10周年のSPコンテンツ!
1

ポケモンキッズを用いたフィギュア野外撮影を、1都市1キャラのポケモンを分布させるというコンセプトで活動していて、ロケ都市数にして380箇所。それらを旅行記という形Twitterに連載し始め、ポケモンの指人形を撮影して回ったフィギュア野外撮影旅行記シリーズとして改めて作り直してみることに。
すると、改めて旅先のことを調べ直してみるまで知らないままであったことに出会えることがまた愉しいなど、堅い言葉遣いしかできない私にとって、旅行記という形態があるべき姿ではないかと思うほどに面白みを感じ始めた。

また、元来、トゥギャッターまとめへの投稿は単なるTwitterのバックアップのつもりであったが、徐々にTwitterへの投稿は紀行番組の本放送、トゥギャッターまとめは紀行番組の書籍版のような、異なる趣旨を持たせることが成立しつつある。
その流れで、暫定的に当企画の投稿を「不定期放送の教養番組『ポケモンキッズと巡る旅行記』シリーズ」と銘打ってみることに。

第9章は愛知・名古屋城エリアと定め、あたかもパチリスが名古屋城周辺に分布しているかのようにパチリスのポケモンの指人形を撮影して回った名城公園~久屋大通の旅行記。

kasadera@ポケモンキッズと旅する🎊12周年 @kasadera_flickr
それでは、不定期放送の教養番組「ポケモンキッズと巡る旅行記」シリーズ第9章、名古屋城エリアの投稿を始めましょう。 今回の旅のお供はパチリスです。 果たしてどんな出会いが待っているのでしょうか(♪番組オープニング効果音) pic.twitter.com/KxF4Ja1vRX
拡大
kasadera@ポケモンキッズと旅する🎊12周年 @kasadera_flickr
名古屋城エリアの旅行記、まずパチリスのポケモンキッズを連れてまず訪れたのはここ、名城公園です。 桜の季節でした。 城と桜って、似合いますね。 pic.twitter.com/1vGciMz4DT
拡大
kasadera@ポケモンキッズと旅する🎊12周年 @kasadera_flickr
パチリスのポケモンの指人形とともに、名城公園名城公園は名前からして昔から名古屋城の一部で…って思いがちですよね。 実は名城公園の大半のエリアはかつて名古屋城の北に隣接していた沼地だったんです。 pic.twitter.com/5FjC0wN1zA
拡大
kasadera@ポケモンキッズと旅する🎊12周年 @kasadera_flickr
そうはいっても、名城公園は花に溢れている場所です。 私も準備段階で、さぞかしポケモンキッズを撮影するにはもってこいの場所ではと踏んでいました。 そんな花と共に撮影したパチリスの写真が大量にありますので、それを貼りつつ、名古屋城エリアについてこれからお話ししていきましょう。 pic.twitter.com/3x5sICVnQt
拡大
拡大
kasadera@ポケモンキッズと旅する🎊12周年 @kasadera_flickr
以前、東京や大阪のかつての海岸線についてお話ししましたが、では名古屋はどうだったのか。 名古屋城から熱田神宮にかけての象の鼻のような台地が、海に突き出た半島だったんです。 濃尾平野は大胆に海。 「枇杷島」「津島」「長島」は本当に島(離島)だったんですよ。 pic.twitter.com/2qWEpR0uyT
拡大
リンク コンテンツ投稿 4 users 22 古代の名古屋と清洲城下 : Network2010.org 名古屋100km圏内の街道・歴史・文化・祭・イベント・観光情報など地域の魅力を独自に取材し、動画・写真でたっぷり紹介!
kasadera@ポケモンキッズと旅する🎊12周年 @kasadera_flickr
さて、戦国時代には影の薄い名古屋がいつ表舞台に出てきたのかというと、江戸時代になってからです。 私は最初のころは、戦国もののゲームで「何で清州が大都市なの」って思っていたほどでした。 pic.twitter.com/Cn3lhuMn62
拡大
拡大
kasadera@ポケモンキッズと旅する🎊12周年 @kasadera_flickr
織田信長が清州からどうのこうの、というのが戦国ものの初期ですが、当時は大都市名古屋は存在しなかったんですね。 豊臣秀吉の時代にもまたしかり。 そう、今日の名古屋の礎を築いたのは徳川家康なんです。 ほぼ1から名古屋の街を作り上げたわけですね。 pic.twitter.com/LeFUlVB66N
拡大
拡大
kasadera@ポケモンキッズと旅する🎊12周年 @kasadera_flickr
尾張の出身である織田信長・豊臣秀吉の時代には今日の名古屋はなく、三河出身の徳川家康が名古屋を築き上げた。 これを初めて聞いたときって、何となく皮肉に感じません? だって、現在の愛知県の県内の意識として(強制終了 pic.twitter.com/EaAU7UQLDX
拡大
拡大
kasadera@ポケモンキッズと旅する🎊12周年 @kasadera_flickr
名古屋は徳川家康が築いた大都市… これを私が初めて聞いた時には、東京の真の兄弟都市は名古屋なのでは?と思いました。 同じように徳川家康が築き上げた大都市、同じような現代に伝わる地名…。 埼玉県民である私が言うのもなんですけどね(汗) pic.twitter.com/2gkF1pcaw1
拡大
拡大
kasadera@ポケモンキッズと旅する🎊12周年 @kasadera_flickr
さて、古代には大胆に海だった濃尾平野に、現在の名古屋城から熱田神宮にかけての細長い半島が突き出していたと説明しました。 実はこれ逆に、安定した台地の端だったから名古屋城が建設された、とも言えるんですよ。 台地の端は、城の防衛にもってこいの立地なんです。 pic.twitter.com/VrHvIRxxAC
拡大
拡大
kasadera@ポケモンキッズと旅する🎊12周年 @kasadera_flickr
では、徳川家康が新たに名古屋の街を建設することになった。 城下町に住む人はどこから連れてきたのでしょう? 近くには今までの中心都市、清州がある。 そう、もともと清州にいた人を移住させたんですね。 近代以前の歴史上では珍しい、いわば「集団移住」です(清洲越しpic.twitter.com/CCHANPi4au
拡大
拡大
リンク Wikipedia 2 users 清洲越し 清洲越し(きよすごし)は、慶長17年(1612年)頃から元和2年(1616年)までのころに行われた、名古屋城の築城に伴う清洲から名古屋への都市の移転をいう。これにより、名古屋という都市が誕生した。 本項で扱う清洲越しには従来より表記の混用が見られ、文献によっては清須越などの表記もみられる。以下本項における記述は清洲越しで統一する。 尾張国(現・愛知県)の中心は、長らく..
kasadera@ポケモンキッズと旅する🎊12周年 @kasadera_flickr
さて、フィギュア野外撮影の写真を添えつつ、名古屋の来歴についてお話ししたところで、フィギュア野外撮影の写真そのものについてのお話しに移りましょうか。 はい、まだ初期の頃でしたので、どの場所にどのポケモンを分布させようか、といったことは深く考えていませんでした。 pic.twitter.com/NekiuckMes
拡大
拡大
kasadera@ポケモンキッズと旅する🎊12周年 @kasadera_flickr
ここだけの話、まだ初期の頃ということは、手持ちのポケモンキッズの数も多くなかったんです。 とりあえず桜の季節だし、薄い色をしているポケモンなら桜の色合いに合うのではとは考えていましたね。 そうして、たまたま目の前にあったパチリスのポケモンキッズを名古屋城まで連れてきた次第です。 pic.twitter.com/hJ0f4tdFlj
拡大
拡大
kasadera@ポケモンキッズと旅する🎊12周年 @kasadera_flickr
予め調べてみると、名古屋城の北に隣接した名城公園は花がたくさんあるとのことで、たびたび申し上げている「ポケモンキッズを撮影するのに最も合うのは花」という私の持論を実践しに行きました。 私も名城公園は名古屋城の一部ではない、なんて今回調べて初めて知りました。 pic.twitter.com/a0NC6xKjgY
拡大
拡大
kasadera@ポケモンキッズと旅する🎊12周年 @kasadera_flickr
こうして、パチリスのポケモンの指人形を花と写した写真がたくさん撮影できたことで、名古屋城に連れて行ったポケモンキッズはパチリスにしたことは、ここでも結果的に正解となり、大変良いものであったと思います。 pic.twitter.com/9mMmqVjLln
拡大
拡大
kasadera@ポケモンキッズと旅する🎊12周年 @kasadera_flickr
本日の投稿はここまで。 次回は名城公園をあとにし、パチリスのポケモンキッズを連れて、いよいよ名古屋城の中へと入っていきます。 ありがとうございました。 pic.twitter.com/5fF4Xik2bI
拡大

