渡邊教授(@ynabe39)の「昨夜のデマ論議まとめ」
- toshihiro36
- 3957
- 0
- 4
- 6
「裏切られる」ということは「信じる」ということの結果としてしか生じない。だから「裏切られることへの恐怖」は「できるだけ信じない」という形で現れる。しかし裏切られることを強く恐れる人ほど,ほんとうは誰かを(なにかを)信じたい人でもある。
2011-05-17 06:28:22情報の真偽を個別に考えるよりはソースの信頼度を属人的に判断して「信じられる人の言うことは原則すべて信じる」「信じられない人の言うことは原則すべて信じない」とするほうが楽だし,実際にソース間で「期待できる平均的な信頼度」に大きな差がある場合にはおおよそ合理的である。
2011-05-17 07:13:17たとえば専門的な問題について専門家の言うことは信じ,素人の言うことは信じないというのは,ソースの信頼度に大きな差が期待できる以上は合理的である。さてソースの信頼度の差異がそれほど明確でない場合にはどうか。
2011-05-17 07:14:29専門性の点では同様に高い(あるいは同様に低い)複数のソースが異なった主張をする場合,われわれはどちらを信じたらよいか。われわれ学者は日常的にそういう場面によく出くわす。学歴や受けた訓練などの点で甲乙つけがたい二者がまったく対立する主張をしている場合,自分はどう考えるか。
2011-05-17 07:17:19@ynabe39 というか、情報の真偽を個別に検証するなんて現実的に不可能です。信頼できるソースの情報は信じられる、という立場を取るしかない。誰もサイエンスやネイチャーの記事の裏をいちいち自分で取ったりせんわけで。
2011-05-17 07:15:01学者はネイチャーの記事も疑うし,自分の専門分野であれば追試するわけです。 RT @TanTanKyuKyu: …誰もサイエンスやネイチャーの記事の裏をいちいち自分で取ったりせんわけで。
2011-05-17 07:18:37では利害関係の面でも同等だったらどうでしょう。 RT @HayakawaYukio: 利害関係が少ないほうを信じるのが合理的でしょう。
2011-05-17 07:19:48少なくともネイチャーに載る心理学関係の論文はまず疑います。私以外の心理学者の多くもそうw。 RT @TanTanKyuKyu: 全部の記事に対しそれをやる人はいないでしょう。現代では学者の専門性など限られています。
2011-05-17 07:21:31「誤情報やそのソースに対する不寛容」は「情報の正誤を個別に判断せずにソースの信頼度から包括的に判断する」ことが妥当になるためには「信頼できるソースが誤情報を発する可能性」をできる限り小さくする必要があるから,誤情報の発信を厳しく批判しなければならないために生じる。
2011-05-17 07:23:41心理学以外にもそれぞれの専門にそれぞれの専門家がいるわけです。 RT @TanTanKyuKyu: 私が今しているのは心理学の話ではありません。
2011-05-17 07:24:11@ynabe39 検証できるのは当事者の自分の分野だけです。ネイチャーの全記事に対して一人で個別的検証をしている人は、少なくともできる人は、いません。地上のどこにも。
2011-05-17 07:25:52専門分野外についても「ネイチャーだから全部信じられる」と思っている読者もまた非常に少ないと思います。少なくとも研究者であれば。 RT @TanTanKyuKyu: …ネイチャーの全記事に対して一人で個別的検証をしている人は、少なくともできる人は、いません。地上のどこにも。
2011-05-17 07:36:51ただその不寛容は第一義的には「信頼できるはずだったのに誤情報を出したソース」に向けられるのが合理的で,「もともと信頼できなかったソースの誤情報を批判する」ことはある意味ムダなようにも見える。
2011-05-17 07:35:25(続き)その意味で「御用学者批判」の目的と必要性は(私はその内容には必ずしも同意しないが)非常に明確である。ほんらい信頼できるはずであり信頼されていた専門家がなんらかの理由でウソを言うということはソースの信頼性から真偽を判断しようとする人にとって著しく深刻だからだ。
2011-05-17 07:39:44いっぽう「ネットデマゴーグ批判」についてはどうだろう。きっこや東海アマさんを批判する人に「じゃああなたは彼らを信頼していたのか?」と聞いて「信頼していた」と答える人は少ないだろう。自分が信頼していない人が誤情報を流すという事実はむしろ整合的だし,何の問題もないではないか。
2011-05-17 07:42:34(続き)もともと信頼していなかったから自分は騙されていないソースをあえて批判する理由はなんだろう? とりあえず2つ考えられる。1)自分は騙されないが他の人は騙されるかもしれない,という親心(パターナリズム)。
2011-05-17 08:06:30(続き)2)他者がその批判に同意してくれることで「そのソースは信頼できない」という自分の信念が社会的に承認されること。とりあえずこの2つ以外は思いつかない。あるとすれば「間違いやウソが嫌いという感情」だろうか。
2011-05-17 08:07:32それは1)に含まれますね。すくなくとも自分は「風評被害に加担する心配はない」のでしょう? RT @happyjiro: 風評被害など。
2011-05-17 08:08:15(これはちょっと横道)もともと私は「ネットにおけるデマ批判にデマの実害を防止する大きな効果があった」という主張には著しく懐疑的である。これは確認しておく。
2011-05-17 08:10:35@ynabe39 私の両親が福島で農家をやっていれば批判するでしょう。デマを批判する事の正当性の例です。断っておきますが、私はデマに惑わされなければデマを放置しても良いクラスタです。
2011-05-17 08:12:31自分の気に入らないこと,自分の利益に反することに反論するのは常に正当です。ただそれと「デマ批判が有用か」というのは論点が別でしょうね。 RT @happyjiro: 私の両親が福島で農家をやっていれば批判するでしょう。デマを批判する事の正当性の例です。…
2011-05-17 08:13:58