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アニメ『さらざんまい』の「生存説/死亡説」の対立を考察 ~解釈の多重性と『星の王子様』との意外な関係~

最終回を最近迎えたテレビアニメ『さらざんまい』。その最終回について、「生存説」と「死亡説」が対立しているので、今回考察していきます。 どちらが正しいか決着をつけるというよりは、「解釈の多重性」が議論の主軸になります。なお、ネタバレへの配慮はないので、本編視聴が前提のまとめです。
批評 アニメ 考察 セルフまとめ さらざんまい 感想
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しろうと @sirouto
togetter.com/li/1369355 アニメ『さらざんまい』に影響を与えた、芥川龍之介『河童』の考察 ~「僕は生まれてきたくありません」という視点と、社会問題との関係~
しろうと @sirouto
youtube.com/watch?v=9U-I7L… TVアニメ『さらざんまい』 劇中歌「さらざんまいのうた」PV(アニプレックス)
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しろうと @sirouto
今日は、最近最終回を迎えた、テレビアニメ『さらざんまい』。そのとくに「生存説/死亡説」の対立を主に扱い、考察していきたいと思います。
しろうと @sirouto
「さら」最終回で、トオイが川に飛び込むラストシーンがある。ここで彼が死んでいる、と解釈するのが死亡説。なお、カズキとエンタも死んでいる、といった派生解釈も、ここではまとめて「死亡説」として扱いたい。
しろうと @sirouto
私自身は、基本的に生存説の立場を取る。「未来へ」ってテロップもあったし、死んでたら未来への「つながり」が絶たれてるから。だから、素直にトオイ(たち三人)は生きているだろう、と私は見た。
しろうと @sirouto
しかし、別にラストシーンが多重に解釈できても、何も問題ない。生存説か死亡説か、一方に決める必要もない。それだけの話だけど、それだけだと納得できない人がいるかもしれない。もう少していねいに説明しよう。
しろうと @sirouto
もし、これが「裁判」のようなものなら、事件を多重に解釈できるのでは困る。極端な例では、「人によって見方が異なるから、えん罪かもしれないけど、とりあえず死刑」にされたら、たまらないからだ。
しろうと @sirouto
だから、物証や証言を集めるなどの捜査や、鑑識が科学的な分析をして、有罪(無罪)判決が、かんたんに覆らないようにしよう、ということになる。これには異論ないだろう。
しろうと @sirouto
しかし、創作の分野で、フィクションの物語に、多重に解釈できる結末があっても、別に問題ない。べつに、結末が一意でないといけない、という決まりはないのだ。
しろうと @sirouto
「多重解釈できる結末」の前例をひとつ挙げれば、『さらざんまい』に影響を与えた、小説『河童』の作者・芥川龍之介が書いた、『藪の中』。文豪が書いた有名な古典だ。
しろうと @sirouto
さらに言えば、多重解釈できる今の結末で別にいいし、死亡説が出てこないような結末にした方が良い、とも別に思わない。多重性そのものが「つながり」の重要な性質だから。
しろうと @sirouto
「つながりの多重性(不確定性)」が大事だというのは、多重性がない強制的なつながりは、えてしてブラックなつながりだからだ。たとえば、カワウソ側のレオマブや、チカイに撃たれた彼の子分を見ればよく分かる。
しろうと @sirouto
この「つながりの多重性」は意外に大事だが、とつぜん出てきた発想のように思えるかもしれないから、また別の角度から見てみよう。
しろうと @sirouto
サン・テグジュペリの小説『星の王子様』。最終回に星が出てきたと思うが、これも『さらざんまい』に影響を与えた作品だろう。
しろうと @sirouto
『星の王子様』に、「象を飲み込んだ蛇(ウワバミ)」の話が出てくる。帽子の絵に見える絵があるが、これがじつは「象を飲み込んだ蛇」の絵のつもりだと言うのだ。
しろうと @sirouto
有名な話ではあるが、このエピソードだけだと、初見ではよく意味が分からないだろう。(原作に忠実というわけではなく)ここで言いたいことの文脈に沿って、簡単に解説しておきたい。
しろうと @sirouto
だれでも、「反転図形」を一度は見たことがあるだろう。検索すればすぐ出てくるが、「ルビンの壺」や「うさぎとアヒルのだまし絵」などがそうだ。「象を飲み込んだ蛇」の絵も、(無理やり)反転図形の一種だろう。
しろうと @sirouto
そして、どちらにも解釈できる、といった多重性もしくは不確定性があるからこそ、「信念」を持つことが可能になる。だって、目の前で雨が降っているのに、「雨が降らないと信じている」と言ったって、仕様がない。
しろうと @sirouto
もし、これがノベルゲームであれば、直接ルート分岐で、グッドエンドとバッドエンドに分けることも可能だ。しかし、「さら」はアニメなので、直接分岐で示すことができない。
しろうと @sirouto
「さら」最終回で、ハルカが「ぼくはぼくの選んだものを信じるよ」といった意味のセリフを言っていたと思う。この「信じる」という言葉がポイントなのだと思う。
しろうと @sirouto
「自分の選択が正しい」のではなく「自分の選択を信じる」。この違いは何かといえば、しばしば「他者への排他性」となって現れる。二択で自分が正しいなら、相手が間違っているとなる。
しろうと @sirouto
「自分の選択を信じる」というのは、「その選択が間違っているかもしれない」可能性は織り込み済みで、その上でなお信じようという態度を取っているのだ。
しろうと @sirouto
このことを理解すると、「さら」本編も理解しやすくなる。今のアニメにしては、空気を読まないような不穏なシーンが多いが、それは、最初から正解を示すより、どうあるか視聴者が考えることに意味があるからだ。
しろうと @sirouto
「マークシート式の試験」と違って、人生での選択は、それが正しいかどうかの保証なんてないだろう。人生はマルバツ式に正解が決まらない。
しろうと @sirouto
最初に戻って言うと、生存説と死亡説に別れていたとして、それは意味のある分岐なのかもしれない。必ずしも、どちらかに正解を決める必要はないかもしれない。
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