茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第2298回「ある国にとってどうかというような議論は、アートの本質とは全く無関係」

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茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート2298回をお届けします。文章はその場で即興で書いています。本日は、感想です。

2019-08-09 07:43:59
茂木健一郎 @kenichiromogi

あいちトリエンナーレの件について、「公費が出ている」云々を言われている方がたくさんいらしたけれども、強い違和感があるのは、アートの本質は、そのような意味での「公共性」とは全く関係ないからだと今朝改めて思った。

2019-08-09 07:44:45
茂木健一郎 @kenichiromogi

美術史に残る作品はもちろんのこと、それ以外でも、自分が今まで見て感動したり、心を動かされてきた作品を見ると、およそ、ある国を称賛したり、ある特定の文化を称揚したものなどなく、つまりある国から見て「優等生」的なものはアートの本質ではないと感じる。

2019-08-09 07:46:46
茂木健一郎 @kenichiromogi

アートは、やはり、人類普遍の問題を扱うものであり、その人類普遍という意味の中には、国とか、国境とか、エスニシティとかそういうことと関係ないということがあるわけで、公費を出しているからとそれに「ふさわしい」アートを求めるという要求は、アートの本質と無関係だと思う。

2019-08-09 07:47:48
茂木健一郎 @kenichiromogi

今回問題にされた作品群の一つひとつについて、そのアート作品としての質をうんぬんすることはしないが、公費を出しているから、それが「日本」にとってどうかという視点からアート作品にアプローチすることは、アートの本質とは無関係であると私は感じる。

2019-08-09 07:49:29
茂木健一郎 @kenichiromogi

あいちトリエンナーレで問題になる以前、私は「少女像」について、歴史的な文脈でしか考えたことがなかった。一連の騒動の結果、アート作品としてどうなのだろうという関心が逆にわいてきた。これは実物を見ないとよくわからないことだけれども、いずれにせよ「日本」のためになるかどうかと関係ない。

2019-08-09 07:51:20
茂木健一郎 @kenichiromogi

「少女像」のアート作品としての質は、たとえば歴史の中で大きな物語に巻き込まれて、苦しみ、あまり声をきかれずに消えていった小さなひとたちの文脈にはかかわるかもしれない。そのような文脈がどのように表現に昇華されているかには関心があるが、日本に対してどうかということは本質ではない。

2019-08-09 07:53:07
茂木健一郎 @kenichiromogi

アートを、日本のためになるとか、日本に反するとかいう文脈で語ることほど、アートの本質と何の関係もない態度はないと思う。たとえ、公費を出すことの是非を議論するとしても、そのような発想自体がアートとは全く無関係であるということを今朝は確認したかったのである。

2019-08-09 07:54:20
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート2298回「ある国にとってどうかというような議論は、アートの本質とは全く無関係」をテーマに、7つのツイートをお届けしました。

2019-08-09 07:55:45