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津城の南/東部を巡る

中継ぎが炎上したイライラから地図遊びをしてたら 「あれ?ここ歩いた事あるぞ」と気づく。 HDDを漁ると2013年に歩き回っていた事が判明、折角なので作った地図に撮影場所を明記してみる事に。
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やすなり @ysnrXF

2013年撮影の画像から津城を巡る。 主に外堀の南側と東丸之内を中心に、撮影した場所を地図に数字で表記しその場所の説明や小話をば #津城 pic.twitter.com/oPwSkajuzQ

2019-05-13 23:30:05
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やすなり @ysnrXF

①まずは三交バスの伊予町バス停から伊予町を望む。高虎が津に移る際、連れてきた旧領伊予の商人たちを城の南側岩田川沿いに住まわせたのが由緒。現在は百五銀行と天理教の土地で、2013年当時はここが百五銀行の本店であった。ちなみに撮影者の後ろ側は弓ノ町と呼ばれていた地区だ #津城 pic.twitter.com/rDxTDGYVA2

2019-05-13 23:35:05
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やすなり @ysnrXF

②岩田橋の袂を右折、河口方面へ少し歩くと歩行者専用の観音橋がありそこからの1枚。観音橋は後世に架けられた橋だが、旧伊勢街道・津観音に通じ恐らく往年の岩田橋を模しているのだろう。現行岩田橋(23号)、旧津丸の内ビル、外堀が見える #津城 pic.twitter.com/K62F78ukqu

2019-05-13 23:39:00
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やすなり @ysnrXF

③川沿いを西に進み岩田橋の袂へ。正面には鯔堀(岩田川と外堀の接続部)が見える、地図ではわかりにくいが外堀で一番幅が広いのがこの付近である。100m近くあったのだろうか、岩田川を足せば更に広い。右のビルは建て替え前の津丸の内ビル、真ん中の商店はその年秋に隣店の失火により焼失した #津城 pic.twitter.com/Ai4tg9Mr7w

2019-05-14 09:26:19
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やすなり @ysnrXF

④岩田橋を伊予町方面に渡り、鯔堀(外堀)・中島門・武家屋敷方面を眺める。堤防上の商店街は戦災復興期の名残だが現行法ではアウト、一度燃えたら二度と再建できないと聞く。今では見る影も無いが往時はこの場所から津城多門櫓群が見えたのでは?ちなみに全日本大学駅伝のコースでもある #津城 pic.twitter.com/xUf7mNpQEl

2019-05-14 09:35:31
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やすなり @ysnrXF

⑤岩田川沿い銀行と天理教施設前を通り西へ向かう。すると真ん中に昭和橋が見える。画面左側は嘗て佐伯家臣団が住んだ佐伯町、現在は公務員宿舎や住宅地となっている。右には中電の鉄塔が見えるが昭和9年までは其処も岩田川の中で、橋のある場所には中州があったらしい。柳の堤防は夜は怖い #津城 pic.twitter.com/C3PcuT6sh7

2019-05-14 09:40:00
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⑥昭和橋の袂で西丸之内の武家屋敷方面を見る。奥には鈴鹿の山が見え、♪鈴鹿の山と岩田川眺めて良い子は育ちゆく、のである。左側には修成橋へ延びる日中専用歩道がある。これは三重刑務所の敷地内を開放したもので、刑務所本体は見切れてしまっているが同地にはその昔佐伯家の神社があったとか #津城 pic.twitter.com/d6mLQhyQH2

2019-05-14 09:46:55
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やすなり @ysnrXF

⑦昭和橋から(左から)鯔堀岩田橋伊予町方面を見る。画面左にせり出す中電施設付近は昭和9年に埋め立てられた光徳寺新田だろう。また右手には今は無き旧百五銀行本店が見える。この辺りは夏はヘドロ臭く冬はカモメたちが休むスポットであった。今は欄干が低く見え結構怖い(昔は私が小さかった #津城 pic.twitter.com/XDU4VVsLp3

2019-05-14 09:52:18
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やすなり @ysnrXF

⑧昭和橋を渡り川沿いを東へ歩く。ここはせり出していた中電施設の裏でS9年に埋め立てられた光徳寺新田と呼ばれる区域。ここから堤防上の商店街を望むが、外堀は真ん中の駐車場Pの辺りに存在した。また奥の松菱駐車場の足元辺りが②の観音橋だ。この辺りはサギがよく休んでいたのを思い出す #津城 pic.twitter.com/z33PfJ2KhI

2019-05-14 10:13:38
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⑨更に進み堤防上の商店街へ。この道は23号線と津新町駅を結ぶ道路で、その昔外堀と岩田川の接続部があったものと考える。平成15年頃には既に寂れていたが、ユーキ模型はじめ何店かは今も頑張っている #津城 pic.twitter.com/nUQoks056d

2019-05-14 10:17:38
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やすなり @ysnrXF

⑩同じ場所から西側に振り返り津新町(南堀端武家屋敷/光徳寺新田/中島門)方面を眺める。 中島門というのは反対車線を走る銀色車の付近にあったのだろうと推測。 左の中部電力が建つ区域は昭和初期の埋め立てなので、往時はこの辺りまで岩田川の川幅があったのだろうか #津城 pic.twitter.com/sGhnUUcWO3

2019-05-14 10:30:04
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⑪津新町駅方面へ歩き光徳寺新田を眺める。今は中部電力鉄塔や家具屋岡本総本店が建つ。この二つに挟まれ先ほどの昭和橋がある。さて丁度、この反対側に中島門があった筈だが写真が無い。しかしそうなるとここが中島門の正面になるんだろう #津城 pic.twitter.com/6TzFSVHUt5

