夫婦別姓は日本の伝統?

備忘録として、明治5年から実施された戸籍法の原文と様式、そしていくつかの太政官指令を調べてみました。おそらく、実態としては大部分が「夫婦同姓」で、明治9年の「夫婦別姓」の太政官指令が徹底しなかった様子が見て取れます。
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池田信夫 @ikedanob

@tabbata 「夫婦同姓が日本の伝統」というのは、自民党右派が勘違いして広めた迷信。これは明治時代にフランス民法から輸入した制度。 ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51877…

2019-07-06 12:19:38
ABO FAN @ABOFAN

@ikedanob @tabbata 法務省のサイトには、明治9年3月17日付太政官指令 妻の氏は「所生ノ氏」(=実家の氏)を用いることとされる(夫婦別氏制)。moj.go.jp/MINJI/minji36-… とあるので、昔から名字は家単位で(多くは夫の名字)が一般的だったのでは? 元々夫婦別姓なら、そもそもこの指令を出す必要はないはず。

2019-07-06 13:10:12
池田信夫 @ikedanob

@ABOFAN それは、江戸時代までは苗字が決まっていなかったから。武家には同姓も別姓もあったし、百姓には苗字がなかった。

2019-07-06 13:22:46
mametan @tosiho

@ABOFAN @ikedanob @tabbata 違います。太政官令が夫婦別姓の理由は江戸時代は一般庶民は苗字の公称を許されず屋号など俗称を使用し名字では無かったからです。夫婦同姓概念ではありません。 例えば親が勘右衛門だと跡を継いだ子も勘右衛門と称し現代的な人名感覚と違う。夫婦同姓は明治31年の民法から。yab.yomiuri.co.jp/adv/chuo/opini…

2019-07-06 15:01:50
ABO FAN @ABOFAN

@tosiho @ikedanob @tabbata あくまで推測ですが…。名字自体は江戸時代に存在していたはず。mametanさんの名字は明治の新造ですか? 我が家は(公式には名乗ってませんが)江戸時代から今の名字です。池田家もそうでしょう。私の田舎では、明治になって名字を新造したのは一握りです。名字は当時の生活単位の「家」の名前では?

2019-07-06 15:22:13
ABO FAN @ABOFAN

@tosiho @ikedanob @tabbata 長くて恐縮です。田舎なら「あの家は明治に名字を作った」なんて絶好の話題なので、まだ残っているはず。それがないのだから、「公式」に名乗っていないだけで、大体は名字があったはず。もっとも、現在の名字とは実態や社会的意味は違うでしょうが。つまり、ご紹介のサイトのとおりなのです。

2019-07-06 15:33:10
mametan @tosiho

@ABOFAN @ikedanob @tabbata 庶民の家の名で名字を持っていたからといっても、夫婦同姓とは言えません。 江戸時代に公称していた武家や公家が夫婦別姓の慣習だったのに、公称できない身分の庶民の妻だけが夫の家の名字に結婚で改姓するのは矛盾です。夫の家の名字があっても、それは妻の名字とは違います。

2019-07-06 15:36:35
mametan @tosiho

@ABOFAN @ikedanob @tabbata 江戸時代の手紙で妻が、婚家の屋号を使用していても、名字は代々の当主だけが継承していた例があります。 名字がある事と夫婦同姓とは概念が全く違うと思います。 我々の言う夫婦同姓は明治31年の民法からです。 twitter.com/tosiho/status/…

2019-07-06 15:43:06
ABO FAN @ABOFAN

@tosiho @ikedanob @tabbata 「例」ではなく、一般的にどうだったかということです。明治5年の「壬申戸籍」souzoku.kouekisya.com/3-10.html明治19年の様式 souzoku.kouekisya.com/3-09.html明治31年の様式 souzoku.kouekisya.com/3-08.html を見ても、制度上夫婦別姓だという感じは受けませんが…。推測ですが、夫婦同性が主流だったのでは?

2019-07-06 16:03:44
mametan @tosiho

@ABOFAN @ikedanob @tabbata 戸籍の記録様式は。むしろ太政官令で夫婦別姓としているのだから、戸主の名字のみで家族の名字まで記録様式を徹底しなかっただけなのでしょう。 元武士や官職にある者は当然、太政官令に従うでしょうから、一部が別姓の戸籍で多数の庶民が同姓の戸籍と分化したのではありませんから。

2019-07-06 16:15:24
mametan @tosiho

@ABOFAN @ikedanob @tabbata 一般の慣習は、庶民は名字の慣習を知らないので、屋号や俗称と同様に便宜的に妻が夫の名字を使用する事はありました。しかし、それは妻自身の名字という今日の人名意識による夫婦同姓とは違います。その為に夫婦別姓の太政官令の回答が歴史的にあったのです。

2019-07-06 16:20:17
ABO FAN @ABOFAN

@tosiho @ikedanob @tabbata 太政官令で夫婦別姓←明治9年 壬申戸籍←明治5年 これは夫婦別姓と同姓が混在していた証拠では? 一般の慣習は、庶民は名字の慣習を知らない←私の田舎では江戸時代から名字(非公式)があった人が大半。ご自身や周りの人は、江戸時代は名字がなかったですか? しつこいと失礼なので、このへんで。

2019-07-06 16:43:44
ABO FAN @ABOFAN

@tosiho @ikedanob @tabbata すみません、前言を翻します。 続戸籍をかけたたたかい tkc.jp/lg/kaze/199801… 婦女人に嫁するも夫家を相続し、または分家した場合を除きなお生家の氏を用ふべきものとするが、管下へ令達する義は見合わせ ←やはり、明治9年の太政官指令は徹底できなかったのが実情…。これで本当に終了です。

2019-07-06 16:59:41
mametan @tosiho

@ABOFAN @ikedanob @tabbata 夫の家の名字を妻自身の名字とする夫婦同姓と 妻が夫の名字を便宜的に使用するのとは違います。 例えば、養子縁組は自身の名字が養親の名字となります。 いわゆる婿養子は、妻の父と夫が養子縁組して擬制的親子関係になり婿入りします。 通常の嫁入りはそのような擬制的血縁はありません。

2019-07-06 17:23:02
mametan @tosiho

@ABOFAN @ikedanob @tabbata 家の名を称する事は当時の慣習意識や社会的価値概念では戸主や血縁的な家督の相続に大きな影響を及ぼします。明治31年の民法成立まで明治政府は太政官令で一貫して夫婦別姓でした。妻の称する名字についての概念が現在の人名意識と違います。妻が夫の名字を使用するのと妻自身の名字とは違うという概念

2019-07-06 17:28:58
ABO FAN @ABOFAN

@tosiho @ikedanob @tabbata 参考までに、明治5年から実施された戸籍法の条文です。digital.archives.go.jp/das/image-j/M0… pic.twitter.com/4tlQeyiapp

2019-07-07 06:59:01
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