「この世界の片隅に」をきっかけに語られる片隅の記憶たち

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ウエスギケン @mogurarock

認知症の婆ちゃんと、 「この世界の片隅に」でレク。 この画像一枚だけで、 「床に穴が有るじゃろ。ここを開けたら野菜の貯蔵庫になっとるんじゃ」「障子にガラスが入っとる。この家はちいとばぁ裕福なんじゃ」等、記憶の扉がパカパカ開いた模様。一本丸ごと一緒に観たい。#この世界の片隅に pic.twitter.com/2EurDdzcJq

2019-08-03 22:17:42
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3分、 @3min_and

この映画の話題が出る度に、主人公と同じく戦争で片腕を失くした祖母を思い出す 悲壮感みたいなものを一切漂わせない明るい人で、片腕で料理を作る後ろ姿を見ながら、ウチのばあちゃんカッコいいな!って誇らしく思ってた そのことを一度も伝えられなかった自分が本当に悔しい! #この世界の片隅に

2019-08-03 23:44:46
はと @97hatopoppo

この世界の片隅にを見てると、祖母がしてきたあまりにも切ない話。 昔ほんのりと好きだった2件隣のお兄さん。いつか嫁に行きたいと思ってたらしい。でも実際嫁になったのは、祖母の従姉妹。あまりに悔しくて嫁入りの日は納屋から出なかった祖母。そんな祖母に、お兄さんはまたなと言った。

2019-08-03 22:22:55
おるじぇ @oruje

すずさんの失われた右手を見る度に思い出すのは祖母の 「艦砲射撃から逃げ惑い命からがら家に戻ったら最後の蓄えの米びつに血だらけの手首が入ってた。どこかの誰かがたぶん死んだ事よりも、子供達に食わせる米が使い物にならなくなったのが悲しかった」と言う戦時中の昔語りです #この世界の片隅に

2019-08-03 23:42:27
知らんがな如来 @tukkominyorai

空襲の後ですずさんが火事の熱でホクホクになったお芋を分けてもらうシーンがありましたが、母の実家が空襲で焼かれた時には祖母が朝食に準備していたお米がいい感じに炊けていて、ご近所さんと分け合って食べながら再会を約束し、疎開したそうです #この世界の片隅に

2019-08-04 01:32:02
くさのつき @oosF5LGqePsULKR

幼い祖母は、終戦の玉音放送を聞いた帰り道、日本が全く別のクニになってしまうのだとそう思ったそうだ。 でも実際は またつぎの明日が来て、少し違和感が強くなった日常が 同じように続いていったのだといっていた。そのことを強く感じる #この世界の片隅に

2019-08-03 22:58:45
もぐ @mog0141mog

この世界の片隅に、見たあと祖母に「玉音放送のときってどういうかんじだった?」という無神経なことを聞いたんですけど(すずさんは怒る、けど現代に再編された物語でなく、当時の渦中の人の感覚ってどうだったんだろうと気になって) 「やっと帰れると思った」 と言われてそうだよな…となった思い出

2019-08-03 23:54:30
ゆるりりん @totom023

もう亡くなった父が学童疎開先で玉音放送を聴いたらしい。敗戦の悔しさよりも、ただただ家に帰れるのが嬉しかったと。#この世界の片隅に

2019-08-03 22:53:25
鞠莉スタイル @oharamaristyle

#この世界の片隅に (っ ॑꒳ ॑c)  映画館で見た時に思い出したのが 子供の頃、終戦時にJKだった祖母に戦争が終わった瞬間に何を思ったか聞いてみたら ああこれで夜に電気をつけてもいいんだ と思ったと言った事だね 東京大空襲とかもあって、戦争に負けるであろう事は皆が分かっていたらしい pic.twitter.com/usfu8YCpAy

2019-08-04 01:48:33
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@_1chico_

昨年亡くなった98歳の祖母はとても穏やかな人だった。当時の日記も綺麗な筆跡で穏やかに認められていた。8月15日だけ「玉音放送を拝聴した。悔しい。悔しい。」と感情的に書かれていた。すずさんを見て祖母もきっとこうだったのだと思った。

