子どもが作文で苦しんでいた.自分を振り返ると,小学生の頃は作文っていうのは「嘘を書くことだ」と思っていた気がする.

「うれしかった」も「悲しかった」も実際の感情とはかけ離れていて,でもそう書けばとりあえずまとまる,というふうに…… 主観的な文を書くことはできるけど、それは主観そのものではない。言語化された時点で客観成分が入り込む。
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須藤建 @ajian1108

子どもが作文で苦しんでいた.自分を振り返ると,小学生の頃は作文っていうのは「嘘を書くことだ」と思っていた気がする.「うれしかった」も「悲しかった」も実際の感情とはかけ離れていて,でもそう書けばとりあえずまとまる,というふうに……

2019-08-16 03:01:53
須藤建 @ajian1108

なんていうか「実際の経験」や「実際の感情」を書くとはちょっとちがうことなんだ,って思っていた.

2019-08-16 03:04:13
ウチューじん・ささき @uchujin17

嘘というか「客観」「主観」かもなぁ。主観的な文を書くことはできるけど、それは主観そのものではない。言語化された時点で客観成分が入り込む。 twitter.com/ajian1108/stat…

2019-08-16 04:10:53
ウチューじん・ささき @uchujin17

「うれしい」という言葉は「ヒトが一般的に感じる歓喜の感情に付けられた記号」であって、その時その場所にあった感情と同じものではない。ヒトは主観=感情や思念を直接読み書きするインターフェースを持たない。

2019-08-16 04:21:32
ウチューじん・ささき @uchujin17

それでも感情を伝えたくて、ヒトは詩を詠み、絵を描き、彫刻を彫り、歌を唄い、踊り、叫び、校舎のガラスを割って回ったりする。

2019-08-16 04:23:39
ウチューじん・ささき @uchujin17

そういう表現者の葛藤とは別に、学生時代の作文とか感想文には「いったい何を伝えてほしいのかわからない」というのがあったな。学生本人は教師に伝えたいことなんて無い、少なくとも自覚していない。

2019-08-16 04:26:29
ウチューじん・ささき @uchujin17

遠足なんて学校授業の一環として行っただけで、「なんかよくわからんとこを延々と歩いて弁当食って帰ってきた」という事実があるだけ。そこに「誰かに伝えたい感情」なんて殆ど持ち合わせていない。少なくとも僕の場合はそうだった。

2019-08-16 04:29:10
ウチューじん・ささき @uchujin17

「疲れた」「暑かった」「引率教師が道間違えて2Km余計に歩かされた」「足にマメができた」「弁当もたいして美味くなかった」「疲れた」くらいで終わってしまう。400字詰め原稿何枚以上とか言われると、一体何を書けばいいのか途方に暮れてしまう。

2019-08-16 04:32:07
ウチューじん・ささき @uchujin17

同級生には「朝、校庭に並んで出発しました」「バスの通る道を歩いて山に向かいました」「バス停のあるところでトイレ休憩しました」「休憩のあとまた歩きました。山に入るとだんだん道が細くなって、1列になりました」とか、事実を延々と連ねることで字数稼ぎをする者が少なくなかったように思う。

2019-08-16 04:34:50
ウチューじん・ささき @uchujin17

あれを読んだ教師のほうも「あー、またこのパターンねはいはい」でスルーしていたんじゃないだろうか。何も間違ったことは書いていないんだから指導のしようもない。たぶん「作文」の教育目的はそこじゃないと思うんだけど。

2019-08-16 04:36:06
ウチューじん・ささき @uchujin17

そこで「遠足とは19世紀末の明治期、西欧の近代教育システムを日本に取り入れる際いドイツの教育家ジョアン・ヘルバルトの理論が日本風に解釈され組み込まれたものと言われ、教育指導方針においては集団的公共行動の実践教育であるとされている。その視点から今回の遠足行動を分析してみよう」とか…

