70年後半~アニメや同人系の映像編集はどうしてた?
僕は70年代生まれなのですが、昔ヤマトのPをやっていた方に「どうしてこっちの業界に来なかったの?」と聞かれて、「ちょうど8ミリが子供時代になくなって、一方コマ撮りが出来る手頃なビデオがない時代だったんで、多くの映像キッズがゲームに流れたんですよ」と答えたことがあります。
2011-05-21 18:20:29@nyaa_toraneko 70年代は8mmの時代でしたからねぇ。私はそれを再度使ってみてます。カメラ・ビュワー・スプライサー・映写機、一式動くのは貴重だなと思います。ただ、消耗品の入手が大変です…
2011-05-21 18:54:49@K_akiya 凄すぎる! そういえばガイナックスの倉庫にも、歴戦の傷をまとったZC-1000がありましたよ! 多分、あれで数々のDAICON FILMを撮影したんでしょうねぇ。
2011-05-21 19:04:07@nyaa_toraneko ZC-1000でDAICONを撮ってきたと聞いてますので、おそらくそれなのではないでしょうか。このデジタル時代になって、DAICON時代の話の裏が取れるようになるとは…感慨深いですね。
2011-05-21 19:07:43@nyaa_toraneko ガイナのZC-1000は2001年のSF大会で展示されたようですね。アニメでフィルムがどう使われていたかは、表にほとんど出てこないので貴重なお話が聞けてありがたいです。
2011-05-21 19:16:37@K_akiya ああ、なるほど。それはよかったですねー。あのZC-1000、結構ヤバい状態だったんで、ゴミの中から発掘して保管しておいたんですよー。一時、ガイナの倉庫番もやってましたんで。
2011-05-21 19:19:35@K_akiya 押井さんとかも一時、キャッチーな感じにしたい時は富士フィルム使って、しっとりした感じにしたい時にはイーストマンコダック使ってましたね。『うる星』の映画が1/3/完結篇→富士フィルムで、2/4→イーストマンコダックでした。
2011-05-21 19:13:08ところで山本寛氏が学生時代に撮った『怨念戦隊ルサンチマン』って、どのような機材で撮られていたのだろう? 時代的にはすでにビデオカメラだと思うけど、当時のビデオじゃ合成はしにくいよね。それに『朝比奈ミクルの冒険Ep00』って、8ミリ特有の現象も多かったように思ったけど…ううむ。
2011-05-21 18:18:08今だと想像できないだと思うけど、1990年代の後半ってあるビデオ映像とビデオ映像をつなぐのに、直接ビデオデッキをつないで勘で編集していたんだよね。しかもフライングイレースヘッドとかなかったから、つなぐポイントにレインボーノイズが入るし、そもそもフレーム単位で編集できなかった。
2011-05-21 18:40:38@nyaa_toraneko 原理的には一時停止しながらのダビングですもんね…PCのノンリニア編集しかしらないと、頭出し大変そうですよね。
2011-05-21 18:44:00@K_akiya そうですねー。それでも当時のソニーのED-βとか、Hi-8とか本気で羨ましかったなぁ。コントロール端子があるんで、多少はマシかなと。結局高すぎて買わなかったですが(汗
2011-05-21 18:47:27@nyaa_toraneko VTR編集は家庭で行えるモノじゃなかったのですね、コスト的に。実家にある8mmだと、何本か編集したリールもあるのですが。
2011-05-21 18:51:11@koutakahashi164 ビデオ編集スタジオを使わないと、とてもではないですがまともなものは出来なかったですよ。それでも一生懸命固定イレースヘッドの特性を知って編集する猛者はいましたけど。
2011-05-21 18:46:00@nyaa_toraneko 僕らは、編集スタジオ任せだったから全然気にしてなかったですm(_ _)m 固定イレースヘッドの特性を知って編集って凄いですね!
2011-05-21 18:51:51@koutakahashi164 あんな苦労は知らないほうがいいですよー。でもああいう時期がなければ、ある一定時期にゲーム業界に行った人がものすごく増えたみたいな状況はなかったんじゃないかしらと、最近は思います。
2011-05-21 18:54:18あれ?個人でもビデオトースター(90年代前半)から始まってノンリニア編集やってましたよ。RT @nyaa_toraneko 今だと想像できないだと思うけど、1990年代の後半ってあるビデオ映像とビデオ映像をつなぐのに、直接ビデオデッキをつないで勘で編集していたんだよね。しかもフラ
2011-05-21 19:22:35@nyaa_toraneko 当時映像同人をやってた感覚では、おおむね、1998~1999年ぐらいには家庭内パソコンでアニメを作るのが性能的に現実的になってきたかな、ってあたりでした。ガガガの退官ビデオって何年ぐらいだったかな。。http://bit.ly/jeoJ4v
2011-05-21 18:37:33@taninon あったあった>ガガガ退官ビデオ。あれは1999年頃じゃなかったでしょうか? 結構力業ですけど、頑張って作ってましたよね。
2011-05-21 18:38:53@nyaa_toraneko たぶんあれプレミアだけで作ってるんじゃないですかね。解像度は320x240で。それでも2分の吐き出しに2時間ぐらいかかってたんじゃなかったかなあ当時。
2011-05-21 18:43:27@nyaa_toraneko その前だとPowerCaptureが10万円ぐらいして、まあそれでもそれでMADビデオ作るような猛者はいましたっけね。。
2011-05-21 18:38:42ガイナックスにはDTP班がありフィルムセッターを自前で持っていましたので、Illustratorで加工した線をセッターで出力し透過光マスクにするということをエヴァの頃からやっていました。それがやがてαマスクとしてAEに持ち込まれ、今主流のCGモニタ表現に繋がったということですね。
2011-05-21 18:34:24ガイナックスでは、2000年の頃にはすでにAfterEffectsをゲーム班の3Dチームが使っていたし、アニメ班のほうではカレカノぐらいからMacでAVIDによる編集をしてました。あの辺りから急に撮影台やフィルムを使わない動画制作が入り始めて、急に可能性がました感じがしました。
2011-05-21 18:28:56@nyaa_toraneko なるほど!リニア時代の人は、ノンリニアに悩みまくってましたけど(僕の友人が今でもノンリニアに悩み中) ノンリニア編集もHD素材の高圧縮化で、かなり大変になってきましたね!
2011-05-21 19:00:16