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2019年5月31日

「関ヶ原の戦いは誇張されている」…としたら、誰が何のために「話を盛った」んだろう?

6月2日に、司馬遼太郎原作で岡田准一が石田三成、役所広司が徳川家康を演じた「関ヶ原」が地上波放送されます。それはそれとして、関ヶ原は近年の研究で、有名なエピソードのいくつかが「創作。史実ではない」と言われるようになってきました。その研究とは別に「じゃあそういう話は、なぜ、どのように創作されてきたのか?」というところも、議論になりますよね。
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タグ「関ヶ原」
https://togetter.com/t/関ヶ原

kooss公式 編集室(run) @jfifdecoder

関ヶ原 番宣 2019年6月2日(日)夜9時放送 30秒版配信📺 出演 岡田准一,役所広司,有村架純,東出昌大,松山ケンイチ,滝藤賢一,壇蜜,中越典子,伊藤歩,平岳大 他 cm.bb-navi.com/_okadajyunichi/ cm.bb-navi.com/CM.76364.html pic.twitter.com/XqmIMKF5Wv

2019-05-24 19:28:45
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タモ氏@日本100名城紀行 @CastleTamoshi

祝🌸 映画関ヶ原地上波初放送 と言うことで 私も初の #松尾山城 登城のため 今朝は関ヶ原にJRで移動中😁 予報のとおり暑くなりそうです😅 映画『関ヶ原』PR動画 2019年6月2日(日)よる9:00~放送! – テレビ番組予告動画+α youtubetrend.net/tv/tv-asahi/17…

2019-05-25 06:46:30
リンク テレビ番組予告動画+α 映画『関ヶ原』PR動画 2019年6月2日(日)よる9:00~放送! 説明 映画『関ヶ原』 2019年6月2日(日)よる9:00~テレビ朝日系にて放送 戦国史上最大の合戦を初の完全…
ドンじょぶお @urakkun26

>結局のところ織田信長はあるべき政態の概念はあったがそれは既成の室町体制であり復旧を目指したが尾張と畿内で蹉跌を繰り返したという事になるか。「下克上の申し子革命児信長」というイメージは高度成長期昭和日本の理想を一人の中世人にお仕着せる事で創造されたフィクションなんだろう。

2019-05-26 01:40:06
ドンじょぶお @urakkun26

羽柴秀吉にしても信長鏖殺で腹背に敵を受け滅亡の危機を機略で乗り越えた織田重臣が生き残りをかけて火の粉を払ううちに名目上でも織田体制を維持する建前が破綻してしまったという風にも見える。東亜の撹乱者となったのは弥縫策を続けた結果であろうし化け物でもサイコでもない。

2019-05-26 01:40:06
ドンじょぶお @urakkun26

徳川家康も秀吉無き豊臣体制という不安定な状況下で領地をいかに保全するかという徳川側の模索と秀吉取り立て大名の奉行反奉行派分裂という羽柴側の事情が複合した結果権力闘争に突入し、勝利した代償として秀吉に代わるポジションを埋めることになったみたいだが。猫かぶり狸親爺は講談のキャラだな。

2019-05-26 01:40:07
ドンじょぶお @urakkun26

まあかくあって欲しいという理想像を歴史上人物にポジティブネガティブいずれであっても先に嵌め込んで後から分析するというのは歴史学的態度では無いという鳥瞰的な批評視野はキープしておきたいものだ。

2019-05-26 01:40:08
ドンじょぶお @urakkun26

やはり歴史を俯瞰するとき推しキャラを持つと不自由というのが当方の見解だし実際歴史理解のスクラップ&ビルドを行うのに心理的負担が生じないので楽なんだけどね。推しキャラは個人に限定するものではなく集団や組織の事もあるね。

2019-05-26 01:40:08
ドンじょぶお @urakkun26

三英傑といえど殆ど普通の中世武将として徹底して相対化を図らなければ…というのが最近の当方の歴史考察趣味の基本的姿勢になっとるね。

2019-05-26 06:05:41
ドンじょぶお @urakkun26

羽柴秀吉死後の政局家康が天下取りに動き出したというより徳川領に手出しする気を起こさない程度には奉行衆を弱体化させておきたいというムーブにも見える…奉行衆を排除して徳川で乗っ取ろうという意志が資料から読み取れるかどうかだが難しいのではないか。想像と表現は自由だが。 twitter.com/urakkun26/stat…

2019-05-26 07:00:30
ドンじょぶお @urakkun26

豊臣政権を羽柴家政と武家政権のコーディネート機能に分けて考えると関ヶ原までの徳川家康が自家に都合よく改変したかったのは後者だけであり前者は奉行衆に引き続き任せるつもりであった様に見えるし穏健派(日和見とも)として増田を残し石田は引退させたというのが七将襲撃事件の始末だったのでは。

2019-05-26 07:00:30
ドンじょぶお @urakkun26

奉行衆を排除したい反奉行派七将と徳川家康もまた同床異夢であり完全に利害が一致していたわけではないと思うね。七将襲撃の黒幕に徳川家康ありという見立て全面的に首是する事も出来ない。

2019-05-26 07:00:30
ドンじょぶお @urakkun26

毛利の博打という危機を前に大同小異で強固に結集したというところだろう。擦り合わせが意識レベルで完全ではなかった齟齬が噴出した事例が福島正則改易なんだろうね。

2019-05-26 07:00:31
古上織蛍 @koueorihotaru

伏見城の地図を見ると一目で分かるのだが(ネットでも見られるが著作権とか不明なので各自でご覧いただきたい。)七将襲撃事件で三成が逃げ込んだ「治部少丸」とは伏見城内の三成執務室兼公邸である。それ以外に伏見城下に三成他大名の大名屋敷(私邸)は別にあり、三成はその私邸に行った訳ではない。

2019-05-26 23:06:13
古上織蛍 @koueorihotaru

素朴な話だが、「関ヶ原合戦、どうしたら西軍が勝ったか」という話だが、小早川秀秋が裏切らず、吉川広家(毛利秀元)が戦えば勝っていたという話だろう。というか、江戸時代の人達は普通にそう思っていて、「あれがなければ、東軍は危ないところだった」と思っていたかと考えられる。

2019-05-26 23:56:50
古上織蛍 @koueorihotaru

福田千鶴氏の『豊臣秀頼』より引用。「「一方、毛利輝元は朝鮮在陣中の慶長二年九月に発病して帰国し、十二月に上洛して、同五年六月に帰国するまで在京を続ける。上洛するとすぐに秀吉に対面を許され(十二月二十三日)、伏見城の奥に招かれ、秀吉から懇ろな言葉をかけられた。」(続く)

2019-05-27 00:37:38
古上織蛍 @koueorihotaru

体調不良の秀吉が誰にも対面していないなかでのことであり、その場には秀頼も呼ばれていて、輝元は父子から、のし柿や饅頭をもらった。さらに、秀吉から炬燵にあたるように勧められたが、遠慮していると、秀吉がそっと炬燵に手を入れ暖めてくれた。」(続く)

2019-05-27 00:38:48
古上織蛍 @koueorihotaru

輝元は「このような気詰まりの忝いこと」と秀吉の気安い態度に驚きに驚きながらも、特別の扱いに感激した様子であった。同席者は、石田三成と増田長盛二人のみだった(『荻藩閥閲録』榎本織衛家文書)。」 同席者に三成と長盛がいたのは、慶長年間から三成と長盛が毛利家の取次になったため。

2019-05-27 00:40:15
ドンじょぶお @urakkun26

>豊臣奉行が石田派と浅野で分裂して前者が後者の排斥を図ったという見立てにしても「家」の保全と政権組織内立場の保全を天秤にかける選択に迫られてた奉行衆の苦悩について想像できないセンスの限界を露呈しとるんだわな。

2019-05-29 20:03:46
古上織蛍 @koueorihotaru

@1xuVLqH3kQ @1059kanri 三成は気遣いの人だけど、関係ある人としか親しくしない感じ。関係ない人には冷淡というより全く無縁なんですよね。まあ、江戸時代に東軍武将が三成関係の私信を揃って破棄しただけかもしれませんし、その可能性も高いとは思います。

2019-05-29 22:13:08
古上織蛍 @koueorihotaru

@urakkun26 秀吉が死んだ時に、家康にその死を知らせたのは、三成の家臣な訳ですが、素直に受け止めれば三成と家康は当時仲が悪い訳ではない証左になりそうな話です。それを江戸時代の逸話は、「まて、これは浅野長政を陥れるための三成の罠だ」という創作ストーリーに仕立て上げてしまうのですね。

2019-05-29 22:55:44
古上織蛍 @koueorihotaru

石田三成はコミュ障ではなく、むしろ気遣いの達人だというのは、下記で紹介した。↓ koueorihotaru.hatenadiary.com/entry/2015/05/…

2019-05-30 00:16:43
リンク 古上織蛍の日々の泡沫(うたかた) 石田三成は(残念だが)「コミュ障」ではない - 古上織蛍の日々の泡沫(うたかた) ☆ 総目次に戻る☆ ☆戦国時代 考察等(考察・関ヶ原の合戦、大河ドラマ感想、石田三成、その他) 目次に戻る 石田三成の最近の小説やゲームの描写を見ますと、「空気が読めない、意図せずして相手が腹を立てることを言ってしまう、態度が生意気・横柄(しかもそれに自分で気が付いていない)、が秀吉様への忠誠心だけは人一倍」といういわゆる「コミュ障」的な扱いが多いです。しかも、なんか「実は、根は良い奴なんだけど、誤解されやすいんだよね」という(好意的な)フォローつきで。 こうした石田三成=「コミュ障」というキャラクター設
古上織蛍 @koueorihotaru

その中でも、神屋宗湛の秀吉への拝謁をすべてお膳立てした気遣いの細やかさは、特筆してよい。↓ koueorihotaru.hatenadiary.com/entry/2018/09/…

2019-05-30 00:18:19
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コメント

OOEDO @OOEDO4 2019年5月31日
@urakkun26 @koueorihotaru さんお二方のツイートが主です。
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OOEDO @OOEDO4 2019年5月31日
ROM69787270 ではない、というか、どうも司馬遼太郎の関ヶ原記述はそれなりにモチーフがあり、総合コンセプトも徳富蘇峰のそれの拝借ではないか?と言われるようになったんです。
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ろんどん @lawtomol 2019年5月31日
「三国志演義」の成立過程みたいに、いろんな人がいろんな話をくっつけていったんじゃないかなぁ
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Toku @to970 2019年5月31日
関係者が記録を残す以上、何らかの「意図」が入るのは仕方ないのではないか。150年前の戊辰戦争ですら、新政府軍・旧幕府軍ともに「盛った」記録を残しているから、戦闘経過とか当時の史料を突き合わせても真実が良く分からないことがある。
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nanasiyzyz @aabyyz_ 2019年5月31日
「武勇伝、必ず話盛られてる説」 ってだけじゃね。 そこらのにーちゃんですらマシマシに盛るぞ。
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一二三@凄い漢だ @giko_t 2019年5月31日
歴史は司馬家によって作られる。三国志で天下取ってからずっとね。
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よーぐる @Seto_yasu1987 2019年5月31日
歴史のわからないという点について何かしら納得を得たかった人がつまりこういうことだったんじゃないか!?ってのと、エンタメとして面白くするための脚色と、そういったものは影響大きそう
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Vostok @vostok7777 2019年5月31日
自分の仕事の成果を盛るのは基本では。
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しわ(師走くらげ)@フルチン済(x2+2w) @shiwasu_hrpy 2019年5月31日
戦後「戦歴は残しておかねば…でも徳川家の大一番みたいなもんだったし、後世への威光のためにもちょっと私見で盛っとこ」→後世の家臣「歴史書古過ぎて読めねーって人のために書き下すか…でも後世への威光のためにちょっとry」→後世の歴史家「ちょっと盛」→その後世の歴史家「ちょい盛り」→…中略…→現在の歴史家「当時のと後世のと全然記述違うし別の資料見ると明らかに変だし盛ってるしなんだこれ」「おいもしかしてこれ歴史違くね」←イマココ
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⚓️無意識ファンネル⚓ @muishiki_fun2 2019年5月31日
福島正則の改易って、『法度守らなかった(しかも2回目)から』では。
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もこ @mocomb 2019年5月31日
見栄を張るのも理解できるし、そういう痕跡がわかるのも面白いな。
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DROP @D8drop 2019年5月31日
アーサー王伝説や三国志とかと同じで話が盛られていった結果矛盾が多くなっていき、その矛盾が指摘される時期になったといった感じかねぇ。
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はよ @hayohater 2019年6月1日
これもまた通俗的・稗史的かもしれないけど、都合の悪い歴史は盛るか抹殺しようとするけどやはりそれも徹底しきれない、必ずどこかでボロや矛盾が出たり、抹殺しきれず残ったりするもんですわなあ。
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⚓️無意識ファンネル⚓ @muishiki_fun2 2019年6月1日
あと講談師ですね。>話盛った 客に聞かせるから山場作ったりして。
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まあちゃん02(ワクチン2回目) @eK0SV72lWxlYb8L 2019年6月1日
たかが30年前のオタクコンテンツについても人によって認識が違ってたりするから、政治や社会全体を扱う「歴史」で万人が納得するのは(明らかな捏造とかは除いて)無理なんじゃないかな?
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xx @xx97717971 2020年8月30日
ドンじょぶおとかいうやつと古上とかいうやつが邪魔
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