2019-05-14 10:35:41
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やすなり @ysnrXF

⑫さて中島門を離れ反転丸の内、国道23号方面へ。ここは全日本大学駅伝でもおなじみの景色で今も松菱百貨店が奮闘営業中だが、往時は外堀が広がっていたのだろう。城の東側、外堀を渡るとそこは伊勢街道で町人商人旅人で賑わっていたそうだ #津城 pic.twitter.com/C531jhN9YS

2019-05-14 10:41:15
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やすなり @ysnrXF

⑬23号線を北上し三重会館へ。この辺りが津市で最も広い交差点だと思う。往時、このあたりは武家屋敷があったが内堀北東隅という事で重臣屋敷があったのだと思う。外堀は正面都シティ津の裏側に流れていたと思われ、津観音や大門もこの裏に広がる #津城 pic.twitter.com/fdp0Ou1uno

2019-05-14 10:52:49
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やすなり @ysnrXF

⑭フェニックス通りの交差点から先ほどの撮影場所と内堀、京口門、本丸方面を眺める。京口門は津城の大手門で玄関口であった。そう考えると三重会館には夜行バスも発着するので、ここが今も昔も玄関口なのだと言える。また後述するが2013年撮影で今現在とは景色が変わっている。 #津城 pic.twitter.com/k9ZmQwIJ1J

2019-05-14 10:59:01
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やすなり @ysnrXF

⑮同じくフェニックス通りの交差点から反対側を向き外堀、民間利用エリア、寺社エリア、なぎさ町方面を眺める。恐らく正面の赤信号を横切る道路が外堀の跡地なのだろう。この辺りは眼鏡屋さんがあったり耳鼻科があったり床屋があったりなじみ深い場所 #津城 pic.twitter.com/C7kW9r8zvq

2019-05-14 11:03:18
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やすなり @ysnrXF

⑯都ホテルの前から丸の内を眺める。三重会館のバス停が見える。路線バスではイオン津南(昔はサンバレーか)や香良洲、警察学校、なぎさ町、津新町駅方面の便が発着。高速バスではさいたまから伊勢方面の便も通りまさに玄関口。奥にNTTの鉄塔が見えるが、往時付近に内堀があった #津城 pic.twitter.com/hS2vR1c5QC

2019-05-14 11:42:00
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やすなり @ysnrXF

⑰2013年当時はまだ丸の内の交差点から津城を眺める事が出来た、今はもう出来ない。アーケードの間にちょろっと見える櫓は津空襲復興櫓である、藤堂氏時代の史実とは違うが津市復興の象徴なのでこれも大事な歴史である。 #津城 pic.twitter.com/iuQydZoTMC

2019-05-14 11:50:07
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やすなり @ysnrXF

⑱さて再び23号線丸之内商店街に戻り、津城を目指す。正面に先ほどの復興櫓が見えるが、私には内堀と東之丸も見える。内堀は一時停止標識の辺りにあったのだろう? #津城 pic.twitter.com/4nYGznBumJ

2019-05-14 11:59:40
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⑲この道を進み内堀に立つと、目の前に東之丸そして奥に津城本丸が見える。復興櫓がそびえるが、往時此処に櫓は無かった。復興櫓は唯一残る写真を元に作られたが、その参考にした櫓は後述する場所にあった丑寅櫓である。奥には東鉄門があり城を守り、画面左側には太鼓櫓があった。 #津城 pic.twitter.com/1NRFRrc6uB

2019-05-14 12:15:13
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やすなり @ysnrXF

⑳丑寅櫓は目の前にせり出す石垣に存在した。つまり復興櫓を60m北へずらせば史実通りになるのだが、丸之内に見えるショベルカー付近には、昭和期はジャスコ、平成末期からは百五銀行本店が建ち眺めは最悪。だから小道でも23号線からチラッと見える東鉄門上のままで良いのだ #津城 pic.twitter.com/2mwhejJlkS

2019-05-14 12:21:49
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やすなり @ysnrXF

⑳続き ちなみに駐車場全部が内堀であるり、その幅はざっと8~90mちょいで如何に壮大な城であったか理解できよう #津城

2019-05-14 12:31:35
やすなり @ysnrXF

㉑本丸を抜け城山稲荷の横を通ると、このように古い石垣と津市健康福祉部の建物が相対する。この石垣こそ1580年に織田信包が築いた五層天守があった天守台である。関ヶ原前哨戦安濃津城の戦いで大きく損傷、高虎入府後は石垣が軽く修繕された程度で再建される事は無かった #津城 pic.twitter.com/gKyF9uncYw

2019-05-14 12:48:22
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やすなり @ysnrXF

㉒ここで再び本丸の丑寅櫓付近に戻る。現在内堀は半分以上が埋め立てられてしまい幅は20mしか無い。往時は白い津中央ビルの辺りまで堀は広がっており70m近くはあったものと考えられる。ちなみに現在は松が生い茂るこの石垣も往時は多聞櫓が連なって、さぞや壮観であった事だろう #津城 pic.twitter.com/4gYIc4mLMt

2019-05-14 13:10:34
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やすなり @ysnrXF

㉓市役所前に出て城を眺める。前後で石垣の高さが違うが、これが奥が先ほどまで居た本丸、手前が西之丸であった証である。津城の公園化に伴い本丸と西之丸接続部は大いに拡張され、残念ながら往時の姿を忍ぶ事は出来ない。本丸西隅には戌亥櫓が建ち、丑寅櫓と多聞櫓で結ばれていた #津城 pic.twitter.com/DrzSlsR3bT

2019-05-14 13:28:29
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