2019-08-16 04:41:38
ウチューじん・ささき @uchujin17

大上段に振りかぶったモノを書いて出したら呼び出されるだろうな。まずは「これは本当に君が自分で書いたものか」と聞かれ、それが事実だとわかると「困るんだよなぁ…作文ってのはこういうものじゃないんだよ」とか言われそうだ。

2019-08-16 04:42:42
ウチューじん・ささき @uchujin17

「若草山頂上、標高342メートル。僕は額に流れる汗を拭うこともせず、真夏の太陽に目を閉じて、全周から押し寄せるような蝉時雨の中で風を感じていた」とかポエム全開な作文を書いた場合は「あ、今年もまたポエマーが来たぞ!」と扱われそうな気がする。たぶん毎学年に何人かいるんじゃなかろうか。

2019-08-16 04:46:13
ウチューじん・ささき @uchujin17

この手の早熟な詩人さんたち、ごく稀にホンモノがいるかも知れないけど、その多くは「言葉で伝えられない想いを血を吐くような苦悩と共に詩に刻んでぶつけている」のではなく、詩人な自分に酔っているだけだと思う。

2019-08-16 04:49:49
ウチューじん・ささき @uchujin17

ネタ元ツイートの「嘘くさい」話に戻れば、遠足で詩を詠むなんて実に嘘くさくてこっぱずかしい。でも、そこに「詩人という自分」という仮想人格を一枚噛ませれば嘘は嘘でなくなる。文章を書くという行為は大抵、そういう仮想人格を経由していると思う。

2019-08-16 04:51:41
ちていのき @baritsu

@uchujin17 明治頃まではそういう実用文、説明文を書く物だったんですが、大正時代の自由教育の中で生活綴方てので子供が見た事、感じた事を自分の言葉で書かせようって出てきて、それが今だに子供の自由な発想、素直な感性云々…という呪いになって続いてますね

2019-08-16 04:53:34
ウチューじん・ささき @uchujin17

@baritsu あー、なるほど。本来の趣旨は軍隊の行動報告みたいなのでよかったんですね。「0805予定ヨリ5分遅レニテ出発セリ。0940休憩所到着、休憩時間ヲ10分繰リ上ゲ予定時刻ニ整合セントス。1127先頭集団山頂到達、隊列ハ長ク伸ビ最後尾到着マデ更ニ30分ヲ要セリ」とか。

2019-08-16 04:57:38
Bunzo @Kominebunzo

@uchujin17 @baritsu そうだよねえ。日報報告に「自分の武勇伝を書くばか」が絶えない原因はそれだよなあ。

2019-08-16 05:02:40
ウチューじん・ささき @uchujin17

@Kominebunzo @baritsu 詩を書きましょう詩を。ユキカゼさんならきっと得意ですよ!

2019-08-16 05:03:10
Bunzo @Kominebunzo

@uchujin17 @baritsu よし、やってみるか。 〇月☓日「見積を敵に渡され見積もられ」 おお、状況が簡潔に把握できる。 ささきさん、報告川柳は素晴らしいですね。

2019-08-16 05:07:42
ウチューじん・ささき @uchujin17

「誰に」「何を伝えるために」書くのかによって必要となる仮想人格(文体)は異なる。業務報告ならば読み手は上司であり、伝えるべきは業務の現状と課題になる。「苦労している」という主観よりも「進捗していない」という客観のほうが重要になる(本人が苦労していても、業務が進捗していれば良い)

2019-08-16 05:12:31
ウチューじん・ささき @uchujin17

そういう、状況と目的に応じて文章の構成を選ぶ能力を育てるための教育が「作文」だったのかも知れないけれど、誰かが「子供の純真な感情、自由な発想」とか言い出して、なんだかわけのわからないことになっている気がする(・ω・)

2019-08-16 05:14:47
Bunzo @Kominebunzo

@uchujin17 「一身上の都合で辞めます、来月に」 サラリーマンの純真な感情と自由への憧れが ダイレクトに感じられる良い文章です。

2019-08-16 05:17:36