名城公園を投稿したのとは別の日の投稿として、名古屋城以南での投稿に移る。

kasadera@ポケモンキッズと旅する🎊12周年 @kasadera_flickr
パチリスのポケモンキッズを連れて名古屋城の中(正確に言うなら有料エリア)へと入ってきました。 桜の美しい季節。 はらはらと散る桜の花びら。 ポケモンの指人形の大きさ的にも、花と一緒がよく映える。 pic.twitter.com/VzOHWqy3eP
拡大
kasadera@ポケモンキッズと旅する🎊12周年 @kasadera_flickr
さて、戦国時代には名古屋とあまり縁のなかった徳川家康が名古屋城を築城した歴史は前回述べました。 では、徳川の世となった江戸時代には? ここで出てくるのは尾張徳川家。 徳川将軍家の分家の中でも、もし将軍家が断絶した場合は世継ぎを送り出すことのできた「徳川御三家」のひとつですね。 pic.twitter.com/byI1WWfrok
拡大
リンク Wikipedia 14 尾張徳川家 尾張徳川家(おわりとくがわけ)は、徳川氏の支系徳川御三家の一つで、尾張藩主の家系。尾張大納言家、単に尾張家、尾州家とも言う。御三家の筆頭格であり、諸大名の中で最高の格式(家格)を有した。 徳川家康の九男徳川義直(五郎太、義俊、義利)を家祖とする。義直は慶長8年(1603年)に家康から甲斐国に封じられるが、甲斐統治は甲府城代平岩親吉によって担われており、五郎太自身..
kasadera@ポケモンキッズと旅する🎊12周年 @kasadera_flickr
名古屋城を居城として尾張周辺を治めた尾張徳川家は、徳川家康の九男、徳川義直の家系です。 他の御三家は、十男徳川頼宣の紀州徳川家と、十一男徳川頼房の水戸徳川家です。 これらの三つの分家が徳川御三家と呼ばれたわけですね。 pic.twitter.com/zoQ4RA4wrs
拡大
残りを読む(30)

コメント

コメントがまだありません。感想を最初に伝えてみませんか?

ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする