北条泰時「わたし・・・すべての武士を御成敗式目で救いたい」
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nonomaru116
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儒教、というか宋学的な君主論が浸透しきっていて、しかも天皇という装置を有する畿内、西国と、東国における君主の理想像は、実は結構違う気がする。東国の理想の君主は、結局鉢の木の時頼や、地方漫遊の御隠居や、暴れん坊旗本三男坊なんだよなあ。と起きてきて呟く。
2011-05-21 00:07:28
あと東国の法治主義は間違いなく鎌倉幕府っていうか北條泰時のせい。北條泰時→足利直義→北條早雲→徳川家康の流れは間違いなくあると思う。
2011-05-21 00:10:07
@1059kanri 泰時のあの極端な滅私・清貧・公平性追求といった潔白な裁定者の方向性を、確実に直義が意識し、その直義の薫陶を受けた管領達が、室町幕府を生み、その室町幕府から早雲が生まれたわけですからね
2011-05-21 00:15:28
@1059kanri そして頼之や了俊といった初期の幕閣達も直義の薫陶を受けた可能性があります。思想的に直義は北條氏の双子で、室町幕府は直義の子ですね。
2011-05-21 00:22:17
時頼廻国話の類型譚って、大体働きの割に報われない武士の元に、ある時偉い人が現れて正しい報いを保障してくれるって話だもの。東国ではそれさえしてくれればキリストになれるのだ。
2011-05-21 00:27:29
@mknhrk 直義の発想は明らかに安達泰盛の改革の流れを汲んでいますね。単純に北条政権のコピーではない点も実に面白いです。
2011-05-21 00:32:42
@1059kanri しかし安達泰盛の改革もやはり視線の先に泰時がいるんですよね。実はこの時期までに東国の「理想の為政者像」を北條が作り上げたってのが後々日本の方向性を作ったような気がしないでもないんですよ
2011-05-21 00:36:36
@mknhrk 惨めな俺を助けてくれる「癒し神」としての君主ですなw つーかこれだとむしろ教祖ですが(使うのは世俗の法だけどw
2011-05-21 00:48:17
@nonomaru116 宗教化し過ぎたり、権威化すると一気に引きずり落とされる残酷さが特徴ですな。ひたすら無私で清貧で公平性をアピールしないとならない。わけがわからないw
2011-05-21 00:50:24
@kanekoiroha 戦い疲れ希望が見えない御家人を無限の無私清貧の決意で救う為、武家法という概念になった泰時さん妄想です
2011-05-21 01:05:32