火葬を拒否した中世日本の貴族、藤原義孝

2
遠藤 @enco2001

日本、火葬が庶民の間で一般的になったのは明治政府の衛生対策が大きいけど、じゃあ江戸時代以前は火葬をしなかったのかというと中世に上流階級ではむしろ火葬が一般的だったようなんですよね。

2019-07-17 20:49:35
遠藤 @enco2001

あえて火葬にしないという話が残るくらいなので。 有名なのは歌人として知られる藤原義孝で、仏教への信仰心篤く、「一旦死んでも法華経を唱えるために生きながらえるので、例のようにはしないでください」と普通に葬式して火葬しないよう母親に遺言を残しています。

2019-07-17 20:54:39
リンク Wikipedia 藤原義孝 藤原 義孝(ふじわら の よしたか)は、平安時代中期の公家・歌人。藤原北家、摂政太政大臣・藤原伊尹の三男(または四男)。中古三十六歌仙の一人。子に三蹟の一人・藤原行成がいる。 父・伊尹の執政下で、侍従・左兵衛佐を歴任する一方、春宮亮として甥にあたる春宮・師貞親王に仕える。天禄2年(971年)右近衛少将に任官し、天禄3年(972年)正月には正五位下に叙せられた。幼少時より道心が深く、同年11月に伊尹が没した際には出家を考えたが、同年に生まれたばかりの子息(のちの藤原行成)を見捨てることができず、思いとどまっ 15
遠藤 @enco2001

清少納言が仕えた藤原定子も火葬を拒否し土葬でしたね

2019-07-17 21:11:23
遠藤 @enco2001

実はこのとき、義孝の兄挙賢も病身で、同日中に兄と弟が相次いで亡くなったからか母親は遺言を忘れてしまって火葬してしまったという笑えない展開がこのあとに待っているのですが……。

2019-07-17 21:03:54
遠藤 @enco2001

遺言失念して火葬されてしまった義孝くん、当然母の夢にでてきて恨み言を投げつけ母は嘆き悲しむ。その後ある高僧の夢にこの兄弟があらわれて兄はひどく悲しげ、しかし弟の義孝は和歌と漢詩とで極楽にいて満足している様子を伝え人々は極楽往生されたのだなあと言い合って大鏡的にはハッピーエンドです

2019-07-17 21:28:19
遠藤 @enco2001

義孝はこの後、人柄が語られ、さらには子の藤原行成が蔵人頭に抜擢されるエピソードが続きます。なお「いたうもの思へるさま」だった兄・挙賢のほうは特にフォローがないままです。

2019-07-17 21:37:35
遠藤 @enco2001

出典は『大鏡』。ちょうどこの大学入試古文の出題がこのエピソードなので解説や訳などは以下のブログをみてみてください。 kokugaku.net/nyushikaisetsu… kokugaku.net/nyushikaisetsu…

2019-07-17 22:54:51
リンク 国学・漢籍郷学所 中央大学の古文の入試問題の解説(2011年) 中央大学の国語(古文)の過去問を独自に解説。各問題のポイントや解き方を詳しく説明。問題文の現代語訳もあります。気軽に読んで受験対策をしましょう。
リンク 国学・漢籍郷学所 中央大学の古文の入試問題の解説(2011年)続き では、前回の続きの2011年の文学部の古文の入試問題の後半の部分を学習します。後半の文章と問題は以下の通りです。後半の本文次の文章を読んで、後の問に答えなさい。その遺言を母北の方忘れたまふべきにはあらねども、④ものもおぼえでおはしければ、思
リチャード・王 @RiWong

@enco2001 薪の価格考えたら土葬しかできなさそうですしね、お金持ちしか無理でしょうな

2019-07-17 20:51:09
遠藤 @enco2001

@RiWong 貴族でも薪の代わりに藁で焼いたりしたそうで、窯で焼くわけではないようなのでコストかかりすぎますわなあ。

2019-07-17 21:13:25