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ゲームとは何かについて考えた「Game tsu meet」一回目の アフタートークまとめ

「罪神」制作スタッフの「Game tsu meet(げーむつみーと)」の第一回(http://togetter.com/li/13739)のアフタートークっぽいものを、上野さんと西田さんがはじめてたので、sericoがまとめました。 第二回つみーとをとぅぎゃりました:http://togetter.com/li/16657 罪神 公式サイト 続きを読む
ゲームデザイン 芸術 命密度 ゲーム 創作
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@tmgm_nishida
僕らのつかうゲームとは何か、それをきちんと基礎づけておかないと、僕らのゲームをめぐる議論は常に、ゲームとは総てである(世界である)へと容易に回収されてしまう。
@tmgm_nishida
それでいいんだ!という議論もできるけれど。しかし、そうではないんだ、世界とゲームは単純な等号で結ばれるのではないのだというのなら、そこをクリアにしないと。
@tmgm_nishida
ブレッソンが、『シネマトグラフ覚書』で、「シネマ」と「シネマトグラフ」を注意ぶかく定義したように。
@tmgm_nishida
森君が服部君のゲーム観を受け取って「服部さんのゲーム観のゲームはゲームを始めると恐らくそのゲーム世界から投げかけられる眼差しというか立ち上がってくる世界存在たちからの眼差しを感じる」ことにあるのでは?としているのは、面白いね。
@tsumigami
.@tmgm_nishida 「ゲーム」というメディア(「ツール」と言ってもいい)の定義が第一で。その次に、「ゲームという表現を用いて、どこまで現実に漸近するか?という思想の提示が来るのだと思う。(成)
@tsumigami
.@tmgm_nishida ぼくは、いわゆる広義の「ゲーム」と、狭義の……ゲームでしか在り得ないゲームならではの存在であるところの【ゲーム】を、違う言葉で表現したいと思ってるんだけど、まだそれらしい言葉を見つけられてないです。(成)
@tsumigami
.@tmgm_nishida たぶん、それを見つけ、云い分けることで、この問題は解決すると思う。(成)
@tmgm_nishida
「ゲームとは問いである」と「ゲームとは思想の微分である」と服部君が云う。で、さらにそれを註釈して、「問い、は、数学の問題です。微分は、数学の問題を解いていく過程そのものです」、と。
@tmgm_nishida
或るひとつのゲームが「問い」であり、そのゲームをプレイしている過程が「微分」であるとするなら、小説を読むことに置き換えると、ひとつの小説が「問い」であり、そのテキストを読み進めるのが「微分」に当たる、という理解でいいよね?
@tsumigami
.@tmgm_nishida 「微分」というニュアンスには、「受け手がプロセスそのものに影響を与え、体験の方向を誘導(創造)する」という意味が込められていると思う。服部の発言からすると。であれば、それは小説を読む際の「受け手が体験の主体である」というのとは、少し違うと思う。(成)
@tsumigami
他ジャンルの表現手段とゲームの違いは、まず「ゲーム」の根幹は【仕組み】だという点。ゲームには「受け手の意思決定と、その結果の反映」が必須。【意思決定と結果の循環】が、ゲームをゲームたらしめている要素。(但し、日常的、または派生的なメタゲームには意思決定を含まない物もある)(成)
@tmgm_serico
昨晩のつみーとでレゴ…というのはすごくわかりやすい例えだ!と思ったけどあんまり通じてなかったっぽく…^^あるある
@tsumigami
ゲーム、そして、美、に関して触れる章が気になり、福嶋亮大の「神話が考える」を購入。問題意識と思考範囲がかなり似通っている印象をうけた。
@tsumigami
でも、著者が示す「解」は、どうもぼくのそれと違う(と思う)。まだ、きちんと読み込めてないので、これからしっかり読む。しかし文章が今のぼくには難解です……(成)
@tsumigami
「ゲーム」が、内的な整合性と均衡の獲得を要請しているという切り口は面白い。(成)
@tsumigami
服部の言う「問い」と「微分」は、受け手側の視点。「整合性と均衡の獲得」は、創り手側の視点。ぼくは、それらが一体となって生みだす意味(影響、その質)に着目している。(成)
@tsumigami
その最たるものが、【命密度】という考え方。(成)
@tmgm_nishida
成くんよ、じゃあもうちょっと、ひとが小説を読むとき、ゲームをしているとき、とは異なり、どういうふうなことが起っていると考えているのか、を説明して欲しい。@tsumigami @tmgm_nishida 「微分」というニュアンスには、「受け手がプロセスそのものに影響を与え、体験の方
@tsumigami
.@tmgm_nishida まず。前提となる考え方として、人間の「体験」ってものは、どこまでも主観的なものだと思ってます。認識論的な話になるんだけど。
@tsumigami
.@tmgm_nishida 「外的な刺激(創作物や様々な事件との遭遇)」 × 「主観(そのひとが知覚・認識できる/したいもの)」 = 「体験の形成」 というイメージ。
@tsumigami
.@tmgm_nishida で、「小説を読む」という体験はというと、「外的な刺激」……本の内容……に変化はなく、それを受け取るひとの「主観」……読みたいもの、読み取れる深さ、その時の意識の持ち方など……によって、【体験のカタチ】が決定づけられる。
@tsumigami
.@tmgm_nishida ポイントは、刺激となって遭遇する「本そのもの」の内容が変わるわけではない、という点(受け手が無意識的にであっても、受け取る刺激の取捨選択はするんだけどね)。
@tsumigami
.@tmgm_nishida 次に、「ゲーム」の場合。受け手が遭遇する「ゲーム」が持つ「刺激の中身」を、受け手がじぶんの意思で変えることができる。
@tsumigami
.@tmgm_nishida 受け手(プレイヤー)の意思決定やプレイ内容によって、ゲームの場合は、「次にやってくる刺激の内容」が変化する。そしてそれは「じぶんの意思決定・行動の結果」という意味をはらんで、受け手のもとにやってくる。
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