元ヒッポン編集部お二人による女神転生回顧録:01
- hopalongcarrot
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今、飯田橋の駅ビルで待ち合わせのDMが届いた。とっさに思い出したのは、ゲーム会社のアトラスだった。あのビルはアトラスの発祥の地だ。操業するやいなや、花か菓子折りを持って挨拶に言った記憶がある。
2011-05-25 20:41:37今では知っている人は少ないと思うけど、アトラスはテクモを辞めた人がつくった。テクモの開発部長だった、いちおうイニシャルにしておこう、Hさんが社長。取締役はUさんとYさん。エース級の人材がスパッと抜けたことになる。
2011-05-25 20:44:33当時、テクモは本所吾妻橋という、粋な場所にあった。池上正太郎の小説や随筆に出てくるような場所だ。『マイティボンジャック』とか、『ソロモンの鍵』とか、自分好みのゲームが多くて、よく取材に行ったものだ。帰りに見知らぬ店でランチをするのも楽しかった。ああ、素晴らしき本所吾妻橋。
2011-05-25 20:48:05比較しては申し訳ないが、カルチャーブレーンがあるお花茶屋の取材はつらかった。85年頃の話をしているんだけど、駅の周辺はゴム風船をつくっている町工場があって、駅を降りた瞬間にゴム風船の匂いがした。お腹が減って寿司屋に入ったがやはりゴム風船の匂いがした。
2011-05-25 20:51:39カルチャーブレーンの旧社名は「日本ゲーム」。じつに潔い名前。アメリカンエアラインみたいだ。もっとすごいか。日本銀行みたいだ。
2011-05-25 20:53:56ある日、いつものように本所吾妻橋のテクモに行くと、H開発部長に呼び止められた。なにか、よんどころない話をされる気配がした。「じつは、私、辞めるんです。新しく会社つくります。UとYも辞めます」と聞いて‥‥驚きそうな話だが、驚かなかった。その予兆を感じていたから。
2011-05-25 20:57:47で、できて会社がアトラスで、飯田橋に話は戻る。みんなイキイキとしていてね、理知的なことを低い声で話すUさん、Uさんはちなみに『スターフォース』をつくった人だが、Uさんとゲーム理論で有名な「囚人のジレンマ」の話をした記憶がある。
2011-05-25 21:01:38もういいや、言っちゃうと当初のキックオフの資金は、イマジニアのディスクシステムのソフトを受注して開発していた。タイトル名は‥‥忘れたw。
2011-05-25 21:03:25アトラスは、ゲーム開発以外にも、ビリヤードのキューを輸入したり、記憶が間違っていなければ、水道橋でゲームセンターも経営していたんじゃなかったかな。
2011-05-25 21:06:02@HisakazuH 水道橋のゲームセンターはテクモですね。ソロモンの鍵のロケテストをやったところ。神楽坂下のビルの奥にあったゲームセンターもテクモだったはず。
2011-05-25 21:08:58@Abingdoni_Nari ありがとう。オレの勘違いでした。テクモとアトラスを混同しちゃダメ。あとで、パスするね。
2011-05-25 21:10:34『女神転生』を開発して、アトラスは注目されるデベロッパー、当時の言葉でいえば「外注会社」として、一躍注目されるのだけど、ナムコが発売したソフトを奪い返すようにして、自社で発売するなんて、当時は考えられなかった。交渉力があるタフな会社だったんだね。
2011-05-25 21:12:54『女神転生』の合体が好きで、ハマってね。一度、雑誌のインタビューか対談で、アトラスの人たちに、一本道の廊下を歩く『女神転生』をつくってほしいと言ったことがある。マップを覚えるのが大変で、あのゲームは地形が一本道でも十分に面白いゲームだと思ったんだ。
2011-05-25 21:15:31西谷史による伝奇SF小説『デジタル・デビル・ストーリー』をゲーム化したのが『女神転生』。『デジタル・デビル・ストーリー』が有名で、『女神転生』が無名だった時代があったんだ。今、思えば。
2011-05-25 21:19:08@HisakazuH (合いの手を入れてみる)以前にも書いたけど、「女神転生」はナムコのコンシューマー事業課スタッフたちにもすごく愛されてた。ナムコ内部にRPGを開発するラインがないせいもあるけど、彼らは「うちから新しいRPGを送り出すんだ」との気概で広報や宣伝にあたっていた。
2011-05-25 21:21:09@Abingdoni_Nari そう、愛されていた。愛っていうと抽象的だけど、宣伝や広報する人が、ゲームをやり込んでいて、資料もよくできていたもんね。
2011-05-25 21:25:26で、『女神転生』はどうなるかというと、一本道のゲームではなく、ダンジョンから飛び出る。フィールド型のRPGになった。それだけでは普通にありそうな話だけど、凄みを感じたのは、当時のファミコンソフトで、三島由紀夫の市ヶ谷駐屯地での割腹死を扱ったゲームになった。
2011-05-25 21:29:40@HisakazuH 「女神転生」の合体という概念をつくったのがUさんでしたっけね。アトラスもすぐにやめてご自身で会社を立ち上げた記憶があります。典型的な天才型で、話していてとらえどころがなかった印象があります(このあたりはかなりあいまい)。
2011-05-25 21:31:21ファミコンソフトなのに三島由紀夫です。これです。最後の結末の悲しいこと。天下の三島由紀夫が叫んでも、誰もついてこない。⇒http://youtu.be/tzz1-ppIjOg
2011-05-25 21:33:53@Abingdoni_Nari ということで、あとはよろしくとパスを出してみる。こう書くとセンセーショナルだけど、三島由紀夫のことはぼやかしていたんだよね。
2011-05-25 21:36:04@HisakazuH おれは双葉社の「女神転生必勝攻略法」をつくったんだけど(ほとんどひとりでだよw)、それを見て「IIはうちでやろう」と声をかけてくれたのが平林さんでした。本の制作開始は89年秋だったけど、話はけっこう前にしてくれたはず。その頃はヒッポンでもう書いてたし。
2011-05-25 21:36:39@HisakazuH 「真・女神転生」はFCじゃなくてSFCね。この作品、冒頭でいきなり母親が殺されたり、吉祥寺の廃ビルが舞台だったり、ゴトウという名の三島が出てきたりしてじつにショッキングでした。ナムコとはいろいろ揉めたとかで、それもあって肩に力が入ったのだとか。
2011-05-25 21:45:14ちょっとだけ外してました。で、ちょっと戻って「女神転生II」。これもナムコットの重点タイトルで、開発・広報予算とも潤沢だった。そのひとつがテレビCM。http://bit.ly/fbyujX アニメは白組の制作で「額は言えないけどかなり…」と宣伝担当が鼻高々に話していたものです。
2011-05-25 22:19:36