チャレンジドという表現について

2
新井隆俊 @arai_takatoshi

NHKのドラマ『チャレンジド』を観ました。障害者のことを“挑戦する使命を与えられた人”という意味で“チャレンジド”と呼ぶそうですね。聴覚障害=aurally challenged、知的障害=cerebrally challengedなど。うまく和訳できたらいいですねぇ。

2011-05-14 22:26:07
j_takapy @j_takapy

私はこのチャレンジドという言い方に、以前から違和感を感じています。挑戦することを強いられているような気がして。理解不足なだけかもしれませんが。 RT @arai_takatoshi: 障害者のことを“挑戦する使命を与えられた人”という意味で“チャレンジド”と呼ぶそうですね。

2011-05-15 22:04:47
ポンチョ♪ @ponchobee

元々はハンディキャップという言葉に代わって出てきたのですが、今はむしろdisabledが一般的ですね。 @j_takapy @arai_takatoshi

2011-05-15 22:09:47
カイパパ @kaipapa2shin

「神から試練を与えられている、それに立ち向かう勇者」という観方なんだと思います。RT @j_takapy 私はこのチャレンジドという言い方に、以前から違和感を感じています。挑戦することを強いられているような気がして。理解不足なだけかもしれませんが。 @arai_takatoshi

2011-05-15 22:11:34
j_takapy @j_takapy

その勇者っていうのが…。RT @kaipapa2shin: 「神から試練を与えられている、それに立ち向かう勇者」という観方なんだと思います。RT @j_takapy チャレンジドという言い方。挑戦することを強いられているような気がして。@arai_takatoshi

2011-05-15 22:16:07
カイパパ @kaipapa2shin

私は「神から」のところがキリスト教の信仰がないとなかなか腹に落ちづらいのだと思いますRT @j_takapy その勇者っていうのが…。RT @kaipapa2shin: 「神から試練を与えられている、それに立ち向かう勇者」という観方なんだと思います。@arai_takatoshi

2011-05-15 22:18:05
j_takapy @j_takapy

なるほど。神のあり方という前提がまずあって、その神のされたことという意図があるのでしょうね RT @kaipapa2shin: 「神から」のところがキリスト教の信仰がないとなかなか腹に落ちづらいRT @j_takapy @kaipapa2shin: @arai_takatoshi

2011-05-15 22:23:08
カイパパ @kaipapa2shin

@j_takapy そう思います。「神の思し召し」を受け容れているから、こその用語であって、それ抜きに「挑戦」だとか「勇者」だとかは違和感があるのかな?と思います。「耐えられる試練しかお与えにならない」という親に対する詩も、同様に思います。

2011-05-15 22:28:30
epitaph3 @epitaph3

人は皆、挑戦者です。障害の有無に関わらず。RT @j_takapy: 私はこのチャレンジドという言い方に、以前から違和感を感じています。挑戦することを強いられているような気がして。理解不足なだけかもしれませんが。 RT @arai_takatoshi: “チャレンジド”

2011-05-15 22:29:06
荻野ます美 @koumama_

@kaipapa2shin @j_takapy @arai_takatoshi 「神から試練を与えられている」ってのは「神から愛されているから」と考えるんですよね。私にはわかりませんけども、そう考えるんですよ、彼らは。

2011-05-15 22:33:00
カイパパ @kaipapa2shin

うん。信仰ですね。凄いと思う。RT @koumama_ @kaipapa2shin @j_takapy @arai_takatoshi 「神から試練を与えられている」ってのは「神から愛されているから」と考えるんですよね。私にはわかりませんけども、そう考えるんですよ、彼らは。

2011-05-15 22:34:46
j_takapy @j_takapy

そういう理由で、チャレンジドと自称するならわかるのですが、他称としてはどうなのでしょう? RT @kaipapa2shin: うん。信仰ですね RT @koumama_ @arai_takatoshi 「神から試練を与えられている」ってのは「神から愛されているから」と考える

2011-05-15 22:38:51
j_takapy @j_takapy

いわゆる「健常者」ならしなくてもいいような部分まで「挑戦」しなければならない? RT @epitaph3: 人は皆、挑戦者です。障害の有無に関わらず。RT @j_takapy: @arai_takatoshi: “チャレンジド”

2011-05-15 22:39:33
epitaph3 @epitaph3

する必要はありません。人それぞれで必要があれば、挑戦をするということです。RT @j_takapy: いわゆる「健常者」ならしなくてもいいような部分まで「挑戦」しなければならない? RT @j_takapy: @arai_takatoshi: “チャレンジド”

2011-05-15 22:44:03
j_takapy @j_takapy

あっ、信仰として価値観が共有できていれば問題ないのか。RT @j_takapy: そういう理由で、チャレンジドと自称するならわかるのですが、他称としてはどうなのでしょう? RT @kaipapa2shin @koumama_ @arai_takatoshi

2011-05-15 22:50:22
新井隆俊 @arai_takatoshi

そうですね〜、確かにそういう感じも受けます。要は、誰がチャレンジするのかということでしょうか。直訳の“挑戦”とか“努力”ではない名訳の出現を期待!RT@j_takapy 私はこのチャレンジドという言い方に、以前から違和感を感じています。挑戦することを強いられているような気がして。

2011-05-15 23:18:09
j_takapy @j_takapy

「チャレンジ」する必要のない社会を目指さなければいけませんね。 RT @arai_takatoshi: 要は、誰がチャレンジするのかということでしょうか。直訳の“挑戦”とか“努力”ではない名訳の出現を期待!RT @j_takapy 挑戦することを強いられているような気がして。

2011-05-15 23:27:54
j_takapy @j_takapy

「障がい者」が「健常者」よりもその必要を多く感じる社会だから「チャレンジド」という呼称が出てくるのではないでしょうか? RT @epitaph3: する必要はありません。人それぞれで必要があれば挑戦をするということです RT @arai_takatoshi: “チャレンジド”

2011-05-15 23:42:48
荻野ます美 @koumama_

@j_takapy @kaipapa2shin @arai_takatoshi 彼の国ではあまり自称はしてなかったと思います。どちらかというと、第3者が使っていた印象です。尊厳を込めて。

2011-05-15 23:50:27
みみなが もとの @miminaga

木登り運動の外人の人もこの用語を使っていたな。→.@j_takapy さんの「チャレンジドという表現について」をお気に入りにしました。 http://togetter.com/li/138499

2011-05-22 09:10:11