2011年5月27日

中村珍先生が語る、マイノリティと差別、そして理解について。

羣青中巻の帯文、『男が一切出る幕のない格闘恋愛漫画だ!』(花沢謙吾先生によるコメント)に対する、一部の読者の批判的な意見を受けて、作者である中村珍先生による一連のツイートをまとめました。
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中村珍 @nakamura_ching

羣青中巻の帯コメントへの批判的な意見が多くて「恋愛は男性が関係するものという前提がないとこういう差別的なコメントにはならない」「作者の意図的な皮肉を感じる」「これをサラッと書ける感覚が恐ろしい」という意見が寄せられたけど、皮肉ではないし私が気に入って候補の中から選んだものだから。

2011-05-27 06:00:04
中村珍 @nakamura_ching

『男女のペアが当たり前だと思っていた読者』(帯の作家さんではなく不特定の読者)が読んで『ここに男の出る幕は無いのだ』と感じた。この事実をそこまで強く非難しなくとも他に遣り場が無かったのだろうかと思う。このプロセスを否定して何を理解させたいのだろうと悩んでいる。私はあの帯が好きだ。

2011-05-27 06:03:03
中村珍 @nakamura_ching

知り得る機会のなかった人を捕まえて「無理解!」と糾弾するということは、あらゆることをキッカケも無く理解していて欲しいということ?覆ったかつての前提を捕まえて「この発想は差別的な前提がないとできない!」と叫ぶのは、その前提を持っていた時点で差別的だから覆すことも許さないと言うこと?

2011-05-27 06:07:50
中村珍 @nakamura_ching

自分の人生と関係のないあらゆる他人事を予め理解して生きて行くことは無理。誰だってそうでしょうよ。

2011-05-27 06:12:58
中村珍 @nakamura_ching

羣青はセクシャルマイノリティが読むことを目的に描かれた漫画ではありません。セクシャルマイノリティを含むあらゆる層の読者が読むことを想定しています。そして読者の大半を絶対数の多い異性愛者が占めることも想定されています。漫画における言葉の選定は「多数派に伝わる確率の高さ」が基準です。

2011-05-27 06:22:48
中村珍 @nakamura_ching

この基準を無視した、セクシャルマイノリティ(に於ける問題に特に関心の強いセクシャルマイノリティの一部)である読者の倫理に合わせた言葉の選定を求められても困るのです。なぜならそれは「漫画の内容が多数派の読者に理解されなくてもいいから、マイノリティとして準(殉)じろ」と同じ事なので。

2011-05-27 06:29:59
中村珍 @nakamura_ching

私は「読者という多数派に対する少数派(漫画家)として」「セクシャルマイノリティの読者という多数派に対する少数派(セクシャルマイノリティの漫画家)として」「異性愛者という多数派に対する少数派(セクシャルマイノリティ)として」自分がマイノリティであることに取り殺されたくはありません。

2011-05-27 06:36:55
中村珍 @nakamura_ching

拙策は読者のためにあります。より「広く」の。マジョリティに通じる範囲の演出でマジョリティとマイノリティが共存する漫画を引き続き描きたいと思っています。どこか特定の層のためにだけという漫画を描くことはありません。仮にあるとしたら犬好きに対する犬のエッセイ漫画とかその程度でしょうね。

2011-05-27 06:43:05
中村珍 @nakamura_ching

こう言うとマジョリティだけを意識して描いているように思われるかも知れませんがこれだけマイノリティ贔屓で描かれた漫画を(本文中で無理解者として描かれているのは誰ですか?どの層に属する人ですか?)マジョリティである読者が甘んじて(或いは好き好んで)読んでいることを私は嬉しく感じます。

2011-05-27 06:52:28
中村珍 @nakamura_ching

そして先の発言の「マイノリティ」を無意識下で「セクシャルマイノリティ」と解釈したセクシャルマイノリティ当事者は他の物事に於いて当事者性を持たないマジョリティなのだと私は常々感じています。誰しも差別しているでしょう。誰しも差別されているでしょう。「先ずは」それで仕方ないと思います。

2011-05-27 06:56:11
中村珍 @nakamura_ching

仮にその先の理解をある個人から得られなくともそれは仕方ないとするよりほかありません。これは理解を求める人を否定する気持ちとは違います。かと言って理解を求める感情を手放しに正義として押し進める事もできません。又私のこの感情は社会(全体)からの理解を得る事を諦めるものではありません。

2011-05-27 07:01:54
中村珍 @nakamura_ching

すべての人を見境無く差別する人は居ないのではないかと思います。誰かにとっては何かの理解者でしょう。誰かにとっては何かの無理解者でしょう。私たちもまたそうであるように。仕方のない事です。社会全体の意識を変えることと、個人を一人一人説き伏せ、無理矢理に捻じ伏せることとは全く違います。

2011-05-27 07:11:37
中村珍 @nakamura_ching

何かを提示したとき、説明したとき、勉強してくれる人たち、聞く耳を持ってくれる人たち、やがて気付いてくれる人たちが社会的な理解を齎す人々だと思います。関心を示さない人に本を読ませることも、本当に本を読んだか試すことも、嫌がる人の耳元で怒鳴ることも、切実なのでしょうが、詮無い事です。

2011-05-27 07:14:28
中村珍 @nakamura_ching

こちら岸の端から川の際まで出向いて対岸の人を呼んでみる。呼んで振り向いてくれた人と先ずは川を挟んだ距離でも届く話し方で話してみる。振り向かなかった人や遠くにいってしまった人を振り向かせたい気持ちは切実でしょうがしかし嫌がる相手を捕らえてこちら岸へ連れてこようと川を渡ると溺れます。

2011-05-27 07:26:21
中村珍 @nakamura_ching

私にとって自身がセクシャルマイノリティである事は暮らす上で大変不都合な問題ではあります。然し相対的に見て私が暮らす上での深刻な不都合はこれではありません。私の問題は時折(セクシャルマイノリティを含む)人々の何食わぬ言葉に蹂躙されます。他人事というのはそういうものだと思っています。

2011-05-27 07:53:39
中村珍 @nakamura_ching

私はジェンダーに関することを深く追及しません。なぜなら私の抱える問題の中で相対的に深刻度が低く人生を脅かす可能性が相対的に薄いからです。「セクシャルマイノリティであることに何よりの不都合を感じている人」と比べ私の問題意識や解決に向けての熱意あらゆるウェイトは(相対的に)低いです。

2011-05-27 07:55:07
中村珍 @nakamura_ching

私は『理解を促す活動やこれに関する勉強に消極的なセクシャルマイノリティ』なのではありません。『別の問題で悩んでいる人間(※セクシャルマイノリティでもある)』です。

2011-05-27 08:02:33
中村珍 @nakamura_ching

私の実情をセクシャルマイノリティである諸氏に「悩みが軽くて羨ましい」「この人は味方ではない」「問題に対する理解がない」と切り捨てられることがあるとしたら、私はその人々の持つ『他人の一大事を受け入れない器』を倣ってその人たちがセクシャルマイノリティであることを作為的に拒みましょう。

2011-05-27 08:05:51

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