僕が叩き落とされたのは、元連邦領の街の近く。もとい、街の廃墟の近く。 連邦政府の迅速な疎開と、ゼァブラウの執拗な爆撃で見る影もなく荒廃したキナバの街並みは、焦げ付いた家財道具の残骸を別にすれば、人の気配を感じさせない。
2019-05-11 21:25:37戦線の整理で近郊に展開していた陸軍が後退し、如何なる理由かゼァブラウの地上部隊も前進してこなかった結果、このあたりは両陣営に挟まれた戦力の空白地帯になっている。
2019-05-11 21:30:12だからここでは、僕みたいに撃墜されたパイロットが間抜け面を曝していても、追い立てられたりすることはないのだ。敵兵で出会う可能性があるのは、同じく撃墜されたパイロットだけ。しかもお互い会いたくない上に隠れる場所は山ほどあるから、滅多なことで遭遇することもない。
2019-05-11 21:38:05ただうんざりすることに、ここから基地まではちょっとじゃなく遠い。味方の前線もそれなりに遠い。でも非常食なんかを入れた脱出キットはそれを見越して用意してあるから、根気よく歩けば帰るのは難しくないけど、数日間歩き続けると考えると、あまり気分は上がらない。
2019-05-11 21:44:41とは言え、戦争するよりかは気楽な行程になるだろう。 問題があるとすれば…… 問題があるとすれば、目の前に泣いている女の子がいるということだ。
2019-05-11 21:46:12何でこんなところにと言う疑問は、彼女が姿形を見て解消した。僕と同じ、連邦空軍の飛行服。眉の高さで水平に切りそろえられた前髪と、肩の高さで同じく水平に切りそろえられた後ろ髪が、人形みたいにくりくりと可愛らしい印象を強める。 ……そしてその上にのった、猫と同じ形の耳。
2019-05-11 22:10:12よく見れば部隊章は第37飛行隊のもの。同じ基地の部隊だが、僕の居る第21飛行隊と違って、少数民族で構成される部隊だ。 なるほどと思った自分が嫌になる。徴兵される人数は、各民族の総数に合わせた固定値だ。この少女の出身地では大人が足りなくなったから、彼女が駆り出されたのだろう。
2019-05-11 22:16:22「やあ、どうも」 そう、声をかけてから、自分自身の行動を合理化する根拠が頭の中に浮かんでは消えていった。友軍同士なのだから協力しない理由がないとか、遭難者同士協力した方が生存率が上がるとか。 だが実際のところは、もっと衝動的なものだ。 ただ、泣いている子供を放っておけなかった。
2019-05-11 22:20:30声をかけてようやく、僕が近づいて来たのに気付いたようで、酷く驚いた顔をされた。僕は味方だとアピールするために、飛行服の国籍マークを指差した。
2019-05-11 22:29:41「僕はイェルバの村のアントン。第21飛行隊の中尉。パイロットをやってる」 泣き止まない彼女を前にどうしたらいいかわからなくて、取り敢えず自己紹介をした。怪しい者じゃないアピールに必死ともいえる。 「君はどこの子?」 相手にも自己紹介を促す。相互の自己紹介は、アイスブレーキングの初手。
2019-05-11 22:39:26それに猫耳族とは、交流がないわけでもない。以前別の戦区で撃墜されたときに、集落に一晩泊めてもらったことがあった。もし彼女がその時お世話になった部族とかかわりがあれば、そこをとっかかりに会話を膨らませられる。
2019-05-11 22:43:45「……うっ、ぐすっ…イクシュバルの子、ラダナ。少尉。パイロット」 ドンピシャだ。まさしく、以前に助けてもらった部族の者だった。 「本当かい?イクシュバルの人たちには前に助けてもらったことがあるんだ。前に撃墜されたときに、落ちたのが集落近くでさ、ご馳走になって、道も教えてもらった」
2019-05-11 23:06:28「おじさん……アン…トニー?さん、イクシュバルの縁者なの?」 アントンお兄さんです。 ともあれ泣くほどのことから気をそらせたので、このまま会話をつなぐ。 「うん、そうさ。それより下から見てたけど、すごい操縦上手だね。今回は撃墜されちゃったけどたまたまさ」
2019-05-11 23:50:05#・・・
そう言えば、この子はそれをわかっているだろうか。不安を煽りたくないけど、勘違いしていたらそれはそれで困る。 僕の苦笑いを見て、キョトンとした表情。 わかってないのかもしれない。でもどうやって、それを伝えようか。
2017-07-20 12:37:38「助けは来ない」 結局、単刀直入に伝えた。うまい言い方が思い付かなかったんだ。 とたんに絶望に染まる表情を見て、途方もない罪悪感を覚える。 そんな目で見ないでくれ。
2017-07-20 12:41:00「ああ、大丈夫! 基地には帰れるから! 大丈夫!」 慌てて大丈夫、大丈夫と連呼したが、いまいち自信はなかった。 道は大丈夫だ。この辺りはよく知ってる。迷うことは多分ない。 でも敵兵に出会ったら?野生動物の分布は? 軽くなったホルスターを意識する。留め具が千切れて、中身はなかった。
2017-07-20 17:28:53微妙な不安は見抜かれたようで、"大丈夫"は信用されてないようだった。 こういう時は根拠だ、根拠を示そう。なるべく自信ありげに。 「僕はこの辺に詳しいからね。ちょっと歩くけど、迷うことはないよ」 多少なりとも効果はあったようで、表情から暗さは消えたが、不信げな視線が残った。
2017-07-20 18:00:31くそう、そもそもこいつが簡単に千切れるのが悪いんだ。 ホルスターのまわりを弄ると、結構な力がかかったようで、留め具だけでなくまわりの縫い目もだいぶ傷んでいるようだった。 ん、この硬い感触はなんだろう? ああ、あれか! 流石僕だ、良いものがあるじゃあないか!
2017-07-20 18:11:47「まって、良いもの見つけた」 不審げな視線が強まる気がしたが、こいつはとっときだ。流れを無視して挽回出来よう。 左手で隠しポケットをまさぐって、小さい紙のケースを取り出した。
2017-07-20 22:11:57「これな~んだ」 「大河屋の羊羮!」 マジかよ、知ってんのかよ。 これに取り出したるは、老舗大河屋の小羊羮。素晴らしいその味は多くの兵士を魅力した至高の甘味。首都でしか購入できない故ろくに流通しないのが難点だが、まさか知っているとは……。
2017-07-20 22:23:30