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『さらざんまい』11話(最終回)考察 ~1話冒頭「ア」の看板まで戻り、「始めから、終わりまで、まあるくつながっている」ラスト~

2019年4月から放送開始したテレビアニメ『さらざんまい』。今回、11話(最終回)の考察をします。なお、ネタバレへの配慮はしていないので、アニメ本編を視聴前提でのまとめです。
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しろうと @sirouto

togetter.com/li/1367307 『さらざんまい』11話予告考察 ~存在消失またはループ世界の予測、レオマブの関係について、カズキたちの三角関係~

2019-06-21 22:47:32
しろうと @sirouto

youtube.com/watch?v=gLUb0s… 「さらざんまい」予告| 第十一皿(ノイタミナ)

2019-06-21 22:48:15
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しろうと @sirouto

テレビアニメ『さらざんまい』11話(最終回)の感想考察。「これからこれをやります」。

2019-06-21 22:48:48
しろうと @sirouto

最終回、ループ説が当たったかどうかは微妙な線だけど、「4年前のカズキの記憶」や、カズキたち三人の「未来」が出てくるのは、ループ世界やパラレルワールドと共通する、「可能性」を描こうとしてるんだと思う。

2019-06-21 22:50:44
しろうと @sirouto

「さら」最終回について、いくらでも言えることはありそうだけど、「可能性の中心」を見ようとするなら、やはり1話冒頭の伏線がどう回収されたか、というのはまず気になるところ。

2019-06-21 22:52:19
しろうと @sirouto

ふり返れば、「さら」1話冒頭で、ハルカの声で「カズちゃーん」と呼ばれたカズキが、天から降ってきた、「ア」の看板に身体を貫いていたはず。

2019-06-21 22:57:25
しろうと @sirouto

で、最終回のトオイが橋から川に飛び込むときに、一瞬だけ「ア」の看板に身体を貫く(貫かれる)シーンがある。初回と最終回で似たようなシーンがあるが、両者がどうつながるのか?

2019-06-21 22:58:34
しろうと @sirouto

初回のカズキの「ア」のシーンは、誰か死んでいたという予感がしたし、最終回のトオイも、飛び込み「自殺説」を立てられる余地はある。が、自殺説を私は取らない。

2019-06-21 23:00:00
しろうと @sirouto

では改めて、「さら」1話冒頭の「ア」の看板が降るシーンは、どういう意味だったのか? 私はこう考える。「愛によって生まれ変わる」といったシーンだったのではないか? あるいは「人生の絆を選ぶ」シーン。

2019-06-21 23:03:56
しろうと @sirouto

最終回のトオイは、より「生まれ直す」印象がある。誓とのつながりを絶ちきり、三人との絆を生きる、というようなシーンだろう。言葉で言うと、非常にベタでクサいので、記号的な「ア」にしたのかもしれない。

2019-06-21 23:06:18
しろうと @sirouto

しかしそれと、「4年前のカズキの記憶にミサンガを届ける」という過去改変のようなシーン、さらに三人でサッカーをしている「未来の漏洩」とどういう関係があるのだろう?

2019-06-21 23:07:30
しろうと @sirouto

物語内での解釈はいろいろできるだろうけど、われわれが生きる現実では、カッパに変身したり、時間を過去にさかのぼったりできない。ので、物語外の現実につながる解釈では、どういうことになるか言いたい。

2019-06-21 23:10:08
しろうと @sirouto

つまり、(人間との)「つながり」が人生のルートを作る、というようなことなのかと思った。「ア」が丸い標識や看板の形をしているのが表現のポイントで、人生の道路=ルート分岐のサインなのだと。

2019-06-21 23:13:17
しろうと @sirouto

最終回、トオイは少年刑務所に、三年服役することになる。普通のアニメであまり見ない、重苦しい展開だ。なぜ、そうなったかといえば、元はといえば、兄の誓とつながって、犯罪をしていたからだ。

2019-06-21 23:15:20
しろうと @sirouto

そして、刑務所から出てきたトオイにも、カズキとエンタ、ふたりとのつながりによって、終わってしまった人生がまた始まることになる。ふたりが来なければ、極端にはそのまま自殺ルートだったかもしれない。

2019-06-21 23:18:01
しろうと @sirouto

「さら」前半では、通り魔的な犯人がカパゾンビだった。けれど現実でも、通り魔事件の犯人などは、人のつながりがあれば、また違った人生のルートを歩んでいたはずだろう。

2019-06-21 23:20:11
しろうと @sirouto

「さら」前半のカパゾンビ、すなわち通り魔的な犯人たちと、トオイとの違いは、人間とのつながりがあったことだ。だから、トオイには別のルートがあった。「死に損」の逆で、「生き得」とでもいうか。

2019-06-21 23:22:03
しろうと @sirouto

ちょうど「平成」が終わり、「令和」という新時代が始まる今、「つながり」をテーマにするのは、しっくり来るところがある。

2019-06-21 23:24:37
しろうと @sirouto

「震災」のような、ものすごく非日常的で重大な場面でも、「つながり」は関係してくる。たとえば、津波で生き残った人々に、たとえ臆病者と笑われようと、つながりを絶って逃げた人がいるだろう。

2019-06-21 23:26:40
しろうと @sirouto

別の角度から言うと、「さら」での「つながり」は何かの手段ではなくて、人生の目的(の一部)になっている。手段のつながりの端的な例は、キャバクラ接待や枕営業とかだが、カズキたちは目的としてのつながり。

2019-06-21 23:29:19
しろうと @sirouto

もちろん、われわれが生きる現実では、トオイのように銃撃戦をしたりする、ドラマティックな展開にはならないだろう。「年金二千万円足りないので、二次会はパスします」とか、現実はもっとショボイ。

2019-06-21 23:31:33
しろうと @sirouto

でも、その「年金足りないから、二次会パス」ですら、「つまらないつながりは切っちまいな」で、自分の未来にパスをつなげる、ということではないか?

2019-06-21 23:33:03
しろうと @sirouto

どうして、「つながり」というテーマを今持ってきたのかといえば、現実の社会では、つながりが希薄化してるからだろう。SNSとかで、つながりの量は増えても、質は薄い。(「キスは質より量」への疑問)

2019-06-21 23:35:11
しろうと @sirouto

最終回のトオイの少年刑務所のシーンは、重苦しくて予想外の展開だった。今のアニメ、たとえばきらら系とかでは、絶対にありえない。まさに「アニメの常識は、イクニ(アニメ)の非常識」だ。

2019-06-21 23:36:40
しろうと @sirouto

なぜ、終盤の重苦しい展開を選んだか。それは今の多くの日本人が、失敗する、または叩かれることを恐れるあまり、「つながりたいけど、つながれない」状態にあるからかもしれない。

2019-06-21 23:39:47