ジュンク堂池袋本店.reviewフェア開催記念「現代日本の国家とコミュニティを問い直す」高原基彰×西田亮介
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以上、「ジュンク堂池袋本店.reviewフェア開催記念「現代日本の国家とコミュニティを問い直す」高原基彰×西田亮介」のtsudaり+αでした!詳細: http://ow.ly/1wQ10 #commu2010 お疲れさまでした!!!
2010-04-10 23:48:13西田:『新しい公共』について民主党はなんら定義を与えていない。しかし、『公共』について考える際に参照されてきた『国家とコミュニティー』の関係からこの概念を検討する。 #commu2010
2010-04-10 19:10:40西田:『新しい公共』の担い手は?私は社会起業家に注目している。それは日本の三つの機能不全から説明できる。村落共同体の機能不全。アソシエーションの機能不全。また新しいコミュニティーが生まれる可能性がない『更地』状態という機能不全 #commu2010
2010-04-10 19:13:22高原:村落共同体、アソシエーションへの信頼もないところで、正統性を確保できるアクターは、コストを削減できかついろんなアクター間の利益を確保し合意を得られる社会起業家、NPO。 #commu2010
2010-04-10 19:16:46#commu2010 高原:新しい、経済とは違う規範的な価値基準がなくてはならないのでは。 西田:そういう価値基準がないから、経済的なインセンティブに頼る合意形成が一番現実的なのでは?
2010-04-10 19:18:41#commu2010 高原:日本では個別の主体(地方自治体など)が、ある種の被害者意識をもって発言していることが多い。これはダメだ。73年の転機(石油危機による機能不全)により、国が安全に動いているという前提が崩れた。
2010-04-10 19:21:46#commu2010 高原:その73年の転機により、ロールズのような(最も恵まれない人たちが平等に救済されるべきという)正義論が生まれたが、日本では小さな主体がそれぞれ「助けろ!」と言っている。
2010-04-10 19:24:01#commu2010 西田:その通りで、日本で現在、貧困、貧困と言われるが、どの貧困を救ってどの貧困を救わないか判断する基準が必要。だがそれにロールズ的な基準は使えるのか?やはり、経済的インセンティブが有効なのでは。
2010-04-10 19:26:09#commu2010 西田:日本の政策は財源問題だけ。三位一体の改革も、今の政権もそう。高原:社会企業がお金儲けをしてはならないという感覚が日本にある。社会活動するのは、引退した高齢者や主婦だけ。
2010-04-10 19:42:57#commu2010 西田:今のNPOでは正規に人を雇うことはできない。金の問題で。しかし若者の社会貢献への気持ちは大切にしなければならない。やりがいの搾取にならないようにするにはどうすべきか…
2010-04-10 19:46:47#commu2010 西田:シングルイシューで繋がる社会より、受け皿の広いマルチイシューでゆるやかに繋がる社会であるべき。
2010-04-10 19:48:30#commu2010 西田:日本では財源を地方に渡しても、試行錯誤の経験がないのでガバナンスが難しい。そこで必要なのは、協働、新連携。規制緩和しながら、異業種が手を取り合う方法があるのではないか。
2010-04-10 19:55:03#commu2010 高原:新しい公共は日本的文脈では無理だから、でははじまらない。日本では、改革に断固反対の伝統主義と、改革主義の二交対立。この対立はくだらない。どちらもやるべき。西田さんにはがんばっていただきたい(笑)
2010-04-10 19:59:24西田:<依頼する人間><静観する人間><活動する人間>の三タイプのうち現状は<依頼する人間>ばかりだ。<活動する人間>に経済的インセンティブを与え、「新しい公共」の担い手とするべきだ。社会起業家や事業型NPOなどが主な担い手として期待できる。 #commu2010
2010-04-10 23:35:11西田:国も同じ。<活動する人間>の必要性は意識されてはいるが、結局国は財源の話しかしてこなかった。…自治体に金と権限だけを委譲しても上手く行かない。現状では、彼らには創意工夫、試行錯誤がない。「クリエイティブ・シティ」の失敗がよい例。モデルケースのコピペ。 #commu2010
2010-04-10 23:40:09高原:日本において会社の共同体は一見上手く行っていたが、これ以上は維持できない。したがって、この状況で”会社に勤める”しか選択肢を持てないのは危険。しかし、先に出た<活動する人間>は少ない。 #commu2010
2010-04-10 23:37:42【質疑応答】西田・高原:大学には人材のプールが必要。多産多死。数%の人材が新しいものを生み出す。したがって、大学は経済合理性には従わない。 #commu2010
2010-04-10 23:45:02それぞれの論のキモだったと思うのは、高原さんの場合「73年のスタイル」の話。著書等でも述べられているが、非常にわかりやすい説明だった。 #commu2010
2010-04-11 01:08:39欧米の公民権運動は、報われない個人や少数の人が「なぜ報われないか」という被害者意識に基づき、再配分を望むという形の自己主張として展開した。ただしそれは、国全体が安定成長しているという前提に基づいていた。経済の安定成長が揺らぐと、その運動も変化が求められた。 #commu2010
2010-04-11 01:12:19それが73年のオイルショック。分配の理論は「私に分配を」という個別の論理から、ロールズの「正義」のように「最も貧しい者を救わねばならない」のような規範意識へと転換し、社会的にも共有されていった。 #commu2010
2010-04-11 01:16:02しかし日本ではワンテンポ遅れ、73年以降さまざまな弱者、少数派が「発見」される。ゆえに、規範として捉える発想そのものが育たなかった側面がある。会の冒頭で述べていた「新しい規範が無ければ現状のブレイクスルーにならない」という主旨の発言と繋がる内容だと思う。 #commu2010
2010-04-11 01:20:40一方西田さんが問題にしていたのは「村落共同体の機能不全」、「アソシエーションへの信頼の不在」、「それらに代わるコミュニティの不在」という「更地」の日本で、アテにできる規範や「正義」はありえるのか?ありえるとしたら、どのようなものなのか?ということ。 #commu2010
2010-04-11 01:30:05「新しい公共」の担い手の理念的な模索と並行して、実際に「コミュニティ」を作る具体的な提案をしていこうという話。その為に、経済的インセンティブに頼る合意を形成する方法が一つあり得るという感じか。西田さんのほうが複雑なラインどりに思うのは、発言数が多いからか。 #commu2010
2010-04-11 01:35:58