「批評」についての芝村裕吏氏の発言ログ
有用とは有益のことを言う、役立つことだね。だから批評というものに価値を求めるなら、役立つ善悪、優劣、是非を考え、評価を与えることだ。問題は、誰に有用かという部分でな。世の批評の大部分は批評家に有用なものとして成立している。
2010-01-14 14:06:33@siva_yuri 作家が“役立つ善悪、優劣、是非を考え、評価を与える”物語を描くのであれば是、読者は感想としてその物語について批評として有益な評価を付与するのであれば是、だと思います。 どちらも、行動如何でなりうる、でしょうか。
2010-01-14 14:11:32.@tdkm_nkjm そうだね。読者や作家のための批評なら、それには価値がある。 今、批評のメインストリームである批評家のための批評は、実のところの極狭い需要しか満たせない。
2010-01-14 14:15:26批評において、もっとも重要なのは帰納だ。 帰納とは、特殊な事実や命題の集まりから、共通するところを取り出し、一般的な命題や法則を導き出すことだね。 批評という仕事は、帰納そのものと言っても良い。 論理構造的にどうしてもそうなる。
2010-01-14 14:19:39@siva_yuri 専門家用の専門的言論は希少価値とか物珍しさみたいなものかなあ、と思っていました。理科実験器具みたいな。 役立つ時は役立つのだけれども、日常的には使えない。(コーヒーいれるにはありかもしれませんが
2010-01-14 14:21:02その帰納した内容が適切なら、科学の基本として、再現性がある。当たり前だわな。再現性がないならそれは帰納とは言わない。 構造的に帰納なのが批評なのだから、再現性のない帰納である批評は、実は単なる空論でしかない。
2010-01-14 14:23:05さて、消費者に良い批評というものは、実は作家にとっても良い批評たりえる。 両者はコインの表と裏だ。 消費者のより賢い買い物をうながす資料があったとして、それを分析して商品設計すれば、当然いいものが出来ると、言う意味でね。 中立的、学術的、有益なものとしての批評の根幹はここにある
2010-01-14 14:29:22@siva_yuri えーと、ただ悪い部分だけを挙げて叩いてへこませて再起不能にするだけのものは悪い批評、という理解でいいでしょうか。(間違ってる気がひしひしとします)
2010-01-14 14:26:37さて。今、作家と消費者の共通資料として君臨しうる批評はほとんどない。 批評の科学的成分である帰納と再現性は失われ、作家の大部分は批評を影でせせら笑っている。 批評以前の読者の感想のほうが1次資料として、より有用だという向きすらある。
2010-01-14 14:33:39昔と違って、今はITが発達して、作家と読者は直接対話できる。 この局面になった段階で、実は直接答えあわせができるようになってしまった。批評の過半は数年で両者のやりとりから除外されるだろう。批評はね、このままじゃ死ぬよ。
2010-01-14 14:36:16対話を大きくショートカットしうる、共通資料としての批評。本来的な意義としての批評は、役立つだろう。 つまりはリテラシーってやつだね。 これから、批評家の大規模な選別が開始される。 生き残るのは直接対話不能な古典批評や社会論批評になるだろう。
2010-01-14 14:38:30一般には、批評家の勉強不足や取材力不足が、悲しいぐらいに露呈することになる。 あぐらをかいて公式発表をのせてただけのマスコミが失墜するのと同じ論理構造で。それより個人レベルなのでもっと早い速度でね。
2010-01-14 14:40:51古今東西において、優秀な批評家というものは、実のところ優秀な作家だった。 そらそうだ。どうしても再現性テストする=帰納することになるからね。 それが、これからどんどん増えるだろう。 さなづらさんが椎名さんの漫画の解説をしてたりすると、たしかにそのとおりというレベルでね。
2010-01-14 14:43:59