若松英輔『考える教室』 第3章「働く」ことについて――ハンナ・アレント『人間の条件』
#考える教室から 今日から第3章を再読します。図書館で、ちょうど『人間の条件』も借りられました。
2019-07-24 11:54:37#考える教室から ここでアレントが行おうとしているのは、労働、仕事、活動の検証と再定義です。
2019-07-24 12:49:09#考える教室から 今回は、帰結ではなく、道程を中心に考えてみましょう。単に結論を受け止めるのではなく、その道程を共に歩いてみる。そこでしか見えてこないものもあるのです。
2019-07-24 12:50:40#考える教室から 論じるべき問題は、身近に、そして日常の中にある、というのです。日常の中にこそ、というべきかもしれません。
2019-07-24 12:52:29#考える教室から 誰かの考え、誰かの言葉をそのまま受け入れるのではなく、それと対話しながら、私たちは誰もが自分の哲学を構築していかなくてはならないのです。
2019-07-24 12:53:57#考える教室から 哲学は、解答を与えてくれるものだと考えている人もいるかもしれません。しかし、アレントは、唯一の解答を見つけたいのではなく、問いを深めたい、そう宣言するのです。
2019-07-24 12:56:17#考える教室から 人は誰も、迷っているとき、早急に答えを得たくなるものです(略)哲学の力をつけrには、喉が渇いたからといって毒を飲むのではなく、その乾きに耐えることを学ばねばなりません。心の渇きを真に癒すのは、世に流布する「甘い」言葉ではありません。自分の手で掘り出したコトバです。
2019-07-24 12:59:51#考える教室から 人間の条件を再検討するためにアレントは、私たちのうつろいやすい「思考」ではなく、「行ない」に重きをおいた、というのです。
2019-07-24 13:01:44#考える教室から つまり、アレントがいう「労働」という言葉には、人間の根源的な尊厳のようなものが含まれています(略)万人が、つねに「生きる」という労働に従事している、ということになります。
2019-07-24 13:07:37#考える教室から 現代では、アレントがいう労働の意味が見失れたまま、「仕事」をすることを強いられることがある。
2019-07-24 13:08:58#考える教室から 彼女がいう労働は、その人にしか行えない固有な意味を持ったいのちの営みのことです。
2019-07-24 13:10:30#考える教室から 私たちのいのちは買うこともできなければ、代わりもありません。しかし、ある人たちは「労働力」も金銭で「買う」ことができると考えている。
2019-07-24 13:12:14#考える教室から 他者と容易に分かち合うことのできないもの、それを自分というものの根底に据えなくてはならない、そして労働こそ、その基盤になるものだというのです。それは、労働の意味は、他者には理解されないものであることが前提になっていることを意味しています。
2019-07-25 12:25:51#考える教室から いつからか私たちは「労働」を苦役という言葉と同義にしてしまったのかもしれません。意味を見失うということは、単に言語の問題にとどまりません。それは、その人の世界観に直結します。
2019-07-25 12:28:02#考える教室から (略)真の意味で「考える」という営みは、個において問いを深めることです。しかし、彼らにとって個は、いつも他の個とつながることで、はじめて個であり得るのです。
2019-07-25 12:30:14#考える教室から 何かを明晰に解釈することばかりがよしとされ、美や自然、あるいはいのちを深く感じることの意味が失われつつある、というのです。
2019-07-25 12:32:10#考える教室から 頭を働かせるのは素晴らしいことだけれども、頭を働かせるだけではなく、同時に手も動かすとよいということを、アレントも石牟礼道子も伝えようとしていると思えてなりません。
2019-07-25 12:34:40#考える教室から アレントは、そのことは、真の「労働」には、「生命の祝福」があることによって確かめられる。それは「仕事」を通じて感じられるものとは別種のものだというのです。
2019-07-25 12:36:58