2019-08-03 23:13:50
kuu @kuu_sora_ame

玉音放送を聞きながら、何だか分からないけど涙が出て止まらなかったと、確か母は言ってたな。いま思えば、分かっていたのかも知れないけれど。 #この世界の片隅に

2019-08-03 22:55:18
Cinemathejury(さのぴ) @Cinemathejury

テレビで終戦の場面を見る度に「玉音放送は雑音だらけで何言ってるかさっぱり聞こえなかった」と言うのがうちの父の定番であった。

2019-08-03 22:53:44
牧島師狼 @bokushisan

父は小学校で、母はお隣さんのお家で聴いたらしいが受信状況悪すぎて内容がほとんどわからんかったらしい玉音放送 #この世界の片隅に

2019-08-03 22:48:51
くらちゃん太郎 @kuarge1piki

@piyopiyop27 @ulaken 外から失礼します 母が幼かった頃 町内みんなで玉音放送を聞いたそうです 大人たちがひざまずき顔を伏せ泣く人 無表情の人 その様子を 何が起きたかわからず見ていたそうです 後で姉から教えてもらったそうで 大人は多くを語らなかったとか

2019-08-03 18:12:35
須山浩継 @suyamahakusyak

昭和20年8月15日に中学生だった父は、玉音放送の後に「男は皆殺しにされるから」と、祖母が家にあるだけの米で醤油飯を炊いてくれたそうであります。広島で被爆した母はその日のことは何も覚えていないそうであります。 #この世界の片隅に

2019-08-03 22:53:07
フワトロ大尉 @higashiyama2jou

久々に家族全員集合。 曽祖父が「さっきの映画の最後みたいになこともあった。ひとしがそうじゃった」と唐突に親戚の名前を言い出して、祖父が真顔で「嘘だろ」と言って立ち上がった。 曽祖父「本当」 祖父「マジかよ」 #この世界の片隅に

2018-07-01 19:14:54
フワトロ大尉 @higashiyama2jou

私はこの「ひとし」は直接知らない。 しかし祖父、父は色々あったらしく今更ながらグダグダ言ってる。 でも結局笑うしかない。 ああ、すずさんもこんな感じだったのかなあ。

2018-07-01 21:06:22
すのこ @nekodamasii

燃え上がる街の炎に照らされたB29を見てアメリカの戦闘機は桃色だと思った話、消火活動のため祖母は家に残らなければならなかったため、小3の父が叔父や叔母の手を繋いでこんな空襲の中を逃げていた話、、片隅においておきます

2019-08-04 01:16:55
黄昏 @YKakic

子どもの頃に祖母から聞いた、空襲で私の父の手を引きながら逃げ惑った話を思い出す。 地下鉄の入口へ逃げようとしたらそこは既に人がいっぱい。慌てて道路反対側の入口へ入った瞬間、さっき入ろうとした入口辺りで爆弾が落ちた。 今は亡き祖母のお陰で私は今を生きている。 #この世界の片隅に

2019-08-03 23:42:42
りあ @turubamiria

この世界の片隅に、初めて見た。 夏休みに遊びに行くと祖母が何でもないことのように「警報が鳴ったら耳と目をこうやってしっかり押さえてしゃがむんやで」「ばぁばはよく寝る子やったから、夜中に空襲警報が鳴って起きたらもう家族みんな逃げてて、泣きながら走ったわ」って言ってたのを思い出した。

2019-08-04 00:49:19
りあ @turubamiria

私たち後世の人は原爆だとか玉音放送だとかインパクトのあるできごとに着目しがちだけど、祖母に聞いても原爆や玉音放送に対しての反応は薄い。 とにかくお腹が空いていた、空襲警報が怖かった、親戚が亡くなったと、日常こそが戦争だったんだなと。インパクトのあるそれらは日常の延長線上なのだと。

2019-08-04 01:01:33
ひろき @AqrSps

#この世界の片隅に 8/6、呉市から直線距離で10kmほどの防空砲台から、わたしの祖父はエノラ・ゲイを測距儀でとらえていた。もちろんこの映画はフィクションなんだけど、祖父が生きていたのはまさにこういう世界、こういう時代だったのだ、と。

2019-08-04 00:34:58
こだにゃ @NyakodaII

自分の祖母の話も、まさしくこの世界の片隅にだったな。 広島でパラシュート作らされて、戦時中だったけど、嫌な学校もなく楽しかったって言ってた #この世界の片隅に

2019-08-03 23:31:54
Junjunjun2010 @Junjunjun20101

祖母が生前言っていた 「戦中に食べた草を入れた粥は本当に美味しかった」 「でも今作ってみると食べられた物じゃ無いの」 そんな言葉を思い出した #この世界の片隅に

2019-08-03 23:17:47
小櫻太夫 @kozakura_dayuh

時計屋だった祖父宅の向かいが進駐軍のダンスホールで、飲み代欲しさにタバコやら何やら売りに来る米兵がいて、家族がブロークンイングリッシュで応対してたらしい。 #この世界の片隅に

2019-08-03 23:01:53