有鹿のお話4(明神大縄~海老名氏館~神武神社~上郷の神社)

2019年8月30日~31日に有鹿神社宮司様が連続ツイートしたお話のまとめ4。
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有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

有鹿神社の南に広がる「坊中」という地域があります。これは、由緒書によると、有鹿神社の境内の中で神社に使える僧達の十二の寺院が甍を並べていたと記されているところです。この中心となるのが、「総寺院」です。明治の神仏分離に至るまで、有鹿神社の別当寺として共に歴史を重ねてきました。

2019-08-30 18:47:00
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

有鹿神社の前を走る道は、江戸時代まで参道400メートルでした。参道の始まりには鳥居が立ち、今も鳥居田と地名に残ります。参道といえば、一大縄と交差する明神大縄です。これは、河原口から中新田を通り、社家を過ぎ、中野から門沢橋に至る道程です。相模川の氾濫によって、中新田で曲がっています。

2019-08-30 19:31:52
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

社家には、往時の有鹿神社の神職を始め楽人その他が住まいしていました。この社家には、大鳥居が立っていたと伝えられています。この地域の三島神社には、寒川明神が大蛇となり、 有鹿神社にお参りしていた。途中で疲れたので休んでそのまま大木のうろに棲みついてしまったという面白い話があります。

2019-08-30 19:54:29
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

惣国風土記によると、門沢橋より国府に入ると記されていたので、明神大縄を通って有鹿神社の南面にある「御屋敷」という地名の残る「海老名氏の館」の前身が「国庁」またこれを取り巻く地域を国府であると考えられます。古田条里制の下における明神大縄と一大縄が交差する基点となっています。

2019-08-30 23:40:28
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

西に官社の有鹿神社、東に官寺の国分寺というように対峙しています。御屋敷の形状は、条里制の区分田に合わせて、長方形となっています。この地は、四神相応の地です。北に鬱蒼と繁った有鹿の森、西に小高い有鹿の丘、東に清流の流れる大官寺川、南に広がる海老名耕地という配置です。

2019-08-30 23:56:39
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

相模国府の三遷説に従って、市政二十周年記念にあたり、初期の国府が有鹿郷の今の河原口にあったという発表をしています。この国府は平安初期の地震により、他の地に移り、この地の最後の国司は海老名氏の始祖となりました。圏央道の建設に伴う出土品をみると、役所があったことを推測できます。

2019-08-31 00:12:55
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

相模国府の跡=海老名氏館という事実は、圏央道の最初の計画では有鹿神社の境内の大半を道路と化すものでしたが、西の相模川沿いにそれていることによって証明されています。もし相模国府の跡地ということになると、道路計画が遅れること、あるいは、頓挫するからです。相模川の側でも出土しています。

2019-08-31 00:27:24
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

国や県は、事前の調査によって、この地に歴史的な価値のある遺跡があるが、圏央道を相模川の川岸に寄せたら大丈夫と判断したのです。それでさえ、弥生時代からの江戸時代まで歴史を重ねた生活の記録が出てきたのです。有鹿神社の境内で建築をするとき、なるべく地下をいじらないように努力しています。

2019-08-31 00:41:01
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

圏央道に隣接して、鳥居も社殿も西向きに立っている「神武神社」が鎮座しています。この地は、江戸の頃より有鹿神社の飛び地境内でした。桑畑だったのですが、この地に石神社が祀られていました。日露戦争にあたり、この地で橿原神宮に遥拝して戦勝祈願をした故事により、記念碑が建てられました。

2019-08-31 01:03:10
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

記念碑とそれを覆う社殿から成り立っています。神道では、神武天皇という御祭神を見えないようにするのが本当です。そこまでうるさく言うほどのことでもありません。人々が神様として祀ることに問題はありません。河原口にあったといくつかの小さなお社をこの境内にお祀りしています。

2019-08-31 01:11:35
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

神武社の境内には、石神社、神明社、天神社、熊野社、大六天社について、これら五つの石祠が鎮座しています。天神社は、「有鹿天神社」として神社でお祀りされ、また、「大六天社」は別のところでお祀りされていたが、一時廃祀されています。石神社は、おしゃもじ様の信仰として知られています。

2019-08-31 07:45:24
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

神明社は、明神大縄と一大縄の交差する地に鎮座し、先代宮司によると、河原口の氏神様として、お祭りも賑やかであったといいます。熊野社は、現在の市歴史資料館の地に鎮座していました。大六天社は、わが家の神遊びの場でお祀りさせていただくことになっています。いろいろの神社の復興を望みます。

2019-08-31 08:10:18
有鹿神社【神奈川のへそ・子育厄除大社】 @mikagenomori

上郷に目をやると、氏神様の三王三柱神社の外に、馬船橋の近くにある熊野社と道祖神、三川公園近くの大藪稲荷社といった神社が祀られています。三王社は、百坪近い境内に小さいながらも立派な社殿が建ち、こんもりした森があります。この神社の由緒を石に刻み後世に残してあります。

2019-08-31 08:58:00