10周年のSPコンテンツ!
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SCOOL @mitakaSCOOL
【新着!】5/19日 17:00〜 いぬのせなか座 連続講座=言語表現を酷使する(ための)レイアウト 第4回「小さな灰色の矩形」 講師:いぬのせなか座 ゲスト:𠮷田恭大 ◎予約受付開始しました! scool.jp/event/20190519/
佐々木敦 @sasakiatsushi
偶然にも同日同刻。 光と影か、光と私語か? scool.jp/event/20190519/ pic.twitter.com/GM2NYhvhmC
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Дая@光と私語 @nanka_daya
いぬのせなか座連続講座/『光と私語』テキストの二次利用について note.mu/nanka_daya/n/n…
SCOOL @mitakaSCOOL
【今週末開催!】5/19日 17:00〜 いぬのせなか座 連続講座=言語表現を酷使する(ための)レイアウト 第4回「小さな灰色の矩形」 講師:いぬのせなか座 ゲスト:𠮷田恭大 ◎お席埋まってきておりますので、ご予約お急ぎください! scool.jp/event/20190519/
(∵`)<hiroki_yamamoto @hiroki_yamamoto
いぬのせなか座連続講座4、あっというまに今週末です。 全体を貫く主題としてあがっているのは、〈動線〉です。 もうすでにだいぶ埋まっているみたいです。ぜひご予約のうえご来場下さい。 twitter.com/mitakaSCOOL/st…
@ana_ta_des
今日はよく光と私語を回した
笠井康平 @kasaikouhei
SCOOL連続講座のレジュメ、なんかみんながっつり書き込んで、ばっちり仕上げてきている
笠井康平 @kasaikouhei
今夜のレジュメがものすごい勢いで作られている。ホームパーティがある日の朝みたいだ。
笠井康平 @kasaikouhei
いぬのせなか座連続講座=言語表現を酷使する(ための)レイアウト 第3回「10日間で作文を上手にする方法」講演記録が発売されました! 上演台本やプレゼン資料、当日の対話・メモ、機械翻訳テストの結果など多種類のドキュメントを収録。文章表現の勉強にも役立ちます。 note.mu/inunosenakaza/…
SCOOL @mitakaSCOOL
【本日開催!】5/19日 17:00〜 いぬのせなか座 連続講座=言語表現を酷使する(ための)レイアウト 第4回「小さな灰色の矩形」 講師:いぬのせなか座 ゲスト:𠮷田恭大 ◎当日券も若干枚ご用意しております。 scool.jp/event/20190519/
伊藤元晴(イトウモ)/LOCUST所属 @gomzo__i
いぬのせなか座。吉田恭大さん、明晰な人だった。「人生」があんなに生でテクニカルに語られるのを初めて見た
秋月祐一 @capybara510
いぬのせなか座 連続講座 第4回「小さな灰色の矩形」@三鷹SCOOL。歌集『光と私語』の著者、𠮷田恭大さんがゲストの会。『光と私語』のデザインの秘密の一端や、だやさんの短歌に人生をかけない方法について、興味深い話を伺うことができました。
武本拓也 @takuya_takemoto
いぬのせなか座連続講座、やっと行けた。
佐々木敦 @sasakiatsushi
いぬのせなか座の連続講座=言語表現を酷使する(ための)レイアウト 第4回「小さな灰色の矩形」、今回は吉田恭大『光と私語』刊行記念として、いぬせなフルメンバーに吉田さんを加えた6名での座談会。3時間の討議は結果としてほぼ「私性」と「人生」の問題に収斂することとなった。
佐々木敦 @sasakiatsushi
のちに『新しい小説のために』の第二部になる「新・私小説論」を群像で連載していた時、斉藤斎藤さんが興味を持ってくれて、短歌の「私」と小説の「私」をテーマに紀伊国屋書店で対談したことがあった。僕はその時も現在も短詩形については素人読者でしかないが、斉藤さんと話して色々考えさせられた。
佐々木敦 @sasakiatsushi
その時は大辻隆弘の『子規への遡行』なんかが話題にされ、短歌における「私性」という厄介な問題が語られた。同書はその時は読んでおらず、昨年だかに新版をやっと入手した。今日のレジュメでは吉田さんが岡井隆の『現代短歌入門』の一節を「呪いの言葉」として引いていた。 pic.twitter.com/c5nB0FfVrP
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佐々木敦 @sasakiatsushi
短歌の「私」は詠み手である「私」である、べきだ?というのはもちろん単純に過ぎ、しかしそういう圧が存在するからこそ寺山とかの企みがあったわけでもある。僕がいわゆる「私小説」について書いたのは、私小説ほど嘘をつく、ということだったが、今日の話を聞きながら考えていたのは少し別のことだ。
佐々木敦 @sasakiatsushi
ざっくり「私性」と呼ばれるものが詠み手の「人生」の反映なり表出を第一義的に意味するとして、その「人生」の事実性みたいなもの、要するに「これは本当のことです」という主張あるいは匂わせが、そこでの「私性」の主たる指標になっているのだが、そういうの以外にも「私性」はあるのではないかと。
佐々木敦 @sasakiatsushi
たとえば母親を亡くした哀しみを詠った歌の詠み手の母親が実は健在だったとして、それは嘘をついたわけだが、しかしそういう嘘をつく「私」ということでもあるわけで、その人自身の実人生というリソースだけでなく、それをどう処理してるかの中に「私性」は滲み出る。これは全く単純過ぎる例だけども。
佐々木敦 @sasakiatsushi
思ったのはつまり「私性」と「私の人生」はイコールではなく、他にも色々なファクターがあり、そこら辺を掘っていって欲しいなと。きわどい言い方をすれば「私が私がと言いたくない私」というのもあるわけだし。
佐々木敦 @sasakiatsushi
そういえば、僕もかつて音楽批評に一人称を使わない、という決め事をしていた時期があった。僕が僕だからそう考える、のではなく、あたかも客観的な事実を述べるように批評的言説を書きたい、的な? でもそれは、そういうオレ、だったわけだ。
佐々木敦 @sasakiatsushi
実はいま群像でやってる連載も一人称を一切使わないで書いてるのだけど。
佐々木敦 @sasakiatsushi
それはともかく今日の吉田さんの話で僕的に印象的だったのは「作者が短歌だといえば、それは短歌になる」という一言だった。これは一見、制度的な問題のようだけれど、「この「私」が「短歌」のつもりで書いたのだから、これは「短歌」なのだ」ということでもあるわけで、これも「私性」の問題である。
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