有鹿のお話(小祠~瓢箪塚~有鹿の泉~有鹿姫)

2019年8月28日~29日に有鹿神社の宮司さまの連続ツイートまとめ。
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有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

都会の中にある小さな神社が好きです。ビルの一角でも、ビルをくぐり抜けても、ビルの屋上でも、いろいろ工夫されているのを見るのが楽しいです。私も、自分の思い描いていた社殿を建築してみたいです。

2019-08-28 18:18:03
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

明治の頃に国策で神社の数を絞りましたので、最近でも新しい神様が登場してきます。例えば、八福神になりそこなった福助、飲食店にある仙台四郎の象、口裂け女、人面魚、バレンタイン神社など、いろいろな流行り神があり、定着したり、消えて行ったりします。この基準は、わかりやすいということです。

2019-08-28 18:36:43
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

巣鴨のとげぬき地蔵、原宿のファッション、秋葉原のオタク文化、それぞれ、わかりやすいです。だから、人が集まります。 神社も、わかりやすいのがよいです。パンダ宮司を始め幾多のキャラクターは楽しいです。皆さんに喜んでもらえれば、それでよいわけです。

2019-08-28 18:44:31
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

パンダ宮司の中身は、神職の禰宜です。パンダ舞などを舞っているだけではありません。暇があると神社の社殿や境内を清掃しております。神社を清浄に保つように努力しています。

2019-08-28 18:55:20
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

人は、どうしても、大きい神社に目をやります。しかし、自然村ごとに、五人組→隣組→町内会ごとに、個々の家にも、いろんな生活において、いろんな神社が祀られています。例えば、稲荷社、道祖神や庚申講の祠など。こんな身近な神様のお祭りから、日本人の精神生活は成り立っています。

2019-08-28 19:18:45
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

神職になりたての頃、お不動様の前で道路工事をするので、お祓いをしてほしいと頼まれました。神仏の区別をしなければと思い、先代の助言により、地鎮祭と同じように、神様をお招きして、道路工事の安全を祈願しました。今なら、お不動様も神様として、このようなお祭りをすると思います。

2019-08-28 19:29:03
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

庚申様も、道教(陰陽道)と仏教の融合という形で行われていた祭りです。八大龍王や馬頭観音も、神様としてお祭りしてきました。それを信仰する人々が神様と思っていれば、私達も、神様としてお祭りすることになります。神社の中には、仏像をご神体とするものもあると思います。

2019-08-28 19:46:01
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

@yoshyonecat @sagami_yashiro そんな、どんな街並みかな、というお話しで結構です。 子供の頃、海老名の瓢塚の側で、あれが昔の東海道の後だと言われる道を見ています。確かに、浜田を通っていたようです。そこでウサギを追いかけたことがあります。

2019-08-28 20:36:01
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

瓢塚は、今では住宅街の真ん中です。この下辺りから谷が東西の峰を分けていました。この谷の始まりから泉が湧き小さな清流となっていました。西の峰には円墳の跡があります。西の峰の斜面と谷戸田を浜田と呼んでいました。瓢塚の東側を古道が南北に走っていたようです。山林の中の僅かな隙間でした。

2019-08-28 21:06:40
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

瓢塚の西側の峰には「尼の泣き水」の跡だといわれた場所がありました。これは、崖の窪みに水滴がポタポタと落ちるような状態でした。この下が国分寺の南の門の跡だと言われるところです。国分寺の屋根に使われたという布目瓦がいたるところから出土しました。これは、わが家でも、まだ所蔵しています。

2019-08-28 21:16:55
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

この布目瓦は、どうも国分寺のものではないようです。わが家の辺りを坊原というように、寺院が建立されていました。そんな古いものではなく、中世の頃と考えられます。先代のいうところによると、渋谷氏の一族がこの地域を去るにあたり、わが家が跡に残り祖先の祭祀を行ったようです。この寺の瓦かと。

2019-08-28 21:28:30
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

これまでのお話しは、海老名でも台地の上に住む者としての発想です。海老名でも相模川沿った低地に住む人達からみると、海老名耕地の用水をどこから引くかという問題となります。昔は相模川からは無理でした。鳩川という小川に頼ることになりました。この水源の一つとなるのが、勝坂の泉だったのです。

2019-08-28 21:49:46
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

この泉は、縄文の頃から、集落の生活の中心であり、神聖なものとして信仰の対象となっていました。この聖地を稲作に必要な水源として崇めることになりました。鳩川に沿った農耕地帯をを支配する権力者は、海老名から勝坂の泉を訪れて、豊作を祈る祭りをしました。この跡地が勝坂祭祀遺跡です。

