パハマン事件:オーストリア共和国、「熊沢天皇」のような輩をハプスブルク一族と認定してしまう

1965年にハプスブルク一族だと公的に認定された家族、2013年にDNA鑑定によって、やっぱりハプスブルク家とは無関係であると判明。おまけとしてポルトガルとモンテネグロの自称王族のお話も少々。
世界史 ハプスブルク家 オーストリア DNA
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財布を忘れて愉快なヲウストリ大公妃 @Kakanien_Sazae
オーストリア皇太子ルドルフが、同族であるトスカーナ大公家の娘マリア・アントニエッタと秘密結婚して儲けたという「息子」の子孫が、オーストリアの裁判所によって「ハプスブルク家」と認定されたという、目を疑うような記事。なお2013年にDNA鑑定で血統が否定された模様。 kurier.at/chronik/oester…
リンク kurier.at 8 Das letzte Habsburg-Rätsel: "Der Fall Pachmann" Eine DNA-Analyse löst einen spektakulären Familienkrimi.
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記事によると、オーストリア皇太子ルドルフはまだ花嫁を探していた頃に、同族であるトスカーナ大公フェルディナンド4世の娘マリア・アントニエッタと恋に落ちたそうです。二人が血縁関係にあることは結婚の障害にはならず、むしろ皇太子妃としてふさわしい家柄であるとして好ましく思われていました。 pic.twitter.com/8DsoZXJZ1c
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しかし、宮廷医による診断の結果、マリア・アントニエッタの肺の羸弱さが判明しました。健康に問題のある女性を、何よりも健康なお世継ぎを求められる皇太子妃にするわけにはいきません。花嫁には不適切だと考えられました。それでもルドルフは諦めず、マリア・アントニエッタを想い続けたといいます。
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マリア・アントニエッタはプラハの修道院へ強制的に送られましたが、ルドルフは帝国陸軍第36歩兵連隊の軍務でプラハにいたため、定期的に逢いに行ったといいます。1880年1月1日、ルドルフはついに彼女と秘密結婚してしまいます。翌1881年5月10日、ルドルフはベルギー王女を皇太子妃として迎えました。
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これが事実だとするなら、当時のルドルフは同時に二人の妻を持っていたことになります。そして1883年3月7日、マリア・アントニエッタは「カール・ルドルフ」と名付けられた男児を産んだといいます。マリア・アントニエッタはそれから間もない4月13日に、生まれたばかりの赤子を残して世を去りました。
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秘密結婚といえども神の御前で誓いをしたのであれば宗教的には合法なので、ルドルフ皇太子の息子「カール・ルドルフ」は「ハプスブルク=ロートリンゲン」の姓を名乗る権利を有します。しかし、帝室の体面もあり公にできません。そこでエリーザベト皇后は、母親を失った孫のために奔走したといいます。
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その頃、生後間もない「ローベルト」という息子を亡くしたハインリヒ・パハマン(Heinrich Pachmann)という人物がいました。エリーザベト皇后はこの夫妻に孫を託すことにしたそうです。男児は「ローベルト」の名を改めて与えられ、「ローベルト・パハマン(Robert Pachmann)」として育てられました。
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やがて第一次世界大戦に敗れてオーストリア=ハンガリー帝国が崩壊した後、故ルドルフ皇太子の息子だというこのローベルト・パハマンは、ハプスブルク=ロートリンゲン一族としてオーストリア第一共和国に認めてもらおうとして行動を起こしましたが、それらの試みはすべて門前払いされたとのことです。
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しかし、のちに状況が一変します。1965年9月11日、ローベルトの息子テオドール・パハマン(Theodor Pachmann)が、なんとオーストリアの裁判所によってハプスブルク一族であるとの認定を受けたのです! ※1966年2月7日の記事アーカイブ。証拠も列挙されているので参照すべし。 spiegel.de/spiegel/print/…
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翌年には、ウィーン地方裁判所の2回目の判断が示されました。「ハプスブルク=ロートリンゲン」の姓を用いることを許可する、と。さらに1976年7月20日、ザルツブルク地方裁判所が、明確で新しい第三の判断を下しました。「テオドール・パハマンは、まさに皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の曾孫である」と。 pic.twitter.com/pPVAsrORhT
