議論ログ・武富健治『掃除当番』を媒介にして

気まぐれにまとめ
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北條カズマレ @Tangsten_animal

前に書いたメモを垂れ流しています 強者が力を持つように、弱者も力を持っている。それは力とすら呼べないおぞましいもので……毒。毒としか呼べない。悪と読み替えてもいい。悪は弱者の持ち物だ。強者が持っていていいものではない。強者が悪を持っているとすれば、それは弱者から盗んできたものだ。

2019-05-20 01:06:35
北條カズマレ @Tangsten_animal

だから、強者は善でなければならないし、弱者は悪でなければならないのだ。少なくとも、弱者の悪徳は許されなければならない。

2019-05-20 01:06:57
北條カズマレ @Tangsten_animal

『鈴木先生』においては、強者と弱者という問題設定はやはり存在する。 むしろ強者も弱者も平等に背負うべき責務を強者が強者であるから弱者が責務を免れ強者に背負わせる理不尽。

2019-05-20 01:08:42
北條カズマレ @Tangsten_animal

弱者が弱者であるのは「普通のこと」。堕落は自然であり致し方ないこととして絶望される。しかしそこを何とか普通以上の努力を示していただくことで、世界はよりよくなる、という思想。「普通」より恵まれた人間が配慮と肩代わりをすることが当然の責務とされる、弱者を弱者たらしめる「事情」。

2019-05-20 01:11:14
北條カズマレ @Tangsten_animal

悪徳の追認=堕落の許可は弱者と悪徳の本質的同一化を再生産する、偽の寛容性……というツッコミが入った。

2019-05-20 01:12:08
北條カズマレ @Tangsten_animal

あなたは明確な欠落の存在しない「強者」なのだから、配慮されるべき「弱者」の責務を肩代わりしなさい。という文脈において、「」内は逆では?他人に責務をアウトソーシングできることが「強者」の条件なら、完全で十分な配慮がなされた「弱者」はむしろ強者なのでは?

2019-05-20 01:13:13
北條カズマレ @Tangsten_animal

そもそもあらゆる欠落を完全に埋め合わせることができる「十分な支援」など現時点では存在しない。欠落を充填することで全員が平等になれるという理想が存在し、弱者が負い目により弱者性を強化したり、逆に疑似的な強者に転じたりという現実が存在する。

2019-05-20 01:14:35
北條カズマレ @Tangsten_animal

→反応)弱者の存在が不当なのではなく、強者の存在が不当なのである。完全無欠の欠落のないアイディアルな存在が前提なのではなく、各人が各人、欠落を有しているのがデフォルトであり、強者とはその欠落を不当に充填された、あるいは無化された存在なのである。

2019-05-20 01:15:58
北條カズマレ @Tangsten_animal

武富作品における、特に、『掃除当番』における弱者と強者とは? →主人公は「強者」である。この世界観における判断基準からは、一見して配慮に足るだけの欠落を見出すことができないからである。 しかし……彼女はむしろ、欠落を抱えているのに不当にそれを無化された「強者」なのである。

2019-05-20 01:16:53
北條カズマレ @Tangsten_animal

自分の身に降りかかった理不尽を受け入れることしかできないという欠落。掃除当番をぶっちする、責務をアウトソーシングできる者たち、は、自らの欠落をことさらに強調することで配慮を独占することのできる特権的地位を獲得する不断の努力を欠かさず、現在の「配慮を受ける弱者」という地位を獲得する

2019-05-20 01:17:38
北條カズマレ @Tangsten_animal

…ここに強者は存在しない。

2019-05-20 01:18:07
北條カズマレ @Tangsten_animal

主人公は「恵まれているから、幸福だから、『強者』をやめられない。自分の事情は配慮を受けるには不十分であると感じている。『事情』という特権の不足を感じている自分は強者であるのだから配慮する側、弱者を支援する側でなくてはならないという認識。

