- arishima_takeo
- 1368
- 0
- 0
- 6
しかし、戦争をふせぐための最後の切札が革命であり、その逆もまた真であるということを、くれぐれも忘れないでいただきたいとおもう。はたしてしからば、すでに一歩を踏みだしているはずの日本革命は、いったい、いかなる「歌」をもっているであろうか。by花田清輝「歌の誕生」
2019-05-06 13:20:14偶然を踏み台にして、可能と必然とを弁証法的に統一したものが、わたしのみるところでは、リアリティーすなわち、「現実」なのである。by花田清輝「偶然の問題」
2019-05-06 13:39:24現在、美がどうのこうのといっているような連中は、たいてい、いじり専門の白樺派の亜流だとおもっていればまちがいはない。by花田清輝「いじるということ」
2019-05-06 19:21:55わたしは、芥川龍之介を、谷崎潤一郎のアンティ・テーゼだとおもうが、それは、特に、かれがおのれの価値判断を、戯作の世界にまで持ちこまないではいられなかったからである。by花田清輝「スカラベ・サクレ」
2019-05-07 01:12:03安吾の「没価値論」と、明治初年、逍遥の提唱した、戯作者の精神の否定の上に立つ「没理想論」とを、それぞれ転形期の文学論としてとりあげ、両者を比較対照してみるのもあながち興味のないことではないようにもおもわれる。by花田清輝「スカラベ・サクレ」
2019-05-07 01:16:47「デヴィッド・ドッジの『泥棒成金』には、第二次大戦中、フランスを悩ます目的で、ナチスによってフランスの刑務所から釈放され、非占領地区へおくりこまれた泥棒の一味が、あべこべに抵抗運動に参加し、さんざん、ナチスを手こずらせる挿話が描かれている」(花田清輝「砂のような大衆」)。面白そう
2019-05-07 19:34:13「『群像』の編集者に、築地の中央市場へ行ってみたいとおもうといった。すると編集者から、さっそく返事があって、某月某日、午前四時半に車をまわすから待機していてもらいたいと」(花田清輝「車輪について」)。この本異様に群像編集者に厄介になった話が出てくるけど昔はそんな気がきいたのか?
2019-05-07 19:48:59首をつっているものがあれば、足をひっぱってよろこぶのが世の中というものだ。そして、その世の中を代表しているのが、批評家という人種なのである。by花田清輝「非情と感傷」
2019-05-08 18:04:10「あんまり好きな言葉ではないが、カマトトという言葉がある。むかし、ある女優が、カマボコってオトトかしら? といったことから、知っていて知らないふりをする、いわゆる猫っかぶりのことをカマトトというようになった」(花田清輝「非情と感傷」)。へぇー。
2019-05-08 18:09:12わたしは、大衆というものを、つねに女房族または亭主族の異名として受けとっている。プラカードをかついで、デモ行進をやっている連中にしても、底をわってみれば、ことごとく、女房族であり亭主族であるのだ。by花田清輝「非情と感傷」
2019-05-08 18:10:55「いま、風邪をひいて発熱はなはだしく、とうてい、原稿などかいていられないような状態だが、そういうばあいでも、ぜったいに、誰からも看病はしてもらえないのである」(花田清輝「非情と感傷」)。花田かわいそう。
2019-05-08 18:12:59花田清輝『大衆のエネルギー』読了。私は残念なことに『復興期の精神』の価値が今ひとつ分かって分かってない男なのだが、これは面白かった。博学で勉強になる(花田の愉しみ方それかって感じかもしれんが、シラネ)。
2019-05-08 18:23:33