哲学史研究と哲学研究との混同

悩む人の心に直接響く論理を放つものこそ真の哲学作品ですが、そのようなものが生まれるのは、ただ哲学史研究の延長線上においてのみで、偉大な哲学者も最初は皆哲学史研究から始めているという、よく考えれば眉唾物のそのような理窟を信じることはできません。
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大角 康 @koukaku0811

人の心に本当に届く文章は、それを書くなかで作者が内面的に変化してゆくもので、このような文章こそ文学です。 大学で書かれる哲学論文のほとんどは文学ではないために、人の心に届きません。 それは緻密を極めておりますが、そのような緻密さは、今この瞬間にしか生まれない閃きの流れ twitter.com/EssentialWord1…

2019-05-15 15:05:30
村上春樹のつぶやきbot @EssentialWord1

僕はね、小説書くのは自己解放だとは思わない。自己変革だと思うわけ。小説書くことで、自分が変わっていくインパクトっていうか、刺激になればね、小説ってそういうものじゃないかなって気がするけど。

2019-05-15 14:28:16
大角 康 @koukaku0811

に身を委ねるという仕方ではなく、事前に立てた綿密な計画にしたがうことでしか生まれません。それは創作活動というよりも、経営活動です。 そのようなものを書かれる方が「自分は創作する気はない」と仰るなら、それは一つの認められるべき形でしょう。その方は哲学史研究者です。 認め

2019-05-15 15:05:31
大角 康 @koukaku0811

られるべきでないのは哲学史研究自体ではなく、哲学史研究者が「哲学者」と名乗ることです。 ましてやさらに認められるべきでないのは、哲学史研究者が哲学者と名乗った末に、自分の研究方法を、哲学の研究方法の唯一の道だとなぜか断ずることです。この動きが明らかに今の哲学界にあることが私には

2019-05-15 15:05:31
大角 康 @koukaku0811

とても気がかりで、本来ならば哲学研究と手を取り合うはずの哲学史研究が、逆に足を引っ張っていることの原因はここにこそあります。

2019-05-15 15:05:31
大角 康 @koukaku0811

人文科学の源流のはずの哲学にかかわる者として切に思うのは、下記のような空気を招来した責任の一端は、文献学に終始するあまり、悩む心に直接響いて人生を動かす力強い言葉を生まなくなった哲学研究者にもある、ということです。 本当に求めた時に胸に響いてくれる作品は、その存在感が時間とともに twitter.com/yamagiwa_j_bot…

2019-05-18 14:42:52
山極壽一 京都大学元総長の名言bot @yamagiwa_j_bot

昨今の「人文社会学系の学部の廃止や統合を」という文部科学省の要請や、「社会ですぐに役立つ人材の養成を」という産業界の要請は大学の持つ多様性とその重要性への誤解から生じている。また一方でそれは大学が多様性を生かし切らずその成果を社会へ発信する努力を怠ってきたことにもよると私は思う。

2019-05-18 08:49:16
大角 康 @koukaku0811

増してゆきます。 文献学的方法自体を否定したいわけではなく、文献学的方法こそ唯一の哲学研究方法だと断ずることが危険だと心底思うのです。

2019-05-18 14:42:52