『さらざんまい』11話(最終回)考察 ~1話冒頭「ア」の看板まで戻り、「始めから、終わりまで、まあるくつながっている」ラスト~
togetter.com/li/1367307 『さらざんまい』11話予告考察 ~存在消失またはループ世界の予測、レオマブの関係について、カズキたちの三角関係~
2019-06-21 22:47:32最終回、ループ説が当たったかどうかは微妙な線だけど、「4年前のカズキの記憶」や、カズキたち三人の「未来」が出てくるのは、ループ世界やパラレルワールドと共通する、「可能性」を描こうとしてるんだと思う。
2019-06-21 22:50:44「さら」最終回について、いくらでも言えることはありそうだけど、「可能性の中心」を見ようとするなら、やはり1話冒頭の伏線がどう回収されたか、というのはまず気になるところ。
2019-06-21 22:52:19ふり返れば、「さら」1話冒頭で、ハルカの声で「カズちゃーん」と呼ばれたカズキが、天から降ってきた、「ア」の看板に身体を貫いていたはず。
2019-06-21 22:57:25で、最終回のトオイが橋から川に飛び込むときに、一瞬だけ「ア」の看板に身体を貫く(貫かれる)シーンがある。初回と最終回で似たようなシーンがあるが、両者がどうつながるのか?
2019-06-21 22:58:34初回のカズキの「ア」のシーンは、誰か死んでいたという予感がしたし、最終回のトオイも、飛び込み「自殺説」を立てられる余地はある。が、自殺説を私は取らない。
2019-06-21 23:00:00では改めて、「さら」1話冒頭の「ア」の看板が降るシーンは、どういう意味だったのか? 私はこう考える。「愛によって生まれ変わる」といったシーンだったのではないか? あるいは「人生の絆を選ぶ」シーン。
2019-06-21 23:03:56最終回のトオイは、より「生まれ直す」印象がある。誓とのつながりを絶ちきり、三人との絆を生きる、というようなシーンだろう。言葉で言うと、非常にベタでクサいので、記号的な「ア」にしたのかもしれない。
2019-06-21 23:06:18しかしそれと、「4年前のカズキの記憶にミサンガを届ける」という過去改変のようなシーン、さらに三人でサッカーをしている「未来の漏洩」とどういう関係があるのだろう?
2019-06-21 23:07:30物語内での解釈はいろいろできるだろうけど、われわれが生きる現実では、カッパに変身したり、時間を過去にさかのぼったりできない。ので、物語外の現実につながる解釈では、どういうことになるか言いたい。
2019-06-21 23:10:08つまり、(人間との)「つながり」が人生のルートを作る、というようなことなのかと思った。「ア」が丸い標識や看板の形をしているのが表現のポイントで、人生の道路=ルート分岐のサインなのだと。
2019-06-21 23:13:17最終回、トオイは少年刑務所に、三年服役することになる。普通のアニメであまり見ない、重苦しい展開だ。なぜ、そうなったかといえば、元はといえば、兄の誓とつながって、犯罪をしていたからだ。
2019-06-21 23:15:20そして、刑務所から出てきたトオイにも、カズキとエンタ、ふたりとのつながりによって、終わってしまった人生がまた始まることになる。ふたりが来なければ、極端にはそのまま自殺ルートだったかもしれない。
2019-06-21 23:18:01「さら」前半では、通り魔的な犯人がカパゾンビだった。けれど現実でも、通り魔事件の犯人などは、人のつながりがあれば、また違った人生のルートを歩んでいたはずだろう。
2019-06-21 23:20:11「さら」前半のカパゾンビ、すなわち通り魔的な犯人たちと、トオイとの違いは、人間とのつながりがあったことだ。だから、トオイには別のルートがあった。「死に損」の逆で、「生き得」とでもいうか。
2019-06-21 23:22:03「震災」のような、ものすごく非日常的で重大な場面でも、「つながり」は関係してくる。たとえば、津波で生き残った人々に、たとえ臆病者と笑われようと、つながりを絶って逃げた人がいるだろう。
2019-06-21 23:26:40別の角度から言うと、「さら」での「つながり」は何かの手段ではなくて、人生の目的(の一部)になっている。手段のつながりの端的な例は、キャバクラ接待や枕営業とかだが、カズキたちは目的としてのつながり。
2019-06-21 23:29:19もちろん、われわれが生きる現実では、トオイのように銃撃戦をしたりする、ドラマティックな展開にはならないだろう。「年金二千万円足りないので、二次会はパスします」とか、現実はもっとショボイ。
2019-06-21 23:31:33でも、その「年金足りないから、二次会パス」ですら、「つまらないつながりは切っちまいな」で、自分の未来にパスをつなげる、ということではないか?
2019-06-21 23:33:03どうして、「つながり」というテーマを今持ってきたのかといえば、現実の社会では、つながりが希薄化してるからだろう。SNSとかで、つながりの量は増えても、質は薄い。(「キスは質より量」への疑問)
2019-06-21 23:35:11最終回のトオイの少年刑務所のシーンは、重苦しくて予想外の展開だった。今のアニメ、たとえばきらら系とかでは、絶対にありえない。まさに「アニメの常識は、イクニ(アニメ)の非常識」だ。
2019-06-21 23:36:40なぜ、終盤の重苦しい展開を選んだか。それは今の多くの日本人が、失敗する、または叩かれることを恐れるあまり、「つながりたいけど、つながれない」状態にあるからかもしれない。
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