アニメ『さらざんまい』と『ユリ熊嵐』を比較考察 ~「ユリとクマの男女説」、「ユリ裁判」の意味、性差について~
togetter.com/li/1369938 アニメ『さらざんまい』の「生存説/死亡説」の対立を考察 ~解釈の多重性と『星の王子様』との意外な関係~
2019-06-26 20:41:34yurikuma.jp TVアニメ「ユリ熊嵐」公式サイト 『ユリ熊嵐』とは、ヒトとクマの対立と断絶、またそれを超えた愛を描いたアニメだ。なお、登場人物はほとんどが女性。さらなる詳細は、上記公式サイトを参照されたし。
2019-06-26 20:49:15『ユリ熊嵐』は、登場人物が女性ばかりなので、この「男女」解釈、すなわち「ユリ=女/クマ=男」は、それなりに説得力を持っていたのだろう。
2019-06-26 20:52:51これらに対して、私は違う解釈を立てよう。ただし、「解釈の多重性」が大事だと言ったばかりなので、何か私の解釈だけが正しい、と押しつけたいのではない。こういう解釈もできる、位に受け取ってくれて構わない。
2019-06-26 20:58:06『さらざんまい』は、カッパとカワウソの対立が軸になっている。『ユリ熊嵐』は、ヒト(ユリ)とクマの対立が軸になっている。動物のモチーフを使った擬人化の手法が、両作で共通しているのが分かるだろう。
2019-06-26 21:00:31「さら」では、細かいところは無視すれば、大ざっぱに言って、「カッパ=愛」「カワウソ=欲望」という対立図式があった。それならば、「ユリ熊」でも、同様の図式が当てはまらないだろうか?
2019-06-26 21:01:53つまり、「ユリ熊」は「さら」と同じで、「ユリ=愛」「クマ=欲望」という対立図式で見ると、スッキリして見える。これが私が今回言いたいことだ。
2019-06-26 21:02:44「ユリ熊」放映のタイミングだと、「ユリ=女/クマ=男」などの解釈が有力に見えたのかもしれないが、「さら」放映終了した今のタイミングだと、「ユリ=愛/クマ=欲望」の解釈が有力に見えないだろうか?
2019-06-26 21:03:49これは「さら」を見てからの後出しジャンケンではなく、当時からばくぜんと「男女ではないのでは」と思っていたのだが、「さら」なしでもそう言える根拠も言っておこう。
2019-06-26 21:07:51「愛と欲望」の解釈だと、「ミルン王子」のエピソードがしっくり来る。不死になって何度も反復する、というミルン王子は、「スキを諦めない」という態度なのだが、それは「愛と欲望」というテーマにふさわしい。
2019-06-26 21:10:13これが他の解釈だと、ミルン王子のエピソードが、何が言いたいものなのか、ややボヤけてしまう。まあ解釈できないというほどではないから、完全否定するわけではないけれど。
2019-06-26 21:11:36ミルン王子の「スキを諦めない」エピソードは、男女解釈でも、同性愛/異性愛解釈でも、恋愛が愛と欲望の一形態である以上、そこそこ当てはまる。
2019-06-26 21:13:11「ユリ熊」のミルン王子が「スキを諦めない」反復の話なのに対して、「さら」のハルカは、「ぼくが選んだものを信じる」と分岐の話だ。この両者は、同じ声優の釘宮さんが演じており、作品のテーマだろう。
2019-06-26 21:15:51もちろん、「ユリ熊」の登場人物は女がメイン、「さら」は男がメイン、「ユリ熊」はキリスト教、「さら」は仏教の影響を感じさせる、と作品を構成している要素は異なるが、両者に通底している部分もある。
2019-06-26 21:17:53ただこの「愛と欲望」という区別だけだと、抽象的に感じるかもしれない。具体化する例ではたとえば、「書きたい創作物と売れる創作物」という対立で考えると分かりやすい。そういう話はたくさんあるから。
2019-06-26 21:21:51