2019-08-28 22:16:19
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

この頃、ご神体に当たるのは有鹿の泉です。神様を次第に里の近くまでお呼びするのが人の世の常です。白村江の戦いに敗退後の翌年、社殿を建立し、国防上の観点から、国家的な祭祀を行ったと考えられます。用水の利用は川下からという大宝律令の定めは、国司勢力、その後、海老名氏によって守られた。

2019-08-29 04:42:30
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

@mikagenomori この頃、海老名の社殿にお有鹿様をお招きし、祭祀を行っていたと考えられます。それは、海老名氏の滅亡の後、由緒書によると、僧慶雄が有鹿池から神体石を発見し、有鹿泉まで年2回神輿の渡御をする水引祭を起こしたと記されています。その前には神体石はなかったのです。

2019-08-29 04:58:19
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

この水引祭は、政治権力のバツクアツブがないとき、宗教的な権威を掲げたものです。これは、平時には川下から使いなさいという慣例は守られていたでしょうが、日照りにあって水不足のときは、中流域の農民も我慢できません。水争いとなり、有鹿の輿巻きのような事件が起きました。

2019-08-29 05:08:27
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

用水事情が五ヶ村用水により解決すると、争いもなくなり、明治の末にはこの祭りも廃れてしまいました。その後、石の祠を泉の傍に祀り、この時期に三王三柱神社、神武社の祭りをするようになりました。ところが、有鹿神社が相模川の三川合流池に祀られているのは水害からの守りのためでもあります。

2019-08-29 05:20:52
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

この有鹿神社の鎮座する地域は堅い地盤が南北に走り、昔より、有鹿の丘と言われていました。ですから、水害からの守りの拠点となりました。この川の氾濫は、相模野という扇状地をつくりあげるまでには何度もあったし、江戸の建設にあたり上流の樹木が伐採されたので、何度も水害が起こっていました。

2019-08-29 05:30:07
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

相模川の氾濫が何度もあっても、社殿の流失はありませんでした。お有鹿様を怖れていたのは、中流の人達でした。怖がってそばを通らなかったといいます。 他の神社で、神輿が流れたという話をよく聞きます。それは、社殿が流出したのではないかと思います。

2019-08-29 05:39:42
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

水に関わる伝説や昔話のあるのが下部落という低地帯なのです。有鹿神社の側には、「有鹿姫の碑」が建てられている一角があります。これは、江戸の頃、新道の敷設によって分断され、飛び地となり、社務所や鐘楼の建っていた土地です。この奥まった樹木の下に小さな石の祠が祀られていました。

2019-08-29 05:48:17
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

この土地が有鹿小学校の校地となつたので、現在地に記念碑が立てられました。両脇に榊が二本生えています。例祭の時、紙垂をはった忌竹を立てます。 それでは、この記念碑は何のためにあるのか。もちろん、有鹿姫の悲恋伝説に基づくものです。この姫は、ご祭神のアルカヒメノ神ではありません。

2019-08-29 05:58:23
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

相模川の上流の勝坂に住む娘は許嫁のある身ですが、海老名の領主に求められ結婚することになり、その前夜、悲恋を嘆き、相模川に身を投げると、女性の亡骸が大蛇となり、海老名の地に流れて来て元の身体に戻りました。里のものは、それを不憫に思い、石の祠を建て祀るようになりました。

2019-08-29 06:08:04
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

有鹿姫の伝説は、あくまでお話しです。小沢城の姫だとか、特定の人物の話ではありません。私の述べたことが海老名でも、相模原でも、一般的なことです。

2019-08-29 06:13:47
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

実は、数年前に社殿の裏手にある旧御神木のほこら辺りからハート形の石を見つけたので、よく洗いお祓いをして御本殿の奥深くにお納めしてあります。いつの頃か、これをご神体として、「姫宮神社」を創建したいと考えています。悲恋を負った身であるからこそ、恋愛を助けてくださることでしょう。

2019-08-29 22:22:21
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

それでは、「なぜすぐに姫宮神社を創建しないのか」と思われるかもしれません。ただの石ころをご神体とするには、私が神を宿すご神体として感ずるためには、それなりの年月を必要とするからです。私自身が神宿ると信じなければ人々は納得してくれません。いつか恋愛成就の祈願祭を執り行います。

2019-08-29 22:39:13

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