- sakasa_don
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『ささめきこと』第9話、「ひまわりの君」を視聴。向日葵の君という題、そして画面を追うに、要は“向日”のイメージの連結なんだろうと考えることにした。一名ヒュウガアオイと呼ばれるこの花は、江戸期ごろから―中国に由来するそうだが―太陽(日)の動きについて回ると伝わる。よって“日回り”。
2009-12-04 03:53:13そして冒頭の、あれはホワイト・フェード・インというのだったかな?目元を中心にした葵のアップのシーンから、ひまわりの君が「日」と「日回り」、つまり「見られる者」と「見る者」という二重の意味を持つのだろうと。純夏は前半前者の“君”として、葵は前半後者の“君”として対置される。
2009-12-04 03:54:07後半この関係は転回され、葵と純夏の「日」と「日回り」は穏当な友情という形に移って行き、どうやら汐が純夏にとって、「日」から「日回り」のほうへ変わっていったみたいだ。
2009-12-04 03:55:06そういえば、こんな文章を思い出した。「向日葵ハ太陽の光ならどんなささいなのにでもその方に向きますが、月のどんなによくてる晩でもうなだれてしおれて居るのが向日葵です」 (宮本百合子/『錦木』より)。
2009-12-04 03:58:26実際のところ、花を咲かせたひまわりは日を追って回らないのだそうだ。それは生長期に限ったもので、昼間は東から西、そして夜間に西から東へ戻るうごきが蕾が大きくなることで段々小さくなって、ついに東向き(向日)に固定される。なんとなし、本話の葵が重なる気がする。
2009-12-04 04:02:18Bパート、私たち視聴者にも始めて明け開かれた郊外のさみしい風景のなかをひとり、つよい陽にさらされて、かの水彩質の夢想と対照するように却ってふらふらと精彩ないのはその夜の所為だ。彼女の向日、純夏の前に立とうとした為だった。その皮肉さ辛さを純夏が想像できないはずはない。
2009-12-04 04:04:14そっと泣きつかれて寝た葵の側に腰を降ろしている純夏の“うなだれよう”は、すごく優しくて、ちょっとそういう夜を想像してしまう。いままで見せてもらったものとはまた別の姿を。
2009-12-04 04:15:25@totinohana ボディーランゲージでの会話が極めて秀逸でしたね。結構尺の長いシークエンスなのですが、腹筋が切れるかと思うくらい笑いましたよ。今年一番笑ったかもしれない。
2009-12-04 04:18:32@totinohana 蒼井の帰宅のシークエンスで学校付近の横断歩道-自宅付近の商店街を繋ぐ中間として、あの郊外シーンの異質さを咀嚼できなかったのですが、あの精細のないそれでいて儚げな様子はあの背景により強化されてるのかもと橡の花さんのポストを読んで思いました。
2009-12-04 04:23:53@Shostakovich ええっ、本当に「何で気付かないのよ」(笑)。今回は「出力」のイメージも豊富でしたね。出力×「日」のイメージということで言えば、一番毒々しかったのは間違いなく即売会広告でした。
2009-12-04 04:28:46@totinohana 今回のエピソードを観て反省させられたのは、淡々と描かれる蒼井の帰宅シーンで、眼鏡が省略されずにリアルに描かれてた事。他のショットではツルやレンズの枠は省略され瞳がチートされてて「ちゃんと描け」と思ってたのですが、こういう演出する為にはそれも必要なんだなあと
2009-12-04 04:37:41@wtnbhrt 僕があのシーンで思ったのは①Aパート水彩との肌理の対照、②葵のナルシシズム、「向日葵の君」の構造が彼女が「日」に負けてうなだれることで表れている、③あの勾配は、そういえば提供の背景画像だった水路、冒頭の中学の同級生の登場する順番・起動とダブる、ということでした。
2009-12-04 04:49:10【訂正】登場の順番・起動に重なる×→登場の順番・それを追うカメラの、ティルト(だよね?)の軌道に重なるかな?○/もしあの形象、軌道を反復しているのだとすれば、葵は冒頭のカメラの動きとは逆になるかたちであの道を進んでいたことになるかなーと、なんとなく。
2009-12-04 04:57:26