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新井紀子/ Noriko Arai @noricoco
「誰もが誰かを妬んでいる」の受動態(同義で、しかも受け身で書いた文)はなんでしょうか?
新井紀子/ Noriko Arai @noricoco
この問題の出典は、飯田隆先生の「言語哲学大全」です。
ฅpawฅ @hiroko_tanpopon
@noricoco 高2息子が楽しそうに書いてくれました。 pic.twitter.com/cZWV03zjkA
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新井紀子/ Noriko Arai @noricoco
@hiroko_tanpopon で、どれが答えだと言ってましたか?
新井紀子/ Noriko Arai @noricoco
@hiroko_tanpopon 息子さんにフレーゲまでは量化子(quantifier)がなかったので、中世の論理学者たちにはこれは難問だったのです、とお伝えください☺️
山中俊治 Shunji Yamanaka @Yam_eye
@noricoco @sakura_osamu 「どの人を選んでも、その人によって妬まれている誰かは存在する。」 でしょうか。 シンプルな答えではないですね。 元の主語が「すべての人」なので同じ意味の逆方向の文章を作ろうとすると、帰納的な条件文になってしまうのかもしれません。 twitter.com/noricoco/statu…
mm @mmhinoeuma
@noricoco 簡潔に表せる受動態の文はないように思うが、内容的には「誰かに妬まれる可能性は誰にもある」というのが正解のように思う。
新井紀子/ Noriko Arai @noricoco
@mmhinoeuma 興味深いです。 ところで、「全員誰かを妬んでいる」部分はどこに?
mm @mmhinoeuma
@noricoco まず、この受動態文は「"誰か"がAによって妬まれている」となるはず。原文から「誰かを妬む」のは誰にもあるが、ある"誰か"を妬むのは全員ではなく不特定の人だと分かるため、A=不特定の人、よって受動態文の内容は「不特定の人に妬まれるのは誰にもある」となって、私が書いたような文になります。
mm @mmhinoeuma
@noricoco ところで、Everyone loves someone.を受動態にできないのか、という質問を2004年のyahoo知恵袋で見つけました。detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_de…
新井紀子/ Noriko Arai @noricoco
そこに1が誤りであることは書いてありますが、受け身形がどうやら存在しないとまでは書いてありません。 少なくとも2も3も誤りです。 私としては(ない)が正解と考えています。
新井紀子/ Noriko Arai @noricoco
今回のアンケートは夏前に出そうと思っている「AI vs. 教科書が読めない子どもたち」の続編のネタとして出題しました。 皆様から頂戴した興味深い回答はその際、参考にさせていただきます。詳しい解説は、書籍をお楽しみに。 ご協力有難うございました。
東田大志(ビラがパズルの人/チェバ) @handbill_puzzle
新井紀子さんの新刊「AIに負けない子どもを育てる」を読んでいるが、短文のみのRSTは読解力の一部しか測れていないように思う。そもそも人間は部分の集合として文章全体を理解するわけではない。全体からしか理解できない部分がある。この解釈学的循環は読解力を測る上で軽視されるべきではない。
@by_which
@handbill_puzzle 新井先生らはそんなだいそれた「読解力」を測ろうなどとはしておらず、「読解力の一部」である「基礎的読解力」っていうのを測ろうとされてるんじゃないですかね
東田大志(ビラがパズルの人/チェバ) @handbill_puzzle
@by_which なるほど。「部分部分の読み取り」と「全体読み取りからの部分解釈の見直し」の共同作業が読解力であり、これら2つは簡単に分離できるものではないと私は考えています。 なお、まだ新井先生の本は読んでいる途中なので、部分解釈も見直される可能性があります。
@by_which
@handbill_puzzle たとえば、契約書や仕様書や法律の条文やらを正確に読めればいいというお考えなんだと思いますけど。 おっしゃることはよく分かります。全体を読んでみて初めて部分が明らかになる、するとまた全体の読みに影響を与える、するとまた…。物事ってそうやって読み取るものだということは。
東田大志(ビラがパズルの人/チェバ) @handbill_puzzle
