の世になると、遺産・資産として今までとは全く違った道を歩み始め、残った建築物は登録有形文化財などに指定されたりもしている

2011-05-13 19:41:10
Die @die3035

だそうです。参考文献は、水野信太郎「日本近現代における煉瓦製造史の時代区分試論」日本建築学会北海道支部研究報告集 (78), 303-306, (2005)になります

2011-05-13 19:43:23
Die @die3035

こうして見ると、幻想郷に煉瓦製造法があるとすれば登り窯による伝統的煉瓦製造法、あたりになるのか?

2011-05-13 19:44:24
五蟻(いつあり) @abysmalhypogeum

一部で煉瓦の話になっているようだが、あれはメソポタミア以来西の文化という印象が強いな。ベルヌの『神秘の島』で日干し煉瓦を作るシーンがあったと記憶しているが、我々との文化の差を感じたものだ。

2011-05-13 19:44:35
Die @die3035

日本における煉瓦使用は製鉄用途の反射炉用が一番最初で、建築資材を経て、地震によって一旦終わり、文化遺産へと再評価、か

2011-05-13 19:48:06
. @DJ_Silkworm

@die3035 レンガ職人が幻想入りして紅魔館に毎月補修用レンガ卸してるとこまで幻視余裕でした

2011-05-13 19:48:34
Die @die3035

@DJ_Silkworm 主に妖怪向けの完全受注生産を行う煉瓦職人とか、結構ありそうな気がしますね

2011-05-13 19:50:18
五蟻(いつあり) @abysmalhypogeum

日干し煉瓦だと、世界遺産のアルゲバムが地震で崩壊したのが印象的だ。あれほど見事に崩れ去るものか、と。エリコの壁もかくやと思わんばかり。

2011-05-13 19:50:25
五蟻(いつあり) @abysmalhypogeum

煉瓦といえば妖々夢三面道中の背景は煉瓦造り建築の写真を素材にしていたような

2011-05-13 19:53:26
Die @die3035

幕末期に外国人技術者によって製鉄所用に製造された煉瓦は、長さと幅が大きく、厚みが薄いらしい。幻想郷ではこんな寸法統一の遥か以前の煉瓦がある、とかかもねー

2011-05-13 19:57:09
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コメント

いぬいぬ @ @Inuinu_void 2011年9月4日
紅魔館は煉瓦ではなくて煉瓦を貼り付けたコンクリート工法なら可能だと思っている。外見上はあたかも煉瓦造りに見えるが、現代の建造物は概ねこの方法が用いられる。 煉瓦は水に浮く気泡を有した軽量型であり、幻想郷でたびたび発生するであろう地震に余裕を持って対応できる。
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