『ヒーローの承認問題』から見る特撮ヒーローもののシリーズと『まどか☆マギカ』
- crowserpent
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「なにをもって自らの存在を正当と為すか」…すなわち「承認」をどこから得るかってのは難しいテーマだよね。誰もが「守ってあげたい」と願った少女は、ずっとそれで悩んでいた。私は「みんなが守ってあげたいと思う自分」を誇ればいいと思うんだけど。
2011-05-16 12:38:06ここ20年くらいのオタク文化史を、「承認」をテーマに語ることはたぶん可能だと思う。シンジ君も、ハルヒも、まどかちゃんも自己承認の問題で悩み抱えてるコだし。なのはさんはそこで間違えたということもできる。
2011-05-16 12:46:07ビリビリ御坂さんとか、魔砲少女高町さんとか、己の「承認」を戦闘能力の開発によって得ようとする子は、道を踏み外す可能性が怖いね。能力による「承認」って、能力自体の高さではなく、能力をなんに使うかで決まるものじゃないの?
2011-05-16 12:50:20究極的には自己承認の問題なんだと思う。他者からの承認を自己承認に繋げられるか…というところで問題が起きることもあったり。承認をくれる相手や理由が望みと違って苦労することもあるわけで。
2011-05-16 13:23:13承認問題の裏返しとして。「してあげたいこと」と「できること」と「してほしいこと」って一致しないよね。それはまどマギも、IS・これゾンも一緒なんだ。ただ、IS・これゾンの場合はそれを摺り合わせるための時間があり努力を続けてる。
2011-05-16 13:41:55社会:社会は広範かつ複雑な現象であるが、継続的な意思疎通と相互行為が行われ、かつそれらがある程度の度合いで秩序化、組織化された、ある一定の人間の集合があれば、それは社会であると考えることができる。(Wikipedia)
2011-05-18 07:00:22公共:私(private)や個(individual)に対置される概念、 社会一般。おおやけ。また、社会全体あるいは国や公共団体がそれにかかわること。「―の建物」 (Wikipedia)
2011-05-18 07:01:38ここで言う「社会レベルの承認」は、”その作品の世界を構成する人間のほとんど(名もなき一般人含む)からの承認(声援)”くらいにとっておいていただければ、と。社会と公共については厳密に区別せずに使ってる部分があります。そこはごめんなさい。
2011-05-18 07:03:33さらに背景には『リアルのゆくえ』における2007年の東浩紀・大塚英志の対談、『思想地図βvol.1』内「ショッピングモールから考える―公共・都市グローバリズム」での東浩紀の発言があります。(個人と公共についての問題)
2011-05-18 07:05:38公共レベルと言う時は、たとえばその作品世界を構成するシステムとかのレベル(まどマギにおける魔法少女システム)を想定しています。魔女と戦ったり失恋したりするのは個人レベル。
2011-05-18 07:08:12(例)他者からの承認:「僕は、僕はね、人間じゃないんだよ。M78星雲から来た、ウルトラセブンなんだ!」「人間であろうと、宇宙人であろうと、ダンはダンに変わりないじゃないの! たとえ、ウルトラセブンでも」//「ウルトラマンを援護する!」(特に、ウルトラマンネクサスにおける)
2011-05-18 07:11:04(例)社会からの承認:名もなき一般人「ウルトラマン、がんばってー!」/倒れたティガに人々が車のライトを向けて力を分け与えようとするシーン(25話「悪魔の審判」)
2011-05-18 07:12:28個人レベルでの努力を重ねるだけじゃ、公共レベルには届かない。そういう考えがあるともとれるよね。魔法少女たちの嘆きや悲しみ(個人レベル)をどれだけ重ねてもQBやシステムは変わらなかったわけで。
2011-05-16 20:34:26(とはいえ「だから乗り越えよう!」と鼻息荒くする気はない。個人レベルから公共レベルへの飛躍、あるいは飛躍の失敗は娯楽になりうる。うまくいけば、とても印象に残る類の。実際、まどかが神になりシステム改変をやったこと=公共レベルに届いたことは、今も考察されてるわけだし)
2011-05-16 20:39:50手の届く範囲で人を助ける(個人レベル)と、世界を救う(公共レベル)という言い方をするなら、オーズだって同じ問題系にある。……でもこれは最近のトレンドというより、普遍のテーマかもね
2011-05-16 20:42:41それは、Twitterでどれだけ声をあげようが、あの改正案が通ったりあの人が当選したことに繋げてもいいかもね。まあ、これについては言い尽くされた感があるけれども。
2011-05-16 20:44:41周りの人からの承認を積み重ねれば(個人レベル)、社会からの承認に至るのか(公共レベル)。ヒーローものなんかでは"人助けしている姿がテレビに映る"という形で、個人と公共を接続する。逆に、個人レベルのミスはメディアで公共レベルのバッシングにつながる。(日本版漫画のスパイダーマン)
2011-05-16 20:58:25何の話だっけ。そうそう、自己承認・他者からの承認・社会からの承認の話しか。あと、個人レベルと公共レベルの接続。でもってヒーローものなんかだと、接続はメディアによってなされることが多い、と。/でもこのへんは、それこそタイバニで語り尽くされるだろうね。
2011-05-16 22:43:46ヒーローとメディアと承認、見たいな感じでさ。けれどそこは措く。そのへんの議論はタイバニ完結後にたくさんなされるだろうし。それよりも、だ。既にして日本には自己承認・他者からの承認・社会からの承認を一気に完了させ得るヒーロー概念がある。そう、ウルトラマンだ。
2011-05-16 22:45:41仮面ライダーは基本的に暗闘で、個人レベルの闘争だ。けれど、ウルトラマンの戦いは、街を、国を巻き込む。その巨大さゆえに、ある意味公共レベルの闘争にならざるを得ない。
2011-05-16 22:47:20