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このようにオーストリアの司法当局がハプスブルク一族と認定したことで、大きな反響がありました。「新しい大公」や「ハプスブルク家の(真の)当主」といった報道がされて、国際的にセンセーションを巻き起こしました。元皇太子オットー・フォン・ハプスブルクには、もはや当主を務める権利なし、と。
2013年、フランツ・フェルディナント大公の子孫と、Y染色体を比較することに。 そして飛び出す驚愕の結果!(もう皆さんまとめのタイトルで分かってますよね?)
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しかし司法当局が認定したとき、DNA鑑定はまだ行われていませんでした。そこで2013年、テオドール・パハマンの息子たちとホーエンベルク公爵ゲオルク殿下のDNAを比較することになりました。ホーエンベルク公爵といえば、あのサラエボ事件で斃れた帝位継承者フランツ・フェルディナント大公の子孫です。 pic.twitter.com/ZgQRFJITP7
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はくえー@アラウカニア=パタゴニアを推せ @tomoshibi6o6o
ゲオルク・ホーエンベルク(1929~) 第一次世界大戦のきっかけ、サラエボ事件で射殺されたフランツ=フェルディナント大公の直孫です。 ホーエンベルク公。若い時は外交官をされ、同時に先祖の事跡に関する研究をされたことから「博士」と呼ばれています。 金羊毛騎士団員に列せられています。 pic.twitter.com/qDxhZPVOkm
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フランツ・フェルディナント大公は、ゾフィー・ホテクという伯爵令嬢と恋に落ちました。伯爵家ではハプスブルク家には到底釣り合わないので、この恋は大問題になりました。結局、子孫に「ハプスブルク=ロートリンゲン」の家名を認めないといった諸条件のもとで結婚が認められたという経緯があります。 pic.twitter.com/mdFTOCXl7O
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「ハプスブルク=ロートリンゲン」の姓を称してこそいないものの、血統的には紛れもなくハプスブルク=ロートリンゲン家そのものであるホーエンベルク公爵家。その当主とDNAを比較してみれば、本当にルドルフ皇太子の血を引いているかどうかが科学的に解明できるというわけです。さて、どうなるッ!?
財布を忘れて愉快なヲウストリ大公妃 @Kakanien_Sazae
……などと煽るまでもないですね。すでに冒頭に書いてあるように、ホーエンベルク公爵との血縁関係は認められませんでした。普通に考えれば、当然ハプスブルク=ロートリンゲン家とも関係がないことになります。皇帝一族とはまったく無関係の家系であるということが科学的に示されてしまったわけです。
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なお、この結果を受けてライナー・パハマン(Rainer Pachmann)は「ルドルフ皇太子と私の間で直接比較された場合にのみ」結果を認めたいと語っています。要するに、ホーエンベルク公爵家の中で間違いが生じているかもしれないではないか、という何とも往生際の悪い態度です。 kurier.at/chronik/oester…
リンク kurier.at 2 Wie es im Fall Pachmann weitergeht Die angeblichen Nachfahren des Kronprinzen Rudolf wollen weiterforschen.
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1948年にオスカー・ミティス(Oskar Mitis)という著名な歴史学者らが、文献調査後に「ルドルフ皇太子とマリア・アントニエッタの結婚は事実である」うんぬんとインタビューで答えているそうなので、当時は正真正銘のルドルフ皇太子の家系が残っていると信じる人が多かったのかもしれないですね……。
仲晃『「うたかたの恋」の真実:ハプスブルク皇太子心中事件』(青灯社、2005年) ルドルフ皇太子とトスカーナ大公女マリア・アントニエッタの恋の話は、この本の中でも触れられているとのこと。
《或る読者の感想》

『うたかたの恋』の真実 ハプスブルク皇太子心中事件http://www4.plala.or.jp/jupiter1229/hobby/aust.htm
19歳の時にトスカーナ公国の公女と恋に落ち、密かに結婚した。そして公女は男子を産んで亡くなったという。
証拠不十分なエピソードを断定形と推定形を交えて書くというのはどうかと思うのだが…。
ルドルフの庶子30人のエピソードも書いてある。これは良く聞くエピソードなので、さほど気にはならないが、トスカーナの公女とのロマンスは取り立てて書くことだったのだろうか?」

例のDNA鑑定の前の本ですし、オーストリア共和国がハプスブルク一族と公式に認定した事実を踏まえると、まあ筆者がこのように記述したのも分からないではないですね……。

っていうか「ルドルフの庶子30人」って何(真顔)

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コメント

さどはらめぐる @M__Sadohara 2019年5月25日
まあ、ルドルフ皇太子の件についてあまり赤裸々に書くと危険だよね。生涯未婚のクリムトでさえわかってるだけで子供14人いるらしいから、皇太子ともなればその倍ぐらいはいてもおかしくない。日本でも徳川家斉は57人子供作ってるしね。
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