- arishima_takeo
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世の中には、測定できるものがある。測定するに値するものもある。だが測定できるものが必ずしも測定に値するものだとは限らない。byミュラー『測りすぎ』
2019-07-27 19:31:29測定のコストは、そのメリットよりも大きくなってしまうかもしれない。測定されるものは、実際に知りたいこととはなんの関係もないかもしれない。あるいは、本当に注力するべきことから労力を奪ってしまうかもしれない。byミュラー『測りすぎ』
2019-07-27 19:36:23キャンベルの法則:定量的な社会指標が社会的意思決定に使われれば使われるほど、汚職の圧力にさらされやすくなり、本来監視するはずの社会的プロセスをねじまげ、腐敗しやすくなるパターン。心理学者キャンベルの名でもって命名。類似の法則に「グッドハードの法則」。
2019-07-27 19:39:08『測りすぎ』は、大学のネオリベ的評価システムへの批判から出したのかなと思ったら、本当の標的は公文書改竄問題だったんだな。やるなみすず。
2019-07-27 19:40:58測定基準はしばしば、その網の目をきつくするツールを提供する。誤測定が一種の誤規制であるように、過剰測定も過剰規制の一種なのだ。byミュラー『測りすぎ』
2019-07-27 19:42:59学士号を取得した者が得る収入は持たない者よりも平均すると多いというのは事実だ。したがって、個人レベルで見れば、学士号の取得は経済的に理にかなっているかもしれない。だが全国レベルで見ると、大卒者を増やすことがより高い生産性を意味するという考えは、誤った推論だ。byミュラー『測りすぎ』
2019-07-27 20:56:49学位とは地位財であり、無学位者がいて初めてその希少価値が担保される。学位がコモン化した世界では、かつては高卒資格しか要らなかったような仕事にも学位が求められるようになる。
2019-07-27 21:00:07おそらく、高校がそうであるように、大学もやがては(あるいはすでにもう)準義務教育化していく定めにある。だが、だからこそ大学は多くの一般入学者のために職業訓練学校化を優先し、研究というマニアックな価値を諦めなければならない。在野研究はこの視点からも考察されねばならない。
2019-07-27 21:04:48現在の大学(人)や研究(者)は自身が実は就職にも役立つのだというかたちで両者の統合を目指している。無用の用よりも戦略的には評価できる。が、これはおそらく長期的に耐えうるものではない。では、どうすればいいのか?
2019-07-27 21:08:21研究が仕事にも役立つ? 結構。だが、役立たない研究は、というよりも、役に立たせたくない研究はどうなるのか。大学に慈悲などない。私が在野研究に拘るのは、私の専門が文学であることに深く関係している気がする。
2019-07-27 21:12:48「学術界でも、ほかの分野と同じように、測定できるものは改竄できる」(ミュラー『測りすぎ』)。インパクトファクターは批判的言及でも加算されるしね。
2019-07-28 09:25:23より多くの測定的な説明責任を政府に求める者が見落しているのは、大学の教育費が上がっているという非常に現実的な原因が、部分的には、事務教員の数が膨らんでいるからだという点だ。byミュラー『測りすぎ』
2019-07-28 09:27:02測定は、判断を要するものだ。測定するべきかどうか、何を測定するのか、どうやって測定するのか。測定される対象の重要性を評価し、成果に報酬や懲罰を紐づけるべきかどうか、測定結果を誰に公表するべきかという判断を要するのだ。byミュラー『測りすぎ』
2019-07-28 09:30:14測定対象が人間の行動に関するものであればあるほど、測定の信頼性は低下する。対象である人間には自意識があり、測定に反応することが可能だからだ。byミュラー『測りすぎ』
2019-07-28 09:31:51ミュラー『測りすぎ』読了。何気なく手に取ってみたが掘り出し物だった。面白い。測るとは数値化のことだから、功利主義の問題でもある。
2019-07-28 09:37:47現代功利主義は、測る主体を人間ではなく機械に代替させることで、改竄や恣意的運用を防止する方向に進んでいるようにみえるが、ミュラー本を読んで思ったのは、測定結果を誰かが解釈する段階は絶対に切り捨てられないだろう、ということ。
2019-07-28 09:39:41