~東国征伐~倭建命の旅

とりあえずまとめておきます。
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真庭ふしぎ@風来人 @fusigi_plants

景行天皇は西国遠征を追えて都に戻って間もない倭建命にこのように告げた。「東の方十二道の荒ぶる神、またまつろはぬ人等を言向け和平せ」 pic.twitter.com/dNTrZgkAdA

2019-06-10 06:02:18
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纏向日代宮伝承地。景行天皇が営んだとされる宮の跡地。景行天皇の頃に古代の英雄である倭建命(本の名は小碓尊)が活躍したとされている。倭建命に対して東国遠征を言い渡した都はやはりこの「纏向日代宮」だろうか。 pic.twitter.com/GHlNFvVnUZ

2019-06-10 06:08:56
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皇大神宮。「この国(伊勢)に留まりたい」という天照大御神の神託に基づき倭建命の叔母である倭姫命が創建した神社。景行天皇から東国遠征の命を受けた倭建命はまずこの場所に向かった。 pic.twitter.com/pJ8WXTsE0q

2019-06-10 06:33:57
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倭建命は倭姫命に対してこのように嘆いた。「西国征伐から帰ってきたというのに、間を置かずに兵士もつけずに東国平定に私を派遣するとは景行天皇は私に死ねと思っているのではないでしょうか。」 pic.twitter.com/cpMZUgyNDH

2019-06-10 06:38:43
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憂い泣いている倭建命に対し、倭姫命は草那芸剣と袋を倭建命に渡した。 倭姫命は「危険が迫ったらこの袋を開けなさい。」と告げた。 pic.twitter.com/F4Xm8k5Faf

2019-06-10 07:02:57
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宇治山田陵墓参考地。伊勢神宮の創始者である倭姫命の墳墓「尾上御陵」の比定地。伊勢の地で皇女が天照大神を祭ることは後に「斎宮」として制度化される。 pic.twitter.com/mHrZiBSN7W

2019-06-10 07:08:18
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倭姫宮。伊勢にある大正時代に作られた倭姫命を祭る皇大神宮別宮。比較的近年になって作られた神社である。 pic.twitter.com/o0BoD5RkLg

2019-06-10 07:11:52
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船津神社。倭建命は伊勢から船に乗り尾張に入った。その際に倭建命は縄(なわ)で船をこの神社のあたりに付けた。その事を由来としてこの近辺を「船津名和」と呼ぶようになったという。 pic.twitter.com/EYngukXgvu

2019-06-10 11:15:52
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「船津名和」周辺は尾張国造の祖である乎止与命が拠点としていた。尾張の豪族である乎止与命は「船津名和」に到着した倭建命一行を娘である宮簀媛と共に歓迎したようだ。 pic.twitter.com/et1OfCoygu

2019-06-10 14:55:58
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氷上姉子神社。熱田神宮の境外摂社で祭神は宮簀媛。尾張連である乎止与命の邸宅跡地に立てられたという神社。しかし実際には乎止与命の邸宅跡の伝承があるのはここではなく元宮であるようだ。 pic.twitter.com/qZeDKlxIN9

2019-06-11 07:21:38
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氷上姉子神社元宮。伝乎止与命邸宅跡地。氷上姉子神社は元々こちらに存在していた。倭建命はこの場所で尾張氏から接待を受けたのだろうか。 pic.twitter.com/OeZyIer162

2019-06-11 07:27:14
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上知我麻神社。熱田神宮境内社で祭神は尾張氏の祖である乎止与命。この神社はどうやら「源大夫社」と呼ばれていたようだ。 pic.twitter.com/9h0A8wJaig

2019-06-11 07:33:24
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カブト山古墳跡。名和の隆丘にかつて存在した巨大な円墳跡。築造時期は4世紀末頃で被葬者は名和において巨大な権力を持った人間に違いないだろう。 pic.twitter.com/f6bFs4RoH9

2019-06-11 07:43:01
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寝覚の里。倭建命と宮簀媛が新婚の一時を過ごしたとされる館跡。二人は毎朝潮騒で目を覚ましていた。そのことから里人はこの場所を「寝覚の里」と呼んだ。 pic.twitter.com/0JWHLzqeJJ

2019-06-11 23:32:48
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倭建命は宮簀媛と結婚の約束をしたという。しかし、実際に二人が結婚するのは東国征伐の帰路であるとされている。また、宮簀媛の兄である建稲種は副将軍として倭建命の東征に同行した。 pic.twitter.com/3UkdwclVt0

2019-06-11 23:41:48
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生路井。東浦にある聖なる井戸。倭建命が狩りの途中に弓で岩を射ると下から水が湧きでたのでこの水で喉を潤したという。この水を悪人が汲むと濁ってしまうという伝承を持つ。 pic.twitter.com/2mkRKnmaXh

2019-06-11 23:51:07
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伊久智神社。「生路井」に隣接した塩土老翁を祀る神社。塩土老翁は「生きる路の神」として海潮での製塩を尾張に伝えたとされる。 pic.twitter.com/ZOprGasHOz

2019-06-12 06:28:46
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萱津神社。鹿屋野比売神を祭る神社。倭健命が萱津神社に立ち寄った際に村人は漬物を献上した。倭健命はこの漬物を食べて「藪二神物」と述べたという。この故事は香の物の語源、すなわち漬物の起源とされる。 pic.twitter.com/P8BBksPVIU

2019-06-12 06:50:25
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倭建命の尾張での安楽な日々は長くは続かなかった。ヤマト王権に反目する「まつろわぬ人ども」は矢作川の東側に集結しつつあった。 pic.twitter.com/yZFAzSDXAt

2019-06-12 07:08:48
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矢作神社。倭建命が軍神として素戔男尊を祭ったことを起源とする神社。矢作川の東側にいる「まつろわぬ人ども」と戦う為に広前で矢を作ったという。「矢作」という地名はこれに由来する。 pic.twitter.com/IC5F7TrZjk

2019-06-12 19:29:13
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矢作薮。矢作神社本殿前に生い茂る矢作川の中洲に生えていた竹薮。倭建命率いる東征軍はこの竹を切って「まつろわぬ人ども」と戦う為に一万本の矢を作ったという。 pic.twitter.com/kmilngOGaS

2019-06-12 19:40:37
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倭建命の軍勢は矢作川の東側の「まつろわぬ人ども」を一万の矢を使って撃破した。倭建命の軍勢の中には従者である吉備武彦、武稲種の姿もあったと思われる。 pic.twitter.com/OPBEMTqrM3

2019-06-13 00:20:12
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菅生神社。岡崎市最古の神社。まつろわぬ人どもを撃破した倭建命は一本の矢を高岩にて作り小川に吹き流した。その後に倭建命はその矢を御霊代として天照大神を祭ったという事を由来とする。 pic.twitter.com/xeUlnpE2R1

2019-06-13 06:59:27
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矢作川の戦いの前、倭建命の夢に三人の翁が現れてこのように述べた。「我らは三台星の化身である。我らが尊を守ってやろう。その代わり東夷を撃ち破ったら、その甲首(兜の着いた首)を三つ供えて我らを祀ってほしい。」 pic.twitter.com/CZ5TDoXRdR

2019-06-14 22:37:52
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