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支援を受けられず困窮、内裏再建が出来ない時期があった

耀姫(あかるひめ) @AkaTamaYoriHime
京都が戦乱で焼け野が原になって 公家達が疎開したことで、皇室は貧窮して まともに宮中祭祀が維持できなくなった時代があります。皇室のスポンサーの 私達秦氏が、戦乱の責任を追及して 経済支援を打ち切ったため、京都の内裏が再建されず 空き地のまま長い間放置されていたぐらいなのです。
耀姫(あかるひめ) @AkaTamaYoriHime
悪さをしたので 私達に顔を背けられて 四国に逃げられた朝廷は 衰退し、武家社会になります。他にも無茶をやりすぎて私達を怒らせたので、戦乱で焼けた内裏が再建されず、皇室は困窮を極め、京都御所が吹きさらしの状態で長期間放置されていました。このため皇室祭祀も 正しく伝承されていません。

応仁の乱の最中に起きた「三種神器」の争奪戦

MMⅼ @momo_sanpo
これも誅殺だったのかも inari.jp/about/num03/ 将軍・足利義教が、播磨の守護・赤松満祐に殺される「嘉吉の変」

「 この時代は、皇統の血の汚濁が目に余るモノになっていました。」
フィーネ・ストラウス @FineStraus
@momo_sanpo この時代は、皇統の血の汚濁が目に余るモノになっていました。 称光天皇は病弱すぎて世継ぎを残すことすら難しい状況にあり、 精神的にも難のある状態で、皇統が自分の代で途絶えることを危惧している近臣の内心を察知すると、 近臣や女官に当たり散らし、金の鞭を用意させて打ち据える、
フィーネ・ストラウス @FineStraus
@momo_sanpo 虐待を宮中で繰り返し、 見かねた足利義持は、上皇に相談していますが、どうにもならなかったようです。 弟がいたようですが、天皇が可愛がっていた羊を強引に譲り受けた直後に撲殺するといった、周囲には理解できない暴力を伴う奇行が著しく、 他の近親者にも奇行が見られて、
フィーネ・ストラウス @FineStraus
@momo_sanpo 皆、僧籍に入れて天皇候補から外す以外、手の打ちようがない、惨憺たるありさまだったようです。 ときの斎皇は、皇統の穢れを祓うため、傍流の後花園天皇を即位させたのです。 貞成親王斎皇の指名を「神慮」と称して喜んだことが当家に伝わっています。