2019-05-20 01:19:31
北條カズマレ @Tangsten_animal

支援、とは、「弱者」が放棄・逃亡した掃除当番という責務を、残されたものが不満なしに引き受けること。 この場合の支援、とは、弱者の弱者性を直接的に解消することではなく、弱者にも強者にも平等に降りかかる責務を弱者特有の「配慮されるべき事情」を理由に強者へとアウトソーシングすること。

2019-05-20 01:20:02
北條カズマレ @Tangsten_animal

責務、は、結果的に、「強者」に優先的に与えられる。主人公はもっとも称賛を受け、その尊厳を強化されるべき立場にいるが、配慮されるべき事情を持つ弱者たちの尊厳を傷つけないためにそうされる機会を奪われている。

2019-05-20 01:20:58
北條カズマレ @Tangsten_animal

NASU「掃除当番の主人公のその後のように、堕落せずにいるものは自分は何をしても美しいと自分を信じられる。」 美人は何を着ても美人 →行為者差別? →どうせ自分の場合は何をしても kill it before it growthとか言われる  という絶望が堕落へ走らせる。 ここまでメモ終わり。

2019-05-20 01:22:29
NASU @isunanasu

@Tangsten_animal 基本的に、私の立場は今もこれとほぼ変わりませんね。

2019-05-20 01:41:23
NASU @isunanasu

@Tangsten_animal まあつまり、社会貢献のない自己実現はあるかもしれないが、自己実現のない社会貢献はありうるのかという点ですね。

2019-05-20 02:12:31
NASU @isunanasu

@Tangsten_animal 掃除当番に関してはやはり私の立場はかわっていません。ただ強者と弱者の定義の違いを感じる面はあります。強者とは端的に、責務の軛から解放されている者です。即ち、責務を負っている/負っていないという眼で眺められず、ただ責務という概念からあらかじめ除外されている者という意味です

2019-05-20 03:50:57
NASU @isunanasu

@Tangsten_animal そのうえで彼らが責務の世界に参入することは望外の慈愛であり、彼らをさらに崇高にする。逆に責務の軛にある者にとって、責務を負うことはその責務を責務として負わされるに相応しい”罪人”であることの表示となってしまう。

2019-05-20 03:53:43
NASU @isunanasu

@Tangsten_animal 前回と繰り返しになりますが、同じ行為を遂行することが真逆の意味をもたらす。乞食が通行人に握手を求める光景と、アイドルや国王が通行人に握手を求める光景を比較してください。

2019-05-20 03:56:38
NASU @isunanasu

@Tangsten_animal これほどに鮮明ではないですが、掃除当番という責務が登場人物のそれぞれにとって不均等な結果をもたらすだろうということが感じ取れるのです。

2019-05-20 04:00:06
NASU @isunanasu

@Tangsten_animal 責務世界の中には弱者しかいない。そのなかで責務を逃れ得た(しかし責務を逃れているという眼からは逃れられない)ものと、責務をおしつけられた(しかし押し付けられたとは見られず、要領が悪かった、責務を負って当然の卑しい奴、という眼で見られる)ものが存在する。

2019-05-20 04:03:22
NASU @isunanasu

@Tangsten_animal 同時に責務世界の外に強者がいる。彼らにはそもそも責務を負うべきであるという発想の眼がとどかない。苦役と無縁である特権をもっているという発想すら届かない程遠くに苦役と無縁である特権をもって生きている。

2019-05-20 04:07:02
NASU @isunanasu

@Tangsten_animal そして彼らがひととき責務世界におりて責務を背負う時、なぜか”責務を負えば負うほどそのような責務とは本来程遠い崇高な存在であることが鮮やかに強調されてしまう”。やや同じ事態の言い換えになりますが、責務を逃れるかどうかではなく、逃れた、負った際にどのような眼で捉えられるか

2019-05-20 04:09:30
NASU @isunanasu

@Tangsten_animal そこに強者と弱者の分かれ目がある、ように感じられるのです。その別れを決定づけている諸々の属性を、資本と呼びたい。

2019-05-20 04:12:51
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