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KUMI_Kaoru @KaoruKumi
実は明治期の清国留学生たちが口語文法の発展に寄与しています。漢字のおかげでなんとか読めるけれど会話ができないので、自分たちで英会話ならぬ日語(!)会話のメソッドを模索し、それが昭和の橋本文法にやがて吸収された。私たちが習う学校文法のOSです。 twitter.com/KaoruKumi/stat…
KUMI_Kaoru @KaoruKumi
そうそう橋本文法にはソシュールの影響大。当時の国語学者でソシュール言語学に積極的に向き合ったのは橋本進吉くらいで、批判的に向き合った時枝誠記も含めソシュール理解は今の目で眺めるとかなり怪しいレベルだった。 pic.twitter.com/66pUNWFqWo
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KUMI_Kaoru @KaoruKumi
ソシュール言語学は20世紀に入って中国大陸にも入り「中国語」の開発の理論フレームとなった。ソシュールそのひとはナショナリズム的思考では論じていなかった(と思う)のが、20世紀動乱期に言語ナショナリズムの基盤として読みかえられていったように思えてならない。 pic.twitter.com/2azluXZlA0
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KUMI_Kaoru @KaoruKumi
悪の帝国・日本に対抗するために、そして「中国」という新たな概念を実体化するために「中国語」の開発は必至だった。 事実、日中戦争開始の翌年でなかったかな、形になったの。うろ覚えですが。
KUMI_Kaoru @KaoruKumi
そもそもフランス語やドイツ語なども、ローマ・カソリック勢力への反目と自立のシンボルとして開発されたものでした。 ラテン語という圧倒マジョリティ言語への反逆。 今の私たちがお気楽に「〇〇〇語」と呼んでいるものは、こういう対△△△語的発想、アンチテーゼとして生まれたものですどれも。
KUMI_Kaoru @KaoruKumi
ソシュールはスイス生まれ。マルチリンガル環境の土地で育ったがゆえに言語学を志し、そして革新を起こした。想像だけど己のアイデンティティの普遍化を目指していた気がする。
KUMI_Kaoru @KaoruKumi
しかしその思想は、東アジアにおいて違う風に理解された。言語ナショナリズムの理論的基盤として読み取られた。ここから「日本語」が生まれたという皮肉!

コメント

nob_asahi @nob_asahi 2019年6月8日
言語と文法を意図的に混同させミスリードを図る悪文。ここで言う「日本語」とは文法論=言語学の話。「文法に依って言語が規定され確立した」という論もあるにはあるが、「文法は既存言語を理解しやすくするための方便であり、現状優先。正しい文法というものはない」という方が一般的。
犬の茶碗蒸し @Inuchawan 2019年6月8日
フランス語もドイツ語も中国語も、元々はある地域で優勢な状態にあった既存の言語であり、それを中央集権的な統治機構が国民に対し均一に受容させた結果生じたもので、言語学の理論に則り作り上げられたものだとは言えないのでは?
Fox(E) @foxe2205 2019年6月8日
「そもそもフランス語やドイツ語など」の地域言語が「ラテン語という圧倒マジョリティ言語への反逆」として生み出されたのであれば、それはフランスやドイツが「言語ナショナリズム」に目覚めたからと普通は解釈する。「言語ナショナリズムの理論的基盤として」日本語が誕生するのは、地域言語の本来の意義に忠実な展開であり、皮肉でも何でもない当然のことに思える。
KUMI_Kaoru @KaoruKumi 2019年6月15日
nob_asahi 「正しい文法」とは私述べていないのにストローマン論法を繰り出してくる時点で零点。中国語文法は本当に20世紀の子なのですよ。そもそも「中国」という概念そのものが日露戦争より「後」に生まれたものゆえに「中国語」も20世紀生まれ。嘘のような本当のお話。
田中 @suckminesuck 2019年6月15日
KaoruKumi 実は標準語ができたのは~みたいな話という理解でいいんでしょうか
KUMI_Kaoru @KaoruKumi 2019年6月15日
foxe2205 外れ。ローマ・カソリックからの独立のシンボルとしてです。フランスの場合、絶対王政の時代とともに王家がローマの権力をうざったがり、王制国家統一の事業のひとつとして「フランス語」を整備していった。ドイツ語はルターによる聖書の俗語訳が画期でした。
KUMI_Kaoru @KaoruKumi 2019年6月15日
suckminesuck それと無関係ではないけれど、もっと大きなスケールのお話です。