ドイツ現代史家によるナチスデマ総ツッコミ
いいですか皆さん、「ナチスのフライコール」とかいう妄言を吐いたうえに、いまだに訂正も撤回もしていない某アカウントの言うことには、けっして耳を傾けてはなりませぬよ。
2019-06-09 01:06:32「ナチスのフライコール」なるものについて
「ナチスのフライコール」とかいうとんでもない妄言に出くわし、「もしかしてこの人、自由にヤジコールを飛ばす集団のことを『フライコール』だと思っているのでは?」と一瞬考えてみたが、それですら最大限の好意的解釈であることがわかり、頭を抱えております。
2017-10-08 21:18:35「ナチスのフライコール」と呼べるものとしては、1938年9月のズデーテン危機に際し結成された「ズデーテンドイツ義勇軍(Sudetendeutsches Freikorps)」というパラミリタリ部隊があるのですが、当該ツィートをみる限りヴァイマル期の話なので、明らかにこれではない…
2017-10-08 21:25:49当該ツィートにおける「ナチスのフライコール」がどれだけトンチンカンなワードであるか、日本思想史に置き換えて説明すると、「猶存社の老荘会」ぐらいのトンチンカンさです。
2017-10-08 21:54:38ここでの「ナチスのフライコール」が第一次世界大戦直後のドイツで結成された志願兵部隊"Freikorps"を指すのなら、その「初期の任務」は「徒党を組んで演説を妨害する集団的行動」などという生易しいものではなく、国内での市街戦や東部国境地域での武力闘争、そしてバルト地域への(反共)干渉戦争。 pic.twitter.com/q19u8tugue
2019-07-18 08:49:00さらにいうと、第一次世界大戦直後の"Freikorps"の結成に際しては、ナチ党(国民社会主義ドイツ労働者党:NSDAP)の前身であるドイツ労働者党(DAP)すら関与していない。関与したのはDAP党首ドレクスラーが参加していたトゥーレ協会だが、協会自体もミュンヘンの"Freikorps"の主導権は握れなかった。
2019-07-18 08:56:09ただ、この「ナチスのフライコール」デマには(発し手が意識しているかは知らないが)歴史的源流があり、それはヒトラー内閣成立(1933年)後に展開されたナチ・プロパガンダ。実はナチ党自身が第一次世界大戦直後の"Freikorps"を自党の前身として位置づけ、演出することにそれなりの力を割いていた。
2019-07-18 09:02:53では「ナチスのフライコール」は歴史上存在しなかったのかというと、そうでもない。時は流れて第二次世界大戦末期、崩壊しゆくナチ体制において打ち出された苦肉の策が、第一次世界大戦直後の"Freikorps"に範をとった新たな"Freikorps"の結成だった。これについては下記参照。twitter.com/heero108/statu…
2019-07-18 09:12:04一年以上前に「ナチスのフライコール」なる言葉がTwitter界を駆け巡りましたが、ヴァイマル初期の義勇軍ではなく、本稿で登場する「アドルフ・ヒトラー義勇軍」や「ザウアーラント義勇軍」、「オーバーシュレージエン義勇軍」こそが、正真正銘「ナチスのフライコール」です。 twitter.com/heero108/statu…
2019-01-15 04:57:57一年以上前に「ナチスのフライコール」なる言葉がTwitter界を駆け巡りましたが、ヴァイマル初期の義勇軍ではなく、本稿で登場する「アドルフ・ヒトラー義勇軍」や「ザウアーラント義勇軍」、「オーバーシュレージエン義勇軍」こそが、正真正銘「ナチスのフライコール」です。 twitter.com/heero108/statu…
2019-01-15 04:57:57ドイツの恩師パトリック・ヴァーグナー先生の論文「「古参闘士」の最後の戦場:第二次世界大戦最後の数ヶ月におけるナチ活動家の孤立・共同体形成・暴力」を『ヨーロッパ研究』18号(2018年)に拙訳で掲載させていただきました。desk.c.u-tokyo.ac.jp/download/es18_… その意義については画像(44頁)を参照下さい。 pic.twitter.com/fo8Ux9M6Wj
2019-01-15 04:32:02その後...
相変わらずすげーな。近代(国民国家/市民社会)における軍隊を何だと思っとるんだという話だし、そもそも「軍隊」を一枚岩で語れるのかという話だし、「差別してバカに」されただけで人が自らの職務を簡単に放棄できる社会(状況)なら、もはや「軍隊と市民」どころの問題じゃねーだろという話だし。 pic.twitter.com/kFzkPE20X5
2019-07-28 20:08:51これについての参考文献
「ナチスのフライコール」というパワーワードに、『暴力の経験史』の著者を召喚せざるをえない。 twitter.com/gerogeroR/stat…
2017-10-08 20:08:58市民が自然にヤジをとばしたんじゃなくて徒党を組んで演説を妨害する集団的行動だって自白してどうするんだよ ちなみにナチスのフライコールの初期の任務は「対立候補の演説をひたすらヤジを飛ばして妨害すること」だったんだがなぁ というか演説聞きたい人の権利侵害してる考えはまったくないんだな twitter.com/katepanda2/sta…
2017-10-06 21:29:22『暴力の経験史』でなくとも、古典である『ナチズムの前衛』さえ読んでおけば、「ナチスのフライコール」という妄言を吐いて恥をかくことはなくなるので、その意味でドイツ義勇軍研究は「役に立つ」ことが証明されました(文科省向けツィート)。
2017-10-08 21:35:48@hokusyu82 「ナチスのフライコール」程度の認識しかもたない人が、最初に『暴力の経験史』を読んでしまうと、あまりのギャップで別方向におかしくなってしまう可能性があるので、専門家としては手堅く最初期の研究から順にフォローすることをおすすめしております。
2017-10-08 21:40:27「ヒトラーの男女平等論」=なんJのデマスレ
次に移る。「ヒトラーの男女平等論wwwwwwwwwwwwwwwwwww」(tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/…)という紛うことなきデマスレにて、「「我が闘争 上 [回想]」より」という形で「ゲッペルス」が登場するのだが、「ナチ党党首として駆け出しの」ヒトラーがゲッベルスと一緒にいる時点でダウト。 pic.twitter.com/uSm7D5g5zQ
2019-07-18 09:16:27ゲッベルスはナチ党結成にも、1923年11月のミュンヘン一揆にも関与していない。彼の入党はミュンヘン一揆挫折を機に一度解体されたナチ党が「再建期」に入る1925年のことであり、さらに当時の彼は「左派」であるシュトラッサー兄弟の側にいて、ヒトラー率いるミュンヘンの党組織とは緊張関係にあった。
2019-07-18 09:28:48ちなみに『わが闘争[Mein Kampf]』の第一巻は1925年、第二巻は1926年に初版が刊行されている。ゲッベルスがヒトラーとの初対面を果たしたのは、まさにこの間である。また『わが闘争』第一巻の標題には"Eine Abrechnung"と掲げられているが、敢えて訳せば「ある清算」であり、「回想」とは訳せない。
2019-07-18 09:50:48