- Tanaka9230
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『天気の子』。アニメ批判のアニメ、アニメ化する日本的現実(巫女=誰かの自己犠牲によって大人全員が責任回避する)を批判するアニメだった。しかしその結果あらわになった「狂った現実」をまさにアニメ的情念だけで「大丈夫」と全肯定してしまう。今の日本人の民度にふさわしい自己欺瞞だと思った。
2019-07-23 23:31:01不特定多数の大人たちが誰か(人柱、巫女)を犠牲にして皆が救われるならそれでいいじゃん、現実なんてそんなもんでしょ、と自嘲気味に諦めるのに対し、ホダカは「ヒナを殺し(かけ)たのは自分の欲望そのものだ」と、個人的な加害に気付きかける。あそこだけはよかった。それもなし崩しになるけど。
2019-07-24 00:02:51人柱(アイドルとか天皇?)やオリンピックやアニメで日本の現実を誤魔化すのはやめよう、狂った世界にちゃんと直面しよう、という話なんだけど、人間界は最初から狂ってるから仕方ない、という責任放棄の論理になるのが意味不明。「世界の秘密を知る反逆的な若者vs無自覚な大人」の描き方も相当戯画的。
2019-07-24 00:21:12新海誠が一番敵対しているのは細田守かもしれない。児童相談所や警察などの公共的なもの(ソーシャルなもの)がとにかく理不尽なまでに嫌悪される。『おおかみこども』とあまりに対照的。国家も社会も一切信じない(けどスピは信じる)新海誠=セカイ系はネオリベというかリバタリアンと案外近い気がする
2019-07-24 08:50:24国家も社会も(大人たちも)信用できないこの世界の中では、『ムー』でもいいから日本人にはスピリチュアルなものが必要なんだ!そうすれば運命の恋人にも出会えるし!そうなれば万事「大丈夫」!という。
2019-07-24 09:17:56全てがじわじわ水没していく、この国も社会もどんどん狂っていく、でもまあ神様を信じたり恋愛したりして、日々を楽しく幸福に暮らすのは素晴らしいし、みんな大丈夫だよ、と若者たちを祝福する新海さんの立ち位置は、ひどく無責任な気もする。応援はすれど社会改良の責任は負わない大人の典型というか
2019-07-24 10:44:50いちばん人格が破綻していて、行動がぶれていて、苛々させられて、気持ち悪かったのは、須賀圭介だった。それゆえ一番気になった(『エヴァ』のゲンドウのように)。新海は須賀に自分を重ねているのだろうけど、「ちゃんとした大人の男性」の像が描けず、屈折し破綻するところに重要な何かがあるのか。
2019-07-24 11:44:58「誰か一人に不幸を押し付けてそれ以外の多数派が幸福でいられる社会よりも、全員が平等に不幸になって衰退していく社会を選ぼう」、それでも「大丈夫!」だと。そこでは社会が変えられる、という選択肢がなく、社会=自然(天気)は人為の及ばないものとして美的に観賞するしかない。まさに日本浪漫派。
2019-07-24 13:36:47「この現実は少しも大丈夫じゃない!」と強く認識するところからしか、行動も変革も生まれないし、自分たちの存在や欲望を内側から変えようとする意志も生まれないんじゃないのかな。こんなもののためにうまれたんじゃない。大丈夫ではない、しかし共に生きよう、と。
2019-07-24 13:54:45フェミニズム的な批判とは別に、男性学やメンズリブの観点からは、須賀(妻を喪ったシングルファーザーで、喘息持ちの娘を義母に連れてかれている)の混乱したダメさ、支離滅裂さは、考えるに値する。『未来のミライ』のリベラルな父親像、『エヴァ』のゲンドウのAC的でDV的な父親像とも対比して。
2019-07-24 17:11:17あーーーセカイ系(ロマン主義)と新自由主義が結びついてるのが新海誠、って考えたらなんかものすごくしっくり来る気がする。オタクと新自由主義は意外と手を結んでるんですかね。
