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2019年5月31日

【更なる上映展開へ】5月9日・14日・16日に上映されたドーム映像作品「HIRUKO」の鑑賞体験まとめ

5月9日・14日・16日に上映された国内外初!【舞踏×映像】の新境地。プラネタリウムで観るアート映像作品「HIRUKO」の第一弾上映会+トークショーのご感想をまとめました。(監督:飯田将茂 /主演:原初舞踏家 最上和子)
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10101298 @1o1o1298

@irodreamfactory >>夢の配達人 #HIRUKO を観て2週間、舞踏とか身体についてはなんとなく皆さんが話しているのでそれを聞いていてたのですが、そも今回飯田監督のドーム映像作品って何だったのかなって思ったら、「皆で同じ(寝て見る)夢の一部になる」ってことなのかもと、なんとなく思いました。

2019-05-28 19:59:14
パロミタ @Tomomi_Paromita

最上さんの踊りが瀕死に見えるという事がよく分からなくて、何となく考えています。水の祀りの時は圧倒的な孤独だったけど、ドーム映像では恍惚だと感じました。 twitter.com/walhallahlaw/s…

2019-05-22 13:00:23
最上和子 @walhallahlaw

身体は人間にとって最も身近な自然だ。自然は優しいだけではないので、身体のなかに生成の領域を見出したら、そりゃあ平気ではいられない。だから踊っている時はまるで瀕死の状態に見えるのかな(笑) 苦しいのとは違う、でもそれは死の領域ではある。

2019-05-22 06:27:52
ziro @infini358

近藤さんの #HIRUKO 登場場面すごく迫力あった。まるで華道の師匠か気功の達人😲どれとも違うけどどれとも凄く似てる。だからと言って誰にも真似できない。語らずして身体が声を発し音を響かせていた。きっとこれまで生きてきたすべて。ドームに映し出された音で舞踏が少しだけ身近になった気がした。

2019-05-22 09:09:22
今子青佳 @stbai615

ドーム映像作品「HIRUKO」を観て来ました。舞踏家最上和子さん、飯田将茂監督、zmiさんの音楽によるドーム空間を使った映像作品。素晴らしかった! ドームから迫って来るもの、生々しい音や人の声が耳鳴りのように終始響いていて、吸い込まれていくような時間でした。 fulldome-hiruko.com

2019-05-22 09:08:50
亜龍 一悟@現代舞/散文舞 @15kun_X

私の中か私の外のどこともつかない遠くで、日本語の肌理もどこかで脱臼してく音がする。蔓、綴る、出づる、観ずる、感ずる…

2019-05-19 02:04:34
亜龍 一悟@現代舞/散文舞 @15kun_X

語る言葉がなかなか出てこず、蔓を辿るように言葉と身体感覚をあーだこーだしながら、そんな風に生活空間でのフレームがひと枠スルッと脱落したことまで含め、現在までの私のHIRUKO体験のとりあえずのひと綴りのようだ。

2019-05-19 02:03:45
亜龍 一悟@現代舞/散文舞 @15kun_X

あるいは胸から上にぽっかり空いた死腔から上部へと観る体験のベクトルやレイヤーが横=正面から移行していくというか。 これは自身の知覚の可能性の気づきの初発の目撃か。デバイスは知覚を作る相互作用の関係にあるのだから当然といえばそうなのだろう。

2019-05-19 02:03:03
亜龍 一悟@現代舞/散文舞 @15kun_X

身体とマシンが力のバランス推移として連動するのを胸で眺められているというか、眼の代わりに胸や肚がフォーカスを合わせてくれている感じ。

2019-05-19 02:02:34
亜龍 一悟@現代舞/散文舞 @15kun_X

上映を観ずる=感ずる体験から二日、昼間訪れたジムで不意に、トレーニングマシンの滑車と錘に対して眼がいつの間にか接写していっているのを発見した。滑車がダンスしている。そこを。また、私の内部を。

2019-05-19 02:02:18
亜龍 一悟@現代舞/散文舞 @15kun_X

観客は「受信するデバイスとしての感覚器官の持ち主」であると同時に、自身の身体がいつの間にか頭蓋=天蓋=ドーム=スクリーンとして在るような、さらには作品自体をともに生成し続けているような、そのあたりに在ることが要求されているのだろうか? などとつらつら考える。

2019-05-19 02:01:29
亜龍 一悟@現代舞/散文舞 @15kun_X

身体→カメラ→撮影者→スクリーン(ドーム)→観客の身体→情報処理主体の観客、のようなネットワーク経路があるとして、 たとえば撮影者がまた踊り手と共にその踊りの場を生成する、制御器官が一枚噛んだような居方であった場合、作品はどうなるだろうか?

