Chim↑Pom『Real Times』展と『明日の神話』“事件”についての桜井圭介さんによる連続ツイート
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さて、ちょうど展覧会が終了したところなので、Chim↑Pomの『Real Times』展と、例の『明日の神話』の“事件”について連投します。
2011-05-26 02:38:53会場の「SNAC」はChim↑Pom所属の「無人島プロダクション」と僕の主宰する「吾妻橋ダンスクロッシング」が共同で運営しています。今回の展示は無人島プロの企画ですが、だからといって、僕が全くの部外者ということにはなりません。 その上で以下、個人として意見を述べさせてください。
2011-05-26 02:39:14まず、「明日の神話」の“事件”。それがアートかアートでないかはどちらでもいい。なんなら単なる“イタズラ”だと言ってもいい。端的に「行為」「出来事」として、“イタズラ”として、素晴らしかったと思います。感動しました。
2011-05-26 02:39:32渋谷駅というこの街のど真ん中、多くの人が行き交う場所で、まさに今、原発のことを考えている/意識させられているこの僕たちの日常のど真ん中において、きわめてクールな(ヒップな)やり方で「原発、まじヤバくね?」って、言ってくれた。たった一枚のベニヤ板で1万5千人の渋谷のデモに伍して。
2011-05-26 02:39:49そんなふうに僕が感じたのと同様の反応を“事件”当時、ネット上でも多く目にしましたが、“犯人”がChim↑Pomだとわかった途端に批判的になったのは、矛盾していると思いました。気持ち(がっかり)は理解出来なくもないですが。誰でもよかった。でもやらなかったわけですよ他の誰も。
2011-05-26 02:40:40続いて展覧会について。「明日の神話」の“事件”に関連する展示は、押収されたボードとサイズも絵柄も同一のペインティングと“犯行”を撮影した映像ですが、そもそも「渋谷駅での行為」こそが「作品」であり、展示物はその行為(アクション、行為芸術)の単なる記録(証拠物件)というのが僕の考え。
2011-05-26 02:41:56同様に、『Real Times』と題された作品は、防護服着て、福島原発の正門前から敷地内を延々歩いて展望台へ登り、白旗を掲げる。という「行為」を淡々と撮影した映像による展示。だが、こちらは敢行された行為もさることながら映像じたいにも力があったと思う。
2011-05-26 02:42:17今回の展示中もっとも心に残った作品は、彼らが実際にボランティアとして赴いた先で知り合った若い“被災者”たちと一緒に、円陣を組んで友とそして自らを励ますさまを撮影した映像展示『気合い100連発』。瓦礫の山のなかで延々と続く「青春の雄叫び」の光景はバカバカしくも切ない。
2011-05-26 02:42:46原発から30キロ圏内の植物を使った巨大な生け花(フラワーアーティスト柿崎純一とのコラボ作)『被爆花ハーモニー』は、眼前のきれいな花やみずみずしい筍と、それが被爆しているという事実が、観る者の脳内で衝突し縒れる。
2011-05-26 02:43:08ある情報が示され、見る者の脳内に、想像力によって生じるものを「作品」とする、というのがいわゆる「コンセプチャルアート」だが、Chim↑Pomは、たしかに“おいしいコンセプト”だけど、「実際やるのは大変、思いつかなきゃよかったw」な労力を要する「行為」で無理やり具現化するのが芸風。
2011-05-26 02:43:26今回の展覧会全体への批判に、題材のいわば「未曾有さ」に対してそれを定着させるのに選んだメディアが旧態依然である(写真、ヴィデオ、オブジェ)というものがあったが、やはり「行為」のほうに作品の本体があると考えるなら、吟味する対象を取り違えているようにも思われた。
2011-05-26 02:43:45もちろん最終的なアウトプット=展示法によって、表現の良し悪しを判断されることは当然です。表現の良し悪しというのは、言い方を変えればコンセプト伝達の成否だ。その意味で今回の一連の作品のなかでは、多くの人々に評価された最初の「渋谷での行為」がもっとも成功した作品だと言える。
2011-05-26 02:44:07それに比べて、「展覧会」という、美術のコンテクスト(と言っても、相当歪みのある今のこの国の美術の文脈ですが)に立たざるを得ない方法での発表・提示は、表現の伝達としては今一歩、苦戦を強いられる。このことは、仕方のないことなのか、どうか、、、。展覧会は「美術」(業界)仕様というか。
2011-05-26 02:45:03Chim↑Pomの場合、逆に「美術だから」という部分に守られて評価されている、という見方も前々からあるわけだし。活動スタイル(あるいは自らの立脚点)については今後も検討課題(しかし、喫緊の)と言える。
2011-05-26 02:45:35「美術」より少し大きく「表現」全般として見た時に、今回の展示は「ネタ」とか「メタ」とか、フレームでポジショントーク的にアーキテクトするゼロ年代的表現から遠く離れ、「ベタ」「ヒネリなし」「ストレート」な表現を志向している。それは今この瞬間の芸術家の態度として至極真っ当だと感じた。
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