2019-07-25 23:07:17でも今考えてみると、世界とは何を指すのかって話で、単純に世間や大人って考えるのは楽観視しすぎで、その先にあるのは社会や政治や公共なんですね。それは責任の話なんですね、たぶん。恋はきみと考えればリア充だけど、愛と考えればオタクの話でもあるなあ。
2019-07-25 23:10:41ぼくたちのことを邪魔しないで、って主人公が何度も言うんだけど、邪魔って公共や福祉のことなんだよね。 でもたしかにきみと僕だけの世界って究極の自己責任の世界なんだよなあ。大丈夫な理由が稼げてるから、ってたしかにめっちゃねおりべー。うん、お金の介在するセカイ系って新しいよなあ。
2019-07-25 23:30:01『天気の子』は、「日本文化はいいかげん、少女をアイドル(偶像、人柱、戦闘美少女)にすることで社会全体が癒されたり救われたりする、という悪癖から手を切ろうぜ」と宣言する物語なのに、ベタな異性愛のボーイミーツガールを躊躇なく肯定してしまうから、ジェンダー観としては抑圧的に思えてしまう。
2019-07-25 23:39:11新海作品をみるといつも、ねじれてないようで、じつはねじれているようで、やっぱりねじれていない、という不思議な気持ちになる。現代において保守的である、とはそういうことなのかもしれない(新海誠がアナーキーであるとは、僕にはやはり思えない)。
2019-07-25 23:43:58なんかしみじみ思うけど、私も私たちもライ麦畑から遠くへ来たなあ。ホールデンは小さな子をキャッチすることでお金をもらってたんだろうか。あれは労働のことを想定してたんだろうか。
2019-07-26 00:15:59ちなみに僕の新海誠論は、『戦争と虚構』(作品社、2017年)という本に入っているので、よろしければ。細田守論、庵野秀明論、片渕須直論、押井守論なども入っています。いい本だという自負があるけど、死ぬほど売れていないらしく、編集者さん(と僕)を悲しませているので、宣伝しておきます。
2019-07-26 12:09:43好きな人がいるのは大前提で私も雨の音や空の描写にはきゅーんとさせられたんですが、やっぱり私は天気の子って作品が嫌いで、それは「きみが愛してるのはわかるけどだからって歪みの原因が少女にあるのは変わらないのに、なんで無責任に大丈夫って言えるんだろう」って思うからなんですよね…。
2019-07-27 02:01:08自分はきみを見てるよ、選んだんだよ、って言うのはわかるよ。それで少年が大人になるのもわかる。でもだから少女がすくわれるわけじゃない、というか、大人になる通過儀礼に少女を使うなよ!その時点で同じだろーが!少女はきみに選ばれてもなんもすくわれねえ!と憤ってしまうんですよね…。
2019-07-27 02:01:32もちろん大多数の消費してくる大人じゃなく愛する少年に選ばれることがすくわれる方法として提示されてるのはわかるんですが……世界を歪ませる力をもってしまった少女に対して、ただ愛してるよ大丈夫だよって言うのが解決策だと思うなんて、そんなことある???? 彼女の孤独はどこにいくのか???
2019-07-27 02:01:48じゃあどうしたらすくわれるのか?と言われれば言葉に詰まってしまうので、隣に人がいてくれるのは幸福だ的な納得をしなきゃいけないんだけど、圧倒的な力をもってしまった女の子に向かってそれはないだろ!せめて孤独に寄り添ってよ!勝手に愛した気になんな!と(憤りすぎて)泣いてしまう。泣かんけど
2019-07-27 02:16:51『天気の子』見ててめちゃくちゃ思い出したのが有川浩の『塩の街』で……ってなんでこんなに喋ってるのか。寝よう。天気の子と塩の街の話はどっかで書きたいなあ。
2019-07-27 02:22:53