「まあ掛けたまえ。珈琲でも淹れよう」 勧められるままに腰掛けた私は、即座に慌てて立ち上がった。〈司令〉ときたら従卒でも呼びつけるかと思ったのに、自分で珈琲を淹れる準備をし始めたからだ。
2019-08-28 22:27:29どんな場合であれ、士官が下士官に珈琲を淹れるなんてとんでもないことだ!ましてやここは司令部で、二人とも一応は軍服を着ているのに!
2019-08-28 22:27:39「代わります!私が……」 「ああ、大丈夫大丈夫」 「しかし……」 渋る私を椅子に押し込めて、〈司令〉は珈琲の準備に戻った。コーヒーミルを取り出して、豆をざらざらと中に入れていく。
2019-08-28 22:28:08いい趣味をしている。私は素直にそう思った。司令室の調度品もそうだが、華美ではないが明らかに高級品とわかる作りをしていた。こういう雰囲気の人間は、実家で何度か見たことがある。いわゆる成金趣味ではない、本物の金持ちの匂い。
2019-08-28 22:28:31それをいえば珈琲豆もそうだ。帝国本土には珈琲豆の産地はない。もっぱら輸入に頼っていて、海上封鎖を受けている今となっては、新たに入手する手段の存在しない、とんでもない高級品。
2019-08-28 22:28:54それをこうして気軽に出してくると言うことは、入手を可能にするほどの資金力とコネクションがあるか、あらかじめ予期して買い込んでいたか。海軍の人間であることを考慮すればおそらく後者だが、それにしたって結構キマッた趣味人だ。
2019-08-28 22:29:23「君と私の出会いを祝して、今日はこいつを飲もうと思うんだ」 そう言って示された銘柄を聞いて、私は顔をひきつらせた。 「それは……ありがとうございます」
2019-08-28 22:29:47選べるほどに種類があるのもおかしいが、それを選ぶ趣味は最悪と言えた。 豆そのものには問題はないが、産地のいわくが最悪なのだ。
2019-08-28 22:30:06そこは元々は二つの部族が距離を取りながら緩やかな対立をしていた国で、それ故に発展が遅れ気味な国でもあった。そこに帝国が資本を投下し、二つの部族の間を取り持って、珈琲園のほか幾つかの産業を育てた。
2019-08-28 22:30:42帝国はこの成果を部族の協力にあると喧伝して、融和と発展の象徴と言いながら珈琲豆を売り捌いた。帝国が取り持った出会いが、この国を裕福にしたと言うわけだ。
2019-08-28 22:30:48しかし帝国は、民族問題に十分配慮しなかった。距離を取って緩やかに対立していた二つの部族は、近接したことでその対立を激化させた。 当初はゆっくりと高まりつつあった民族対立は、ある事件をきっかけに一気にエスカレーションし、最後には互いに互いを絶滅させるための大虐殺に発展した。
2019-08-28 22:31:22心を痛めた帝国は、虐殺の阻止と邦人保護の為に陸軍を派遣した。国力差は圧倒的だ。帝国陸軍は力ずくで悲劇を終わらせ、そのまま実効支配し属国化した。 幸福だった筈の出会いは、帝国が外面よく取り持った、惨劇と侵略の出会いだったとして完成した。
2019-08-28 22:33:58そんないわくのある珈琲を、出会いを祝してと出してくる〈司令〉の趣味は相当キマッてる。当て付けかと思ったが、その様子もない。
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