@by_which 新井先生は、契約書から小説まで含む汎用的な読解力を考えておられると思っておりました。 ただ、仮に法律等の実用的文章に限定されたとしても、やはり解釈循環は重要ですね。短文テストは、むしろ部分的な知識の多寡が影響し、全体があれば読解力で補えたはずの理解は評価されないように思いました。
RochejacMonmo @RochejacMonmo
新井紀子氏の新著の方はまだあまり見ていないが、東ロボが東大模試の数学で偏差値76.2を出したことを「瞬間風速」と「幸運」とはっきり認めたのは初めて見た。しかし、新井氏のこの文章は一面的だ。高偏差値を出せたのは、実閉体に落とせないが計算機で直接計算できる整数問題を完答できたからだ。 pic.twitter.com/nCt8si1k4L
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RochejacMonmo @RochejacMonmo
具体的な問題は、21^21を400で割った商と余りに関する問題。6問しか大問がないので1問完答できたかどうかは偏差値に大きく影響する。 (しかも受験者の実力がまだ十分には整っていない8月の模試であることも大きく影響しているがそれについては述べていない。これはマーク模試の好成績も同様。) pic.twitter.com/HosJNSg7x7
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RochejacMonmo @RochejacMonmo
新井紀子氏の新著の中で 「誰もが、誰かをねたんでいる。」 と 「誰もが、誰かからねたまれている。」 の差異を手掛かりに述べられた一連の記述がある。 率直に言って、この差異が明確に説明できない人がたくさんいるということを、高校までの国語教育への批判につなげる文脈が全く理解できない。
yh @spotprawns
@RochejacMonmo 今や学校教育全体がそうなっているのかも知れませんが、中でも国語は全ての罪を背負わされる十字架上のキリストみたいになってませんか。キリスト曰く「父よ、彼らの罪をお赦しください。彼らは自分たちが何をやろうとしているか理解していないのです」笑
RochejacMonmo @RochejacMonmo
新井氏は、 19世紀末に、「数学に集合や写像、さらに論理式という概念が導入されて、初めてこの差を明確に説明できるようになったのです」(p.43) と述べる。飯田隆『言語哲学大全I』の「フレーゲと量化理論」が元ネタだが、そもそも本当に新井氏の記述のようにまとめていいかは専門家の見解を待つ。
saebou @Cristoforou
↓こんな簡単なことを説明するのになんで集合とか写像とか論理式が必要なの?
ytb @ytb_at_twt
フレーゲが論理式(術語論理と量化子)と自然言語の数学的分析を導入するまで、2000年の間、ちゃんと区別されていなかったという歴史的経緯がありますから。 もちろんこの説明には集合や写像は不必要なんですが。 twitter.com/cristoforou/st…
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コメント

笹かま @voyageur105 5日前
読解って難しいね。何で子供の頃は国語が苦手だったのかな。分かると数学みたいなのに…と考えたことを思い出しました。
瑞樹あきら@TRPGフェスお疲れ様 @akira_alt 5日前
1:「誰もが誰かを妬んでいる」→恨まれてる人は全体の中の「ごく一部かも」しれず、「恨まれていない人」がいる可能性は高い。2:「誰もが誰かに恨まれている」→読んで字の如く、恨まれているのは「全員」。故に1と2は大幅に意味が違う。だから、「恨まれている」という受動態をメインで考えるなら「誰かが誰かに恨まれている」が1に一番近い言葉になる……と思う。
くりあ/CLEA-R-NOT-3 @Clearnote_moe 5日前
受動態の主語となるべきものを考えたとき、「誰かに妬まれている人の集合(あるいは、そのうちの誰か)」以外の表現は取れないから存在定義自体に受動態が含まれていてさらなる受動態は取れないとか、元の文自体が「誰もが、誰かに妬まれている存在である誰かのうちいずれかを妬んでいる」の省略であるからとか、「受動態の主語となるべきものが意味を保持するための主語として不適格」ということをなんとか説明しようと思うのだけど、結局最初のリプの数学的回答の冗長な焼き直しにしかならなくてもどかしい。
tacosun @kagami4432 4日前
何故かキテレツ大百科のOPと仮面ライダーBLACKRXのEDが思い浮かんだw
@ @KareidoMegane 3日前
「誰からも誰かが妬まれている」または「誰からも誰かしらは妬まれている」
@ @KareidoMegane 3日前
そのあとの難しい話はよー解らん。
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