▼封印されたままの謎の玉手箱
フィーネ・ストラウス @FineStraus
@momo_sanpo 後小松上皇による院政時代に世が乱れ果てていたため、その影響で各地で土一揆が起こっています。 永享の乱、嘉吉の乱では、後花園天皇は治罰綸旨の発給によって朝敵を明らかにすることで皇権を回復し、事態の収拾に努めています。 しかし、斎皇が宮殿の防備を固めるように諭した言葉を、
フィーネ・ストラウス @FineStraus
@momo_sanpo 財政的理由から退けたため、 後南朝勢力が土御門内裏に夜襲をかけ放火し、三種の神器の剣と神璽(曲玉)を強奪される禁闕の変が起こってしまいます。 剣を持って逃げた賊は、斎皇家の男衆が清水寺まで追跡して斬り捨てたため、神器の剣は確保されましたが、
フィーネ・ストラウス @FineStraus
@momo_sanpo 神璽を持ち去った賊は、背後関係を見定めるため泳がした結果、後南朝勢力に持ち去られた形になりました。 後に、後南朝の行宮を襲撃して神璽を奪還する作戦=長禄の変が起こりますが、空箱のみでついに中身を発見できずに終わっています。 一説によると、 後南朝側は襲撃を察知して
フィーネ・ストラウス @FineStraus
@momo_sanpo 斎皇家に神璽を預けたことになっていて、 六甲奥池にある西の宮斎宮=竜宮の高御座の右手の小部屋に、厳重な封印を施されて数百年安置されてきたとされる古ぼけた預かり物とされる玉手箱の中身が、このときの神璽の可能性がありますが、 預けた本人が戻らず、当時の約束に従って
フィーネ・ストラウス @FineStraus
@momo_sanpo 誰も封印に手を触れていないため、 中身が神璽かどうか確認は取れていません。 表向き長禄の変は、1457年12月18日に赤松氏の遺臣らが後南朝の行宮を襲って、南朝の皇胤・尊秀王と後南朝の征夷大将軍・忠義王の兄弟を討って、神璽を持ち去りますが、 その後、神璽の大争奪戦が繰り広げられて、
フィーネ・ストラウス @FineStraus
@momo_sanpo 京都に神璽が戻ったのは同年の8月30日となっています。 じつは、 赤松氏の遺臣らが尊秀王のもとに身を寄せて神璽の在り処を確認するまでに一年を費やしていて、 その間に、斎皇に拝謁する機会を得た尊秀王「神璽を奪われないようにしなさい」という神託を授かり、斎皇家に本物の神璽を預けて、
フィーネ・ストラウス @FineStraus
@momo_sanpo 斎皇から下賜された新造の分霊品を自分の手元に保管した、という口伝えも斎皇家には残りますが、コレは後世の創作の可能性もあるため、真相は不明です。 長禄の変の首謀者とされる赤松氏の遺臣達のなかに、丹生谷帯刀左衛門が含まれていて、丹生一族=斎皇家傍流の直属エージェントが、
フィーネ・ストラウス @FineStraus
@momo_sanpo 神璽奪還作戦に一枚噛んでいたことが見て取れます。 ※丹生は天照大神・和魂・丹生つ日女の一族=斎皇家の御三家の一つを表し、傍流の男系=入り婿の分家が対外向けに名乗ることが多い。 神璽争奪戦の中身は複雑で、何がどうなったのか定かではありませんが、 このとき預かった品でなければ、
フィーネ・ストラウス @FineStraus
@momo_sanpo 斎宮の高御座の脇にある小部屋に安置されている、神璽を入れる封印された箱の由来が他に見当たらないことになります。 わずか数百年前の神宝クラスの伝世品で由来が分からないモノなど他にないので、 南朝の皇胤尊秀王から預かったが、尊秀王が狛犬に無礼討ちされて戻らなかったため、
フィーネ・ストラウス @FineStraus
@momo_sanpo 返還のアテがないまま放置されている、という口伝えを無かったことにすると、斎宮の最も重要な位置に安置・封印された国宝級の神器の由来が定かでないという、極めて不自然な話になります。 神使の狛犬に尊秀王が無礼討ちにされ、胴体から首を引き千切られた伝承は、斎皇家以外には
フィーネ・ストラウス @FineStraus
@momo_sanpo 見当たらないようですが、 尊秀王の首と神璽を奪い返した吉野の民の直系とされる「筋目」と呼ばれる人々が川上村で、生前使用していた武具を御神体として崇める「朝拝式」を行っており、 吉野町窪垣内では、尊秀王が身を隠していたとき犬が吠えて敵に見つかったという伝承が残っていて、
フィーネ・ストラウス @FineStraus
@momo_sanpo 犬は不吉なものとされて、誰も犬を飼わなくなったとされます。 神璽の争奪戦が何ヶ月も吉野の地で繰り広げられて、真相が定かでなくなっている点や、 もしも空箱だったのなら、中身を誰がどう補填して現在に至るのか、といった疑問は、今となっては解き明かしようがないと思います。
▼三種の神器
フィーネ・ストラウス @FineStraus
@momo_sanpo 現在北朝の皇統が伝世する三種の神器の神璽は、斎皇家が1400年代中頃に新調して下賜した分霊品の可能性もあるのですが、 開けてはならない雷銀の仕掛けが施された玉手箱の状態で、厳重に封印されているようなので、誰も確認することができないようですね。 もちろん、
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