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  • 渡邊芳之 @ynabe39 2011-05-17 06:28:22
    「裏切られる」ということは「信じる」ということの結果としてしか生じない。だから「裏切られることへの恐怖」は「できるだけ信じない」という形で現れる。しかし裏切られることを強く恐れる人ほど,ほんとうは誰かを(なにかを)信じたい人でもある。
  • 渡邊芳之 @ynabe39 2011-05-17 07:13:17
    情報の真偽を個別に考えるよりはソースの信頼度を属人的に判断して「信じられる人の言うことは原則すべて信じる」「信じられない人の言うことは原則すべて信じない」とするほうが楽だし,実際にソース間で「期待できる平均的な信頼度」に大きな差がある場合にはおおよそ合理的である。
  • 渡邊芳之 @ynabe39 2011-05-17 07:14:29
    たとえば専門的な問題について専門家の言うことは信じ,素人の言うことは信じないというのは,ソースの信頼度に大きな差が期待できる以上は合理的である。さてソースの信頼度の差異がそれほど明確でない場合にはどうか。
  • 渡邊芳之 @ynabe39 2011-05-17 07:17:19
    専門性の点では同様に高い(あるいは同様に低い)複数のソースが異なった主張をする場合,われわれはどちらを信じたらよいか。われわれ学者は日常的にそういう場面によく出くわす。学歴や受けた訓練などの点で甲乙つけがたい二者がまったく対立する主張をしている場合,自分はどう考えるか。
  • 渡邊芳之 @ynabe39 2011-05-17 07:23:41
    「誤情報やそのソースに対する不寛容」は「情報の正誤を個別に判断せずにソースの信頼度から包括的に判断する」ことが妥当になるためには「信頼できるソースが誤情報を発する可能性」をできる限り小さくする必要があるから,誤情報の発信を厳しく批判しなければならないために生じる。
  • 渡邊芳之 @ynabe39 2011-05-17 07:35:25
    ただその不寛容は第一義的には「信頼できるはずだったのに誤情報を出したソース」に向けられるのが合理的で,「もともと信頼できなかったソースの誤情報を批判する」ことはある意味ムダなようにも見える。
  • 渡邊芳之 @ynabe39 2011-05-17 07:39:44
    (続き)その意味で「御用学者批判」の目的と必要性は(私はその内容には必ずしも同意しないが)非常に明確である。ほんらい信頼できるはずであり信頼されていた専門家がなんらかの理由でウソを言うということはソースの信頼性から真偽を判断しようとする人にとって著しく深刻だからだ。
  • 渡邊芳之 @ynabe39 2011-05-17 07:42:34
    いっぽう「ネットデマゴーグ批判」についてはどうだろう。きっこや東海アマさんを批判する人に「じゃああなたは彼らを信頼していたのか?」と聞いて「信頼していた」と答える人は少ないだろう。自分が信頼していない人が誤情報を流すという事実はむしろ整合的だし,何の問題もないではないか。
  • 渡邊芳之 @ynabe39 2011-05-17 08:06:30
    (続き)もともと信頼していなかったから自分は騙されていないソースをあえて批判する理由はなんだろう? とりあえず2つ考えられる。1)自分は騙されないが他の人は騙されるかもしれない,という親心(パターナリズム)。
  • 渡邊芳之 @ynabe39 2011-05-17 08:07:32
    (続き)2)他者がその批判に同意してくれることで「そのソースは信頼できない」という自分の信念が社会的に承認されること。とりあえずこの2つ以外は思いつかない。あるとすれば「間違いやウソが嫌いという感情」だろうか。
  • 渡邊芳之 @ynabe39 2011-05-17 08:10:35
    (これはちょっと横道)もともと私は「ネットにおけるデマ批判にデマの実害を防止する大きな効果があった」という主張には著しく懐疑的である。これは確認しておく。
  • 渡邊芳之 @ynabe39 2011-05-17 08:16:55
    さて「ソースの信頼性を属人的に判断して個別情報の正誤判断を回避する」ことの有効性を守るための批判,という点で「御用学者批判」と「ネットデマゴーグ批判」は同等であることはすでに論じた。さてある人が前者を行うのか後者を行うのかは何で決まるか。
  • 渡邊芳之 @ynabe39 2011-05-17 08:24:54
    私は「信頼されていた専門家の言うことが(少なくとも結果として)間違いだった」ことのほうが「もともとのウソつきの言っていたことがやっぱりウソだった」ことよりも圧倒的に深刻だと思うんだけど,後者のほうが重大な問題のように考える人がいるのはなぜかが気になっているんだ。
  • 渡邊芳之 @ynabe39 2011-05-17 07:18:37
    学者はネイチャーの記事も疑うし,自分の専門分野であれば追試するわけです。 RT @TanTanKyuKyu: …誰もサイエンスやネイチャーの記事の裏をいちいち自分で取ったりせんわけで。
  • 渡邊芳之 @ynabe39 2011-05-17 07:36:51
    専門分野外についても「ネイチャーだから全部信じられる」と思っている読者もまた非常に少ないと思います。少なくとも研究者であれば。 RT @TanTanKyuKyu: …ネイチャーの全記事に対して一人で個別的検証をしている人は、少なくともできる人は、いません。地上のどこにも。
  • 渡邊芳之 @ynabe39 2011-05-17 08:13:58
    自分の気に入らないこと,自分の利益に反することに反論するのは常に正当です。ただそれと「デマ批判が有用か」というのは論点が別でしょうね。 RT @happyjiro: 私の両親が福島で農家をやっていれば批判するでしょう。デマを批判する事の正当性の例です。…
  • 渡邊芳之 @ynabe39 2011-05-17 08:50:33
    ああポイントはそこか! RT @sora_papa: 今回の原発事故が、結果としてわいなべ先生が言っているような展開になったことで、いわゆるデマゴギーと目されてる人の社会的「信頼感」が増している、ということが確かにあるようだな。

コメント

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