法子先生の「朝鮮進駐軍」講座~後編~Q&A
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なぜ三国人、所謂朝鮮人が蔑視される存在となったかそれは以下の事件による行動です。こんな行動をしておいて蔑視をするなというのはお花畑もいいところですといわせていただきます。それでは始めます
2011-05-26 21:03:28大阿仁村事件 (1945年10月22日) 秋田県北秋田郡阿仁合町(現在の秋田県北秋田郡阿仁町)の阿仁鉱山で働いていた朝鮮人12名は、1945年10月22日午前9時頃、約16キロ山奥の同郡大阿仁町の集落へ行き、
2011-05-26 21:03:50共同管理の栗林に侵入し栗を拾っていた所を村人に発見され注意したところ乱闘となり、村人3名が重傷を負った。 午後1時になると約40名の朝鮮人が来襲したので、警察と警防団は直ちに現場に急行し鎮圧した。
2011-05-26 21:03:54生田警察署襲撃事件 (1945年12月24日、1946年1月9日) 兵庫県生田警察署では、岡山市内で発生した七人組の拳銃強盗犯人を追って神戸に出張した岡山県警察部の捜査員に協力した。 その後1945年12月24日午後9時「岡山の刑事を出せ!」と叫ぶ50人以上の朝鮮人の集団が
2011-05-26 21:04:41署内に乱入して、拳銃・日本刀・匕首を突きつけて署員を軟禁状態に置き、署内を探し始めた。岡山県の捜査員たちは署からの脱出に成功したが、暴徒は電話線を切断し、外部の連絡を絶たせた。急を聞いた進駐軍憲兵がジープで駆けつけたため、ようやく事態を収拾させることができた。
2011-05-26 21:04:58また翌年1月9日、生田署が三宮ガード下で賭博団を検挙すると、30~40名の朝鮮人たちが再度署内に乱入し、検挙者を奪還しようとしたが、生田署はこの暴徒を制圧し、進駐軍憲兵と協力して首謀者とみられる3名を検挙した。
2011-05-26 21:05:07直江津駅リンチ殺人事件 (1945年12月29日) 信越線黒井駅でヤミ米ブローカーの朝鮮人3名が列車の窓ガラスを割って乗り込もうとしたところ、ある日本人乗客に拒まれて乗り込むことができず、デッキにぶらさがって直江津駅まで行った。
2011-05-26 21:05:42彼らは直江津駅でその日本人乗客に対し、「乗降口から乗れないので、仕方なくガラスを壊して乗ろうとしたのになぜ妨害した」と詰め寄ったが、日本人乗客が「窓から乗り込むという方法はない」と反駁したので、「朝鮮人に向かって生意気だ! ホームに降りろ! 殺してやる!!」と叫んで
2011-05-26 21:06:07その乗客をホームへ引きずり出して、パイプやスコップで滅多打ちにして殺害した。 朝鮮人3名はその後逮捕されたが、全員逃走してしまい、結局うやむやのうちに終わってしまった。
2011-05-26 21:06:37なお余談ではあるが、この種の鉄道内の不法行為を防止するために、急遽設けられたのが「鉄道公安官」制度である。 【このような事例は全国各地で続発しており、蔡焜燦氏や北斗星氏の証言が他のサイトで紹介されています。】
2011-05-26 21:06:47富坂警察署襲撃事件 (1946年1月3日) 1945年末に起きた強盗事件の容疑者として朝鮮人3名が逮捕され、そのうちの一人が警視庁富坂警察署に留置されていた。 1月3日になって朝鮮人の集団が署内に乱入して、容疑者の釈放を要求したが
2011-05-26 21:07:06署長が拒否し続けたため、朝鮮人たちが椅子や棍棒で襲いかかるなど暴徒化して、事実上警察署が占拠された。 そして留置所に留置されていた容疑者を捜しあてて、署外に連れ出して逃走させた。
2011-05-26 21:07:16富山駅前派出所襲撃事件 (1946年8月5日) 1946年8月5日、富山県警察部は富山駅でヤミ米の摘発を行い、ヤミ米ブローカの朝鮮人3名を検挙したが、それを見ていた自治隊員2名が妨害し、ヤミ米ブローカを逃走させてしまった。そこで、その自治隊員を公務執行妨害で逮捕した。
2011-05-26 21:07:35この騒ぎで派出所周辺に30名の朝鮮人が集まり、連絡を取ろうとした警察官が群集に取り囲まれ、それを救出しようとした他の警察官との間で大乱闘になった。
2011-05-26 21:07:50ついに富山警察署長は富山軍政部を訪れ、軍政部の協力を得ることに成功し、富山駅前にあった「自治隊出張所」を閉鎖させ、逆に駅前派出所には武装警察官10名を常駐させ、ヤミ米輸送を阻止した。
2011-05-26 21:07:57坂町事件 (1946年9月22日) 羽越線坂町駅において、新潟県村上警察署が主食取締りを行ったところ、中国人15名・朝鮮人約50名が警察官に襲いかかり、暴行を加えた。警察官は傷を負いながらも朝鮮人2名を逮捕した。
2011-05-26 21:08:18そのとき、約15名の朝鮮人と中国人が襲いかかり、殴る蹴るの暴行を加えた。 さらに駐在所に侵入して器物損壊等を行ったため、警防団、隣接警察署、進駐軍からの応援により、これを鎮圧し12名を検挙した。
2011-05-26 21:08:52新潟日報社襲撃事件 (1946年9月26日~29日) 1946年9月26日に、朝鮮人団体の幹部たちが新潟日報社を訪れ、坂町事件を報道した読売新聞と新潟日報の代表に対し、記事の内容が事実に相違するということで、 記事の取り消しと謝罪を要求した。
2011-05-26 21:09:16読売新聞側は不確実な記事であったことを認め謝罪したが、新潟日報側は社長の不在を理由として29日まで返答を猶予した。 29日に朝鮮人団体幹部たちは再度新潟日報社を訪れ、話し合いがもたれたが、
2011-05-26 21:09:49首相官邸デモ事件 (1946年12月20日) 宮城前広場(現在の皇居前広場)において、朝鮮人約2000名が生活権擁護人民大会を開催し、終了後首相官邸にデモ行進を行った。 このときの一隊が官邸に押し入ろうとしたので、これを阻止しようとした警官隊と衝突して大乱闘となり
2011-05-26 21:10:19警察官の拳銃2挺、実弾が奪われた。 このため、武装警官358名、進駐軍憲兵20名が応援出動して、拳銃を発射するなどして制圧し、首謀者15名を検挙して身柄は進駐軍憲兵隊に引き渡された。 彼らは軍事裁判に付され、翌年3月8日に国外追放処分になった。
2011-05-26 21:10:29阪神教育事件 (1948年4月23日~25日) 1948年1月、文部省は各都道府県知事に対し、朝鮮人学校に学校教育法を適用するように通達を出した。大阪府ではこれを受けて、朝連の幹部や朝鮮人学校の校長を集めて話し合おうとしたが、
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