2019-05-19 02:01:09
亜龍 一悟@現代舞/散文舞 @15kun_X

最上さんが踊るその身体内部、コアのところから方向や速度や質感の指令が僅かに発せらているような、それが磁場めいたものとして映像に模様や歪みを生起させているだろうというような気配。撮影者はその踊りの場に呼吸が合い、同じ水の温度を共有しているだろうことが伝わってくる。

2019-05-19 02:00:28
亜龍 一悟@現代舞/散文舞 @15kun_X

私の頭は覚束なくその場で身体内部の経験を見送る・見守るしか術がない感じだったと思う。思い出しながらなのでそうとも言えるしそうでないとも言えるのだろう。

2019-05-19 01:59:59
亜龍 一悟@現代舞/散文舞 @15kun_X

見るより先に呼吸が合わさりに行く。最上さんの身体の息づきが、所在なくふらつく私の身体を内側から張ったり「ここが身体」「ここが映像」「ここが在る」「ここに居る」と盛んに今ここへの気付き(息づき=居・気づき)として生起する。

2019-05-19 01:59:26
亜龍 一悟@現代舞/散文舞 @15kun_X

魚に呼吸を合わせ、ある意味その呼吸のリズムや張りによって私の身が奇妙に包まれる。切迫感が具体的に呼吸を通して身体化・内面化される過程のさわり。

2019-05-19 01:58:26
亜龍 一悟@現代舞/散文舞 @15kun_X

上映開始、導入からほどなくして魚がドカンと映し出された時、その胸郭をゴツゴツ突いてくるような映像の存在(エンティティ感?)に対して自身の舌のザラザラをリセットしたくなるような、皮膚感覚・内臓感覚が徐々に影響を受けるような感覚が今思うとあったか。

2019-05-19 01:57:58
亜龍 一悟@現代舞/散文舞 @15kun_X

座した姿勢から見上げた時に、頭部を上~後ろにそらせて死腔にまで吸気を入れ込む呼吸法のことを思い出した。 後から、礼の時に身体を前に折り曲げることは身体の経絡のめぐりを一度リフレッシュする行為なのだ、という言葉を思い出し、その逆の姿勢だな、と思うなど。俯瞰とは逆の見上げる姿勢。

2019-05-19 01:57:24
亜龍 一悟@現代舞/散文舞 @15kun_X

座席に座って見上げるようにして観るよりも、立って手をスッと伸ばしてたとえば親指の先の微細なセンサーを空間へぼんやり張り巡らせるようなことをしてワークのようにして佇む体で居たかったのだけどそうもいかず。

2019-05-19 01:56:23
亜龍 一悟@現代舞/散文舞 @15kun_X

観る前に注意していたのは、ドーム映像体験全般に言える体験なのかこの作品独自の体験なのかを混同しないようにした方がいいかな、くらいのことだったか。

2019-05-19 01:55:38
亜龍 一悟@現代舞/散文舞 @15kun_X

HIRUKO。ずっと感触が残っている。残っているというよりも私の身体に印画された感触を、押井監督の言う「日常生活のフレーム」に馴らされないように周到に懐に忍び込ませ、不意にこの夜中にようやくタイプする指まで伝令をこっそり走らせたというか。

2019-05-19 01:54:57
Tierra/ティエーラ @Tierra_luz

あらためて #HIRUKO のことを書きました。なかなかできない体験でした。 あっちの世界|Tierra/ティエーラ @Tierra_luz|note(ノート) note.mu/tierra/n/nc774…

2019-05